第9話 人間の国
「……人間が…………多い……うっ」
「我慢できそうになかったら吐いてしまってください。どうぞ、水です」
「ご、ごめ……うぅ」
明るい日差しに照らされて活気づいた人々の笑顔がまぶしく映る。
見渡す限り人、人、人な街の片隅で、レオがうずくまって何をしているのかというと、絶賛人酔い中であった。
「すぅ、ふぅ……もう、大丈夫」
強がって言葉を発したレオであったが、グリッチは目ざとくレオの様子に当たりをつける。
「まだ顔が青ざめていますよ。無理せずもう少し休んでから行きましょう。……ここまでのお祭り騒ぎになっているとは、勇者、いえ王家の影響は凄まじいですね」
言いながら、グリッチは遠くに見えるフランドール王国の王城を見上げる。
洞窟での野営から数日、グリッチ達はフランドール王国の王都にまでたどり着くことが出来ていた。さすがにハリーを連れて入ることは出来ないため、王都から離れた森に待機させてある。
「グリッチさん、今度こそ大丈夫だよ」
「ふむ、顔色もだいぶ良くなってきましたね。きっと旅の疲れが溜まってたんでしょう。人混みに少しずつ慣らしながら進んでいきましょうか」
「ご迷惑をおかけし……っ!」
「おっと」
「あっ、わりぃわりぃ!」
レオの言葉の途中に割って入るように子供が体当たりしてきた。
二人とも倒れるようなことはなかったが子供は謝りながら走り去っていく。レオは子供を目で追いかけ、視線を強くした。
「……スられた。大したものは入ってなかったけど、制裁加えておくか?」
自身のポケットに手を置きながらグリッチに問う。今は任務中であるため、身勝手な行動をとるわけにはいかないからだ。
しかし、そんなレオの問いかけは無駄に終わる。
「大丈夫ですよ。スり返しましたから、ほら」
グリッチが胸元まで掲げた手をパッと開くと、レオとグリッチの荷物だけでなく、大きさが様々な荷物が落ちてくる。
レオは言葉を失って目を見開くことしか出来なかった。
「……やっぱただもんじゃねぇな、グリッチさん」
そう言うレオの声には、若干あきれが混じっている。自分たちの荷物だけ拾うと、レオは困り顔になった。
「あの子供、こんなにスってよくバレなかったな。グリッチさん、これどうするつもり?」
レオが、散らばった誰のものかも分からない荷物を指して言う。
「放っておきましょう。さっきの子供でも、他の人が拾っても僕達に影響はないでしょうし。この人混みですから、あの子供が僕達を追って来れるとも限りません。さあ、先に行きましょう」
グリッチはさして興味もなさそうに言うと人混みの中へと歩いていく。慌ててレオもその後を追いかけていった。
「はー、疲れたぁ」
レオが勢いよくベッドに座り込む。
日が傾き出した頃合いに、グリッチ達は宿の一部屋で休んでいた。
レオの予想外の体調不良やフランドール王国に着いたばかりということもあり、グリッチ達は、街の人達に観光しに来た体を装って聞きこみ調査だけをし、宿をとったところである。
一息ついたレオは、ぼーっと天井を見ながら初めて訪れた人間の国での出来事を振り返っていた。
「今日は街の人達に触れてみてどうでしたか」
荷物を整理しながらグリッチが問う。
レオの頭に過ぎるのは、洞窟で野営したときにグリッチが言ったことだった。
「……思ってたよりも、平和に暮らしてんだなって」
レオが宿に来るまでに見た人間の顔は、ほとんど笑顔だった。
「そうですね」
グリッチは含み笑いをして特に何か言うこともなく、自身の作業に戻る。
それがなんだか妙に引っかかり、ジト目でグリッチを見つめるが、グリッチはどこ吹く風といったふうに受け流す。レオは諦めてため息を吐いた。
「人混みは結構平気になったから、もう本格的に動けるよ。これまでやった聞き込みは本命ではないでしょ?」
レオがナイフの手入れをしながら問う。
「……無理はしてなさそうですね。耳としっぽも違和感なく隠せていましたし、これなら今日中にでも行ってしまいましょうか」
「行くって、どこへ?」
グリッチの言葉に、レオはフードを被ったままの自分の頭を触りながら聞き返す。
グリッチは荷物のひもをきつく結ぶと言った。
「時間も微妙なので、すぐに支度をしてください。これから向かうのは、冒険者ギルドです」
○○○
時間は少し戻り、グリッチ達が宿を見つけた頃。
人波をかき分け息を乱して走り回り、ついには路地裏に駆け込む少年が一人。
「はあ、はあ、ここにもない!くそ、落としたのを拾われたのか?それとも──」
汗を流して必死に何かを探し回っていたのは、グリッチ達を標的にスりをし、グリッチにスり返された子供であった。どうやらスり返されてから時間を置いて気づいたようで、今の今まで街中を駆け回って探していたようだ。
しかし時すでに遅く、グリッチが放っておいた荷物たちは別の誰かに拾われてしまったようで、少年の行動は徒労に終わってしまっていた。
「はあ、最悪だ……今日の分をまたやり直さなきゃ」
しかしスリの常習犯であろう少年は、またも軽率に犯罪に手を染めようとしている。
フランドール王国がいくら豊かであろうとも、どうやったって犯罪はなくならないと証明を裏付けているかのようだった。
そんな少年の元に、後ろから影が差す。
「おい、ガキ。おめぇだろ、俺のもんスったのは」
「え……ヒッ!」
振り返った少年の視線の先にいたのは、やけに細長いという印象を受けるノッポな男が一人。
普段は優男のような言動をしている男なのだが、今は普段がそのような雰囲気であると微塵も感じられないほどの形相で少年を睨んでいた。
男がゆらりとした動きで少年に近づき、いきなり首を絞める。
「俺のもんスったよなぁ?返してくれよ、まだ元締めのとこには行ってねぇだろ?」
少年の嗚咽がもれるが、お構いなしに少年に語りかける。
どうやら最初から返答を期待してはいなかったようで、少年の体を調べると眉をぴくりと動かし、少年の体を持ち上げていた手をいきなり離した。
倒れ込んだ少年が咳き込み、男はゆっくりしゃがむ。
「おいガキ、スったもんどこにやった?」
涙目の少年の顔をのぞき込むように男が顔を近づけると、少年はビクッと体を揺らす。
男の圧に震えるが、これ以上何かされないように少年は必死に声を絞り出す。
「っ、い、いつの間にか、なくなってた……落としたか、他のやつに盗られたの、かも……ほ、本当だ!」
少年の必死の訴えに男は目をすぼめ、おもむろに立つと路地の奥へと歩いていった。
後には息を荒くしてうずくまっている少年だけ。
何か、不穏な気配がする。