26話 檻から見上げる夜空
つい先ほどアレスをずっと拘束していた主従の魔法契約を解除した。戻って来られる保証がなかったから、アレスを自由にしたのだ。それから少しだけ時間をもらって手紙を書いた。
「セシリオ、もしアレスがここを訪ねてきたらこの手紙を渡してくれる? そして自由にしていいと伝えてほしいの」
「姉上! それはどういう意味ですか!?」
「アレスに私の指示を伝えてほしいだけよ。実は魔道具もたくさん持ってきているから、なんとかなるわ」
悔しそうに俯くセシリオはそれ以上の反論をしてこなかった。色々と飲み込んで納得してくれたみたいだ。だけど今度はブレスが食いついてくる。
「ロザリア様、私があの王子を引きつけますので、このままお逃げください。アレスを頼ればどうにかしてくれるはずです」
「ブレス、ありがとう。でも今はお父様とお母様の安全確保が最優先よ。いざとなったらアレスを頼るから心配しないで」
今にもウィルバート殿下に飛びつきそうなセシリオとブレスをなだめて、アレス宛の手紙を託す。かなり悪辣な内容だから、きっとアレスもこの手紙を読めば私のことは諦めて忘れてくれるだろう。
アレスを傷つけるような言葉の数々に心が折れそうになったけど、これでもう私の大切な人たちを巻き込まなくて済むはずだ。
お父様とお母様がここに戻ってくるまでは下手な行動はできないから、大人しく従うしかない。上機嫌のウィルバート殿下は転移の魔道具を発動させて、私とともに白い光に飲み込まれた。
「ロザリア、今日からここが君の部屋だ」
通されたのは王太子妃が使う部屋だ。婚姻期間では一度も通されたことがなかったのに、離縁した後に使えと言われるなんて皮肉でしかない。ウィルバート殿下はボニータに使わせるつもりだったけど王妃様の許可が降りず、結局誰も使っていないままだった。
今更そんな部屋に案内されたところで心が冷えきっていくだけだ。
「やっと部屋の主人が戻ってきたな。君のために整えておいたんだ。好きしていて構わないぞ」
「……ウィルバート殿下、これで私の父と母は解放してくださるのですね?」
「ああ、僕との婚姻がすんだら解放する。今準備を整えているから、少し待っていてくれ」
「ではそれまでの間は父と母の安全を保証してください。もし何かあったら、その場で自決します」
本当は父と母が解放されたらそのままこの世界から消えようと考えている。こんな風に家族を盾に取られて、こんな男のものになるのを受け入れるつもりはなかった。
もういい。こんな奴らの思い通りになるくらいなら、この世界から私がいなくなればいい。
あの穏やかで優しい笑顔は見られない、あの夜空の瞳にも私が映ることはない。アレスの側にいられないなら、こんな世界に未練なんてない。
アレスを愛してると気づいてしまったから、こんな男に汚されるより死んだ方がマシだ。
「何を馬鹿なことを言ってるんだ。せっかく僕の元に戻ってこられたんだから、そんな物騒なことを言わないでくれ」
「本気です。約束してください」
「わかった……わかったから、約束する。準備が整い次第、君の両親は釈放しよう」
本当は魔法誓約をしたいところだけど、私の行動に制限がかかるのは避けたいので納得したふりをする。するとウィルバート殿下が、私にプレゼントがあると縦長のジュエリーケースを出してきた。
「これは王家の秘宝なんだ。ボクの気持ちが本物である証としてロザリアに送るよ」
「このような贈り物は不要ですわ」
「頼むから受け取ってくれ。今までと違うとわかってほしいんだ」
そう言って無理やり私にネックレスをつけてきた。ゴテゴテとした装飾の多い趣味に合わないものだったから、ウィルバート殿下がいなくなったらすぐに外そうと思う。
「今後こういうものは必要ありません。どうか私には今までのように構わないでください」
「それはできない。ボクはロザリアが大切なんだ、これからはちゃんと気持ちを示すと決めたんだ」
「お願いですから放っておいてください」
「素直じゃないな。まあ、いい。これから時間はたっぷりある。では政務に戻るよ。また後で」
その言葉を最後にようやくウィルバート殿下は部屋から出ていった。
すぐにネックレスを外そうと金具に手をかける。でもどんなに力を入れても金具は固まったまま動かなかった。
「どうして外れないの……? 王家の秘宝と言っていたし壊れているわけないわよね?」
ひとりでネックレスと格闘していると「伝え忘れてた」とウィルバート殿下が戻ってきた。
「そのネックレスだけど、この王城から出られなくする魔道具でもあるんだ。そしてボクでないとネックレスは外せない。それくらいロザリアが必要なんだ。わかってくれるだろう?」
悪寒が走るような笑顔を浮かべて、ウィルバート殿下が近づいてくる。金具にかけていた私の手をそっと外して耳元で囁いた。
「逃げ出すことなんてできないから無駄な抵抗はしない方がいい」
そうして私はまた檻の中に囚われたのだった。
* * *
ウィルバート殿下にどんなに言葉や態度で示されても、私の心には響かなかった。
そんなことをされても浮かんでくるのは、私の髪を優しくなでるアレスの大きな手、『お嬢様』と嬉しそうに呼ぶ声、ふとした時に見せる恋情のこもった夜空の瞳。
覚悟してきたつもりなのに全然ダメだ。こんなにも私の中はアレスであふれてる。何をしても何を見ても、ずっと側にいてくれたアレスが恋しくてたまらない。
それからウィルバート殿下はマメに私の元に姿をあらわした。食事を持ってきたり、お茶を持ってきたりと甲斐甲斐しく世話をしてくれる。王城であれば侍女に任せるべきこともウィルバート殿下が自ら行っていた。
侍女もついていないけどラクテウスでの暮らしで自分の身の回りのことは出来るようになっていたので、今のところ不自由はない。だけど、ウィルバート殿下の変化は正直気持ち悪かった。
そして困ったことに世話をされるたびにアレスと比較してしまう。
「ロザリア、今日の朝食は最高級のフルーツを用意させたんだ」
『お嬢様、今日のフルーツは旬のものを用意しました。鮮度も味も良いものですよ』
「待たせたな、この茶葉は貴重なものでなかなか口にできないんだぞ」
『お嬢様、こちらの茶葉は私のオリジナルブレンドですので、飲みたくなったらいつでもおっしゃってくださいね』
「このドレスはどうだ? 王都一の店で仕立てたんだ。よく似合うぞ」
『お嬢様は何を着てもお似合いですが……このネイビーのワンピースを着て、私の瞳色になったお嬢様が一番好きです』
アレスを思い出すたび、届けられない想いに心は悲鳴をあげていた。やがて以前のように笑えなくなっていく自分に気づいていたけど、もうどうにもできなかった。
私を笑顔にしてくれた専属執事はもういないのだ。私はあの大切な存在を自ら手放したのだ。
「私もいい加減諦めが悪いわね……」
アレスの瞳のような夜空を見上げながら、収まるどころか募っていく想いに自嘲した。
あの時はわからないと言った愛が、今では嫌というほど理解できる。
ほろりとこぼれ落ちた雫が頬を濡らした。
とっくに枯れたと思っていた涙が込みあげて止まらない。こんなことになって更にアレスへの想いを深めるなんて、私はなんて愚かなのだろう。
「アレス……私は、貴方を……」
愛してる。貴方だけを愛してる。
言葉にできない想いは涙に姿を変えて、私の心を締めつけた。