58:神との邂逅
魔力を全て使い果たし気を失ったシュリスは、気が付けば一人青い空に浮かんでいた。周囲に漂うのは温かく清廉な空気で、何だかとても懐かしく思える空間だ。
不思議と警戒心も何も湧かず、ただ魔王は確実に倒せたという手応えは感じていて、シュリスはフワフワとした心地に微睡む。
やがてどこからか優しい光が集まって人の形に変わると、銀色の長髪が美しい男性とも女性とも思えるような中性的な人物が目の前に現れた。
「ありがとう、聖女シュリス」
唐突に出てきたその人にも、シュリスは驚かなかった。神々しく、けれど柔らかく包み込むように穏やかな笑みを湛えるその人が、誰に言われずともこの世界の神なのだと分かっていた。
けれど分かるのは神が目の前にいて、ここが神の住まう天界だという事だけだ。なぜここに自分がいるのかと首を傾げていると、神は優しく微笑んだ。
「直接お礼を言いたかったんだよ。私に出来る事は限られていて、愛しい子どもたちに多くの苦しみを与えてしまった。龍一にも出来なかったことを君がしてくれて、本当に感謝しているんだ」
シュリスの疑問に答えるように、神は昔語りを始めた。
遥か昔、神がこの世界を作った時は魔物も瘴気も存在しなかった。
大地や海、空、動植物と世界を整える精霊、自身に似せた人族。そういった世界を構成する最低限の要素を作り上げると、神は自分だけの箱庭でどんな反応が起きるのかを楽しみに見守る事にした。これ以上、箱庭に直接手を加えないと自身に制限をかけて。
自然に身を任せる気ままな精霊と本能のままに生きる獣たちの一部は、それぞれエルフ族や獣人族という進化を遂げたけれど、それらは至って平和なものだった。
けれど唯一、複雑な心を持っていた人族だけは、愛や希望など美しい営みも見せてくれたけれど、同時に欲望のままに争い事を増やしていった。
その過程で生まれてしまったのが瘴気だった。
それは神が望んだものではなかったし、瘴気から魔物も生まれたから、その時点で介入する事も考えた。けれど人族がいる限り、瘴気はいずれまた生まれるに違いない。それに魔物は人やエルフ、獣人たちの手で管理できるものだったから、神託で助言を与えつつそのまま様子を見る事にした。
しかし、やがて現れた魔王と魔族だけは許容出来なかった。人族の行き過ぎた欲望の果てともいえるそれは、神が作り上げた世界そのものを壊そうとしているから。
どうにかそれを食い止めるべく、神は自らにかけていた制限の一部を外してでもこの世界を救おうとした。直接介入するのではなく変化を促す要素を与えて、彼ら自身の手で魔族を排除させようと思ったのだ。それが異世界から招いた龍一だった。
本来、他の神が作った世界に干渉するのは良くない事なのだが、放置されていた世界があったから利用させてもらったのだという。
けれど龍一までも魔に取り込まれてしまいそうになったのを見て神は思わず手を伸ばした。異世界から来た彼の魂は、魔族に変質する事はない代わりに、異常が起きれば消失してしまうからだ。
どうにか龍一の魂は失われずに済んだが、彼を守ろうとした結果、神自身の一部が魔王に抑えられてしまい身動きが取れなくなってしまったらしい。
「直接手を下す力はもちろん、異世界から新たな勇者を呼ぶ力ももはや残っていなかった。代わりに、地球には一度道を繋げていたからね。そこからほんの少し干渉させてもらったんだ」
神はこれから起きるだろう事、もしくは起こそうとしている事を、複数の異世界人たちにイメージとして送り込んだ。そこから作られたのが、王道RPGのアルレクだった。
そうしてアルレクをプレイした経験を持ち亡くなった者の中から、こちらの世界に招くに相応しい人間の魂を選び、この世界へ転生させた。実体を伴わない魂だけなら、辛うじて呼び込めたからだ。
その存在がシュリスだった。シュリスは、直接授けられない未来視を間接的に与えた上で、救世のために招かれた異世界の魂だった。
「私の一部が魔王に抑えられていたから、ゼルエダには怖い思いをさせてしまった。それも君が防いでくれて、本当に助かったんだよ」
龍一と違い、魂だけの存在だったシュリスには特別な力を与える事は出来なかった。大きな力を持つ肉体に宿らせようとすれば、うまく馴染めずに弾かれてしまう恐れもあったからだ。
そのため、かつて龍一に与えた勇者の剣を扱えるだけの力を、転生するシュリスと同じ年に生まれる人族の胎児に与える事にした。それがゼルエダだ。
シュリスの代わりに魔王を倒せるようにするため、ゼルエダには神が出来る範囲で加護を注ぎ込んでいたのだという。やはりゼルエダが、真の勇者だったのだ。
けれどその神の考えを魔王が盗み見たために、勇者召喚の生贄という罠が企てられてしまった。
シュリスがいなければ、この間違いも正せなかっただろう。神にも予測不可能だった出来事の数々を、シュリスがいたから乗り越えられたのだと神は微笑んだ。
「あの、それで神様はもう解放されたという事でいいんですよね?」
「ああ、私はもう大丈夫だ」
魔王に察知されないよう神託を下すにも限りがあったが、ファルテの魂が自由になった事で直接対話が可能となった。生前から神託を授けていた彼女とは元々繋がりがあったため、囚われたままでも呼び寄せられたのだ。
おかげで神はファルテを通してシュリスに策を授ける事が出来た。ゼルエダに勇者の剣で魔王と神の繋がりを断ち切らせ解放された神は、シュリスの魔法を呼び水に直接介入を果たし、全てを浄化する事に成功したのだ。
「世界が滅びる事はこれでなくなった。これも全て、君とゼルエダのおかげだよ。ありがとう」
神が自ら手を下した事で、魔王も魔族も二度と生まれなくなった。
ただ、瘴気の発生は防げないし、魔物はこれからも生まれてしまうという。それだけは今後もこの世界に生きる人々の手に委ねる事になると、神は話した。
「だが、君の魂を勝手にこちら側に引き込んで転生させてしまった事は済まなかったと思っている。君が望むなら、死後は元の世界――地球の輪廻に戻れるようにしよう」
話の終わりに告げられた意外な申し出に、シュリスは笑って頭を振った。
「その必要はありません。私はゼルエダと出会えて嬉しかったですし、この世界を守れて良かったと思っています。それに、前世の記憶はとても曖昧なんです。だから出来るなら、これから先もこの世界で巡らせてほしいです」
「そうか……。君も龍一と同じように私の箱庭に馴染んでくれたんだね。良かった」
「そういえば、あの二人はどうなったんですか?」
「心配しないでいい。彼らは来世でも出会えるように取り計らうよ。それがあの二人の願いだから」
龍一とファルテは、すでに次の生まれ変わりに備えているという。それまでは、しばしあの世で魂のまま二人きりの時を過ごすのだそうだ。
――……ス、……リス!
「ああ、もう時間みたいだね」
どこからか響いたゼルエダの心配そうな声に、神は笑って言葉を継いだ。
「最後にあと一つだけ。君とゼルエダも、何か願いが出来たら祈ってくれたらいい。お礼に一つ、どんなことでも叶えよう。神殿のある場所ならどこでも、君たちの声は聞こえるから」
「分かりました、考えておきます」
今はまだ、シュリスに願いは決められない。けれどもし出来るなら願いたい事はある。それを言えるかは戻ってからの結果次第だ。
自分を呼ぶゼルエダの声に小さな希望を胸に抱いて、シュリスは意識を浮かび上がらせた。




