第7話 道中のじゃれあい
銀色の毛並みが猛スピードで森を駆け抜けていく。グリッチとレオは初めの頃こそ初めて乗る狼型の魔物に乗り慣れるためにじっとしがみついていたが、数十分も経てば順応し、今では肩の力も抜けていた。
「ふぅ〜、やっとリズムが掴めてきたよ。体が大きい分、ハリーは走るの速いな〜」
「むっ? ハリーとはナんだ! 我ノ名前はハリエットだ! 母上から貰った立派ナ名前なノだ、勝手に変えルな! 子猫!」
「はあ!? 子猫ってなんだよ、子猫って! 俺はもうとっくに成人してるんだよ。ちゃんと呼んでもらいたいなら、そっちこそ俺のことレオって呼べよ! そしたら言う通りにするけど? ハリー」
「調子ニ乗るなよ子猫! 振り落とされたイか!」
「だーかーらー!」
瞬く間に目の前で言い合いが始まり、グリッチが口出しする暇もなく一人と一匹はぎゃいぎゃい騒ぎ始める。
後ろで聞いていたグリッチはどうしたものでしょうか、と困り顔をするが、ふいに視線を前方に向けると喧嘩に口出しした。
「レオさんにハリエットさん、喧嘩は程々にしてもらって、ここからは話すときはなるべく声を落としてください」
「! グリッチさん、何かあったの?」
レオは飽きることなく言い争いをし続けていたが、グリッチの様子が変わったことに気づくとすぐに意識を切り替えた。こういうところは優秀ですね、と内心グリッチは感心する。
「我々が目指しているフランドール王国への道のりの、第一の関門です。国境ですよ」
そう言ってグリッチが左前方を指さすと、レオとハリエットはつられてグリッチが指した方向を見る。
そこには荒れ果てた大地が広がっており、所々がくぼんでいたり焼け焦げていたりしていた。
申し訳程度の草すら生えておらず、微かに鉄の匂いが薫っている。
「ここは人間と魔族が一番戦争をした場所で、年中草木が生えることのない不毛の荒野になってしまっています。人間の兵士が巡回しているので、遭遇しないように注意を払っておいてください」
「……分かった」
グリッチの説明に、感慨深げにレオが頷いた。
魔族の、それも孤児院出身であるレオにとって、戦場となった場所というのは複雑な思い入れがあるものである。
「そレは分かったが、子猫ニは呼び方をしっかりしテもらわないとナ」
「……あのな〜」
そこに水を差すようにハリエットが口を出し、レオはイラつき始める。またもや一触即発という空気になりそうなところを、今度はグリッチが先手を打った。
「レオさん、一旦落ち着きましょう。挑発を受けやすいのは良くないですよ」
「ゔっ」
「ハリエットさんも、あまり意固地になりすぎないでください。レオさんがハリーと呼ぶのは別にあなたやフェン殿を貶したいわけではありません。愛称のようなものです。ハリーさんという呼び方も良いと思いますよ」
「ヌぅ……」
グリッチの訴えに押し黙ってしまうレオとハリエット。正論を言われ、言い返せるほどの言い分が見つからないようだ。
少しの沈黙。先に考えの整理がついたようで、ハリエットが口を開く。
「……どうやら、思考が柔軟ニなれなかっタようだナ。確かニ、ハリーと呼ばれるのも悪くはナい。レオとグリッチニなら、ハリーと呼ばれテもいいかもしれナい。……そノ、悪かった」
「……! 俺も、すぐにカッとなっちゃってごめん。ハリーっていうのも、悪気はないから。これからよろしくな、ハリー」
「ああ」
お互いに謝り、若干照れくさくなって微妙な空気が流れる。グリッチはそんな様子を見て一件落着ですね、と保護者面していた。
沈黙のまま森の中を進んでいくが、しばらくしてこの空気に耐えられなくなったのか、レオが口を開く。
「そういえばグリッチさん。ここはまだ魔族の領土だと思うんだけど、巡回って森の中の方が多いんじゃないの? ほら、戦場があった場所は見通しが良すぎるし」
「いい着眼点ですね、レオさん。しかし、僕たちが今進んでいるこの森の通称はレオさんもよく知っているでしょう?」
褒められて少し嬉しそうに頬をかくレオは、グリッチの言葉に首を傾げる。だが、あまり時間もかからず、あっ、と言葉をもらした。
「思い出したようですね。そうです、僕たちが今いるのは、大陸の南側に広がる大森林、通称『魔界樹林』です。今いる場所よりも奥地へ行けば、凶悪な魔物たちが多勢いるような場所ですよ」
グリッチの説明でレオは青ざめ、ハリーの背にしがみつくように縮こまる。
「も、ものすごい危険地帯なんだけど……! もしかして今までも結構危ない場面あった? あれ、でも一回も魔物と遭遇して、ない……?」
レオは本でしか見たことのないような強さの魔物に怯えて今までの自分の行動を振り返ったが、魔物と一回も遭遇してなかった事実を思い出して先程よりも首を傾げる。
「そこまで怯えなくても大丈夫ですよ、レオさん。僕たちにはハリーさんがついていますからね」
「言うほど怯えてないから! ……って、ハリーがついてるから大丈夫ってどういうこと?」
レオが問うと、今度はハリーが疑問に答える。
「ふふん、忘れたノか? 我は偉大ナ母上の息子、フェンリルのハリエットなのダぞ!」
「そうか、ハリーってフェンリルだもんな。強いんだよ、な……?」
「むっ? ナぜ疑問形なノだ!」
ドヤ顔で言ったハリーにレオは訝しげな目付きになり、そんな様子に気づいたハリーが怒ったように問いただす。
いちいち子供っぽいからだよ、と言いかけたレオだが、また言い争いになりそうな予感がしてギリギリで踏みとどまった。
今までのハリーの言動を見ていると忘れそうになるが、確かにフェンリルは数多いる魔物の中でもかなり上位種で、それは凶悪なこの森の中でも変わらない。むしろこの森の中にいるからこそ強くなりやすいのかもしれない。
「……それにしても、魔物来なさすぎな気もするけどね。あ、鳥だ…………え?」
気が抜けて脱力したレオは、なんとはなしに上を向き上空に黒い点を見つける。
そのまま見ていると点は段々とこちらに接近してきて、それが鳥型の大きな魔物だと気づくレオ。
焦りで体が硬直し、残りの理性で魔物の接近を伝えようとした時、鳥型の魔物が吹っ飛んだ。
「はぇ…………?」
「レオさん、プレッシャーを感じすぎですよ。もっと肩の力を抜きましょう」
血を撒き散らしながらどこかへ墜落していく魔物を口を開けて見ていると、後ろから声がかかる。
おそるおそる後ろを振り返ったレオは、普段と変わらないにこにこ顔のグリッチが魔法の後始末をしているのを見た。
「? どうかしましたか?」
「え、いや……なんでもない、です」
不思議そうな顔のグリッチを放っておき、今この森の中で最弱だろうレオは、常に臨戦態勢をとるような面持ちでまだ見ぬ森の出口を見据えた。