54:賢者たちの選択
魔王城、玉座の間。
魔王を倒したと思った直後強い瘴気の直撃を受けて、一時的に気を失っていたエルメリーゼたちが目を覚ますと、ゼルエダは気が狂ったように勇者の剣を振り続けていた。
何が起きたのかと辺りを見回すと、シュリスが倒れているのが見える。
トリスタンとレグルスはゼルエダを止めに行き、エルメリーゼたちは重い体を引きずるようにして、シュリスの元へ向かった。
「シュリス、しっかりして」
「これはマズいな。サビルと同じだ」
シュリスの手当てをするため、仰向けにさせようとするエルメリーゼをラルクスが手伝った。
露わになった腹部の傷跡を見て、二人は顔を顰める。どす黒く変色しているそこにラルクスは直接回復の魔法薬をかけたが、一向に治る気配はない。
「そんな……穢れを受けてるっていうの?」
「それなら誰か神官を呼ばないと」
「うぁっ!」
ソラと共に駆けつけていたリーバルが立ち上がろうとした瞬間、ゼルエダを止めようとしていたはずのトリスタンとレグルスが吹き飛ばされた。気が付けばゼルエダには黒い靄がまとわりついており、禍々しさが増している。
シュリスに回復の魔法薬を飲ませようとしていたソラが、尻尾を逆立てた。
「すごく嫌な感じ」
「あれは瘴気か? まさか、ゼルエダは……!」
「クソッ、何だってこんなことに!」
「とにかく止めないと!」
人族が魔族に変わる恐れがある事を、エルフ族の二人とエルメリーゼは知っている。
最悪の予想が現実になりつつあるのを感じて、三人は慌てて立ち上がった。
「ソラ、近くにおかしな魔法がないか、見てもらえる? 魔道具か何かが起動してるかもしれない」
「ん、分かった」
この場にいるのは、今やエルメリーゼたちだけだ。魔王の亡骸が残っているのは気にかかるが、何か魔法を発動させている気配はない。
とすれば、この部屋自体に人族を魔族へ変える秘術が仕掛けられているのだろう。
それの探索をソラに任せて、三人はゼルエダがこれ以上変貌しないように結界で包み始めた。
「賢者殿、何をするつもりなんだ?」
「ゼルエダを止めるだけよ! 二人はシュリスを見てもらえる?」
「分かった、ゼルエダを頼む」
シュリスの作る神聖魔法の結界ではないから集まる瘴気を弾けるわけではないが、暴れるゼルエダを放置するわけにもいかない。ゼルエダが剣を振る度に黒い靄は増えているのだ。三人は、結界でとにかくその動きを止めるつもりだった。たったそれだけでも、何もしないよりはマシだろう。
トリスタンとレグルスが回復薬を飲んでシュリスの元へ向かう。それを横目で見ながら、リーバルが悔しげに顔を歪めた。
「僕たちで、ゼルエダをこのまま封印することになるのか?」
「最悪の場合はそうだろうな」
呟いたリーバルに、ラルクスは重々しく頷いた。そうして、この場にいるもう一人の人族であるエルメリーゼに目を向けた。
「エル、お前は大丈夫なのか? 変なところがあったら言えよ」
「今のところは大丈夫よ。さすがに瘴気が濃すぎるから、あまり長くは無理だろうけれど。私にはラルクもいるもの」
「……やっぱり、シュリスが倒れたのが原因か?」
「たぶんね」
皆が倒れている間に、ゼルエダとシュリスに何があったのかは分からない。それでも、シュリスの怪我から何かとんでもない事が起きたのは分かる。
チラリとシュリスの様子を見た二人に、リーバルが苦しげに言った。
「このままじゃ、シュリスちゃんまで死んでしまう。せめて彼女だけでも、どこか安全な場所に運んであげられないかな。完治は無理でも、神官たちなら進行は遅らせられるはずだろう? その間にシュリスちゃんが目を覚ませば、自分に治癒もかけられるかもしれないし」
「……そうだな。ゼルエダを救えるかは分からないし、万が一封じることになったら見たくないだろうしな。エル、頼めるか?」
「分かったわ」
ゼルエダの目は血走って苦しげに唸り声を上げているけれど、結界のおかげか剣を振る事は出来ていない。一時的にこの場をエルメリーゼが離れても、エルフの二人がいればゼルエダを抑えておく事は可能だろう。
その間に、ソラがこの異変の元となっている何かを発見してくれたらと思いつつ、エルメリーゼはシュリスの元へ向かう。
トリスタンはシュリスの傷に丁寧に包帯を巻いた後、自身のマントをかけてやっており、レグルスがシュリスに直接回復薬を飲ませられないかと四苦八苦している所だった。
「二人とも、ありがとう。まだ目を覚さないのね?」
「ああ、生きてるのが不思議なほど酷い怪我だからな」
「口も全然開かなくてな。少しでもポーションを飲んでくれればいいんだが」
「これ以上はここでは無理よ。一度シュリスを運んでくるわ」
「……そうか、それしかないな」
二人がシュリスから離れると、エルメリーゼは転移をしようとシュリスに手を触れる。するとシュリスの瞼が、ピクリと動いた。
「シュリス?」
「……っ、エルさま」
「気がついたのね? そのまま動かないで。酷い怪我なのよ」
「いえ、大丈夫です」
エルメリーゼを押し退けてシュリスが身を起こすと、エルメリーゼは唖然としていた。
「ちょっと、無理しちゃダメよ!」
「無理じゃありません。本当に大丈夫なので」
先ほどまでの怪我が嘘のように、シュリスは立ち上がる。実際、シュリスの体はしっかりと治っていた。エルメリーゼたちは知らない事だが、龍一がシュリスに巣食っていた瘴気を払ってくれたため、直接かけられた魔法薬が効いたからだった。
「シュリス! 気がついた⁉︎」
「ソラ。うん、大丈夫よ」
パタパタと駆けてきたソラは、シュリスを見てホッと頬を緩めると、シュンと尻尾を垂らしてエルメリーゼに目を向けた。
「ごめん、何もない」
「そう……困ったわね」
「クソッ! リーバル、一度離れるぞ!」
二人がそう言葉を交わした矢先、ブワリと空気が動いてラルクスの怒声が響いた。
ハッとして顔を上げれば、ゼルエダを覆う黒い靄はますます濃くなって、ラルクスたちの作る結界壁すら巻き込むように瘴気が噴き上げている。
ラルクスとリーバルが後ろ飛びに距離を取るのと同時、その壁がパリパリと音を立てて壊れ、強い瘴気が吹き付けた。
「――聖結界!」
「ラルク、みんな!」
間一髪、シュリスが構築した神聖結界で、すぐそばにいたエルメリーゼとソラは守られたが、他の四人は再び壁に叩きつけられる。
悲鳴を上げたエルメリーゼに、シュリスは目を向けないままトリスタンのマントを渡した。
「ゼルエダを取り戻してきます。お二人はここから動かないで」
「シュリス!」
聖結界から外へ出た先は、驚くほど濃い瘴気の嵐だ。けれどシュリスの纏う神使のローブが淡く光を放ち、シュリスは迷わずにゼルエダの元へ駆けて行った。




