60:想いを告げて
「私は全然辛くなかったよ。みんながいてくれたもの。ゼルエダこそ、辛くない?」
シュリスが前世を思い出したのは八歳の頃で、それも断片的な記憶ばかりだった。それから十年経った今でも前世の名前は思い出せていないし、人格的にもこちらで生まれ育った意識が強い。
今もガルニ村には生み育ててくれた両親がいるし、友人たちやゼルエダだっていたのだ。だから日本やアルレクの事は知識や思い出として脳内にあるという感じでしかなく、辛いと思った事など一度もない。これは紛れもなく本心だ。
むしろゼルエダの方がと思って問いかければ、ゼルエダは不思議そうに目を瞬かせた。
「僕が? どうして?」
「だって神様に選ばれなかったら、勇者にならなくて良かったんだよ。特別な力がなければ体験しなくて済んだ事もたくさんあるでしょう?」
ゼルエダが黒髪黒目であった事で、たくさん苦しんできた事をシュリスは知っている。それも神から力を与えられなければ、きっと違う髪色や瞳で生まれてきただろう。
そう思ってシュリスが言うと、ゼルエダは苦笑して頭を振った。
「確かにそれはそうかもしれない。でも僕は、選んでもらえて良かったと思う」
「どうして?」
「だって、そうじゃなきゃシュリスに会えなかったから」
ゼルエダはシュリスの手を取り、優しく微笑んだ。
「シュリスと出会えたことは、僕にとって喜びなんだ。父さんや母さんが死んで悲しかったけれど、それがなければきっとガルニ村にたどり着くこともなかった。父さんたちには悪いけど、シュリスに会うために必要だったと思えば受け入れることも出来るんだ」
「ゼルエダ……」
「勇者として戦ってこれたのだって、シュリスがいてくれたからだよ。僕はシュリスのそばにいるために頑張った。だから全然辛くなんかない。これで良かったんだよ」
ゼルエダが自分に懐いてくれているとは思っていたけれど、両親の死を克服出来るほどに支えになれたとは思わなかった。そして魔王討伐の旅でもゼルエダの支えになれたというなら、これほど嬉しい事はない。
真っ直ぐに伝えられた想いに、シュリスの胸は高鳴る。ゼルエダが、シュリスの手を握る力を強めた。
「あのさ、シュリス。僕は、魔王を倒したら言いたいことがあったんだ」
「何?」
真面目なゼルエダの事だ。正面からお礼でも言われるのだろうか。そんな風にシュリスは思っていたけれど。
「シュリス、好きだ」
「……え?」
「好きなんだ、君のことが」
唐突に言われた言葉が理解出来なくて、固まってしまう。そもそもシュリスは、魔王を倒したらゼルエダに告白するつもりでいた。それがなぜか今、ゼルエダから告白されている。
「……どうして? いつから?」
受け止めきれないまま呟けば、ゼルエダは懐かしむように目を細めた。
「初めて会った時からシュリスは特別だったよ。怯えてばかりの僕に優しく声をかけてくれて、僕の色を嫌がる人たちからは守ってくれた。シュリスの優しさや笑顔を見る度に、どんどん好きになっていったんだ」
「それは、友達としてではなく?」
「最初はそうだったかもしれないけれど、今は違う。僕にとってシュリスは、特別な女性なんだ。だから命をかけてでも守りたかったんだよ。結局は僕が守られてばかりだったけれど」
まさかそれほどまで好かれていたとは思わず、けれど熱を感じさせる言葉にシュリスの頬が熱くなる。
「生贄になるかもとか、魔王との戦いから無事に帰れるかも分からないとか。そう思ってずっと言わなかった。でも、もう平和になったから。僕の気持ち、受け入れてくれる?」
心から乞うかのように、ゼルエダはシュリスの手の甲に口付けを落とした。それにまたシュリスの体温は上がったが、窺うように見つめてくるゼルエダの目元も照れくさそうに赤くなっている。
自信のなかった頃のゼルエダからは考えられない行動だ。彼も精一杯の勇気を出しているのかと思ったら、シュリスの胸にはただ歓喜だけが広がった。
「あのね、ゼルエダ。私も、あなたが好きだったの」
「……本当に?」
「うん、本当。私も昔からゼルエダのことが好きだったんだよ。ゼルエダの黒い髪も瞳も大好きだし、辛くても頑張るゼルエダがカッコいいってずっと思ってた。だから生贄になんてさせたくなかったの。絶対に死なせたくなかった」
「シュリス……ごめんね。あの時は」
シュリスの言葉にゼルエダも顔を赤くしていたけれど、最後の一言を聞いて切なげに顔を歪めた。そんな顔をさせたかったわけではないから、シュリスは慌てて頭を振った。
「でもそれはもういいの。ただ……ゼルエダを好きだって、私も魔王を倒したら言おうと思ってたんだよ。先を越されちゃったけどね」
気恥ずかしさを誤魔化すように笑いながら言えば、ゼルエダは微笑みを浮かべた。
「それなら良かったよ、僕が先に言えて。でもそれじゃ、僕たちずっと両思いだったんだね?」
「そうなるね」
ゼルエダはシュリスを抱き寄せて、「こんな幸せなことがあるなんて、信じられないな……」と耳元で囁く。シュリスはその背を抱き返して「私も」と呟いた。
夢のようだと思うけれど、互いの温もりが確かにそこにあるから現実だと分かる。じんわりと胸に広がる充足感に、そっと息を吐いて二人は額を合わせた。
「シュリス、キスしてもいい?」
「うん……」
熱っぽい瞳で見つめられて、シュリスはコクリと頷いた。
そっと目を閉じて触れ合った温もりは、ほんの短いものだった。それでも唇の柔らかさはしっかりと感じられて、再び目を合わせるとシュリスはソワソワとしてしまう。
「あのね、これが初めてってことにしてね?」
「え?」
「その、前は私が勝手にしちゃったけど、あれは人工呼吸みたいなものだったから」
甘い空気に耐えきれず、誤魔化すように魔王城での事を話したシュリスに、ゼルエダは気まずげに微笑んだ。
「えっと……そのことなら気にしなくていいよ。救命ってことなら、僕もしたから」
「えっ……ゼルエダも誰かに人工呼吸したことがあるの?」
シュリスの胸に、ほんの少しだけモヤッとしたものが広がる。けれど眉根を寄せたシュリスを見て、ゼルエダはクスリと笑った。
「うん。この前、シュリスにね」
「わ、私⁉︎」
「魔力を回復させるのに、ポーションを口移しで飲ませたんだ。だから、僕も今のが初めてってことにしてもらえたら嬉しい」
予想もしていなかった答えに、シュリスの鼓動が一気に速くなる。顔を真っ赤にして目を瞑ったシュリスを抱きしめて、ゼルエダが耳元で「可愛い」と呟いた。
恥ずかしいやら嬉しいやらで、シュリスはもうこのまま死んでしまうかもしれないと思った。




