50:出来ることは
愕然とするゼルエダの隣で、シュリスも驚き顔を歪めた。ゼルエダは単純にショックを受けただけだが、シュリスは信じられないというよりも、なぜ忘れていたのかという思いからだ。
ラルクスの話を聞いた直後、シュリスの脳裏にはアルレクのゲーム開始前に流れるオープニングムービーの映像が浮かんでいた。
(そういえばそうだったわ。毎回スキップしていたけれど、あれだけ何回も見ていたのに思い出せなかったなんて)
元々この世界に魔族はいなかった。瘴気から生まれる魔物はいても、魔王も魔族も存在しなかったのだ。
当然魔大陸も存在せず、世界にある三つの大陸全てに人や獣人、エルフたちが住んでいた。
けれどある時、強欲な人族の王が世界征服を目論んだ。戦いに魔物の力を使えないかと研究させ、操る術を手に入れた王は次々に周辺国を征服し、やがて一つの大陸を手中に収める。
後に魔大陸と呼ばれる事になるその大陸を制覇しても、王の欲望は止まらない。残り二つの大陸に向けて侵略戦争は続けられていく。
危険を感じた他の国々は種族を越えて立ち上がり、協力して一度は王を追い詰めるが、そこで王は禁忌とされていた魔物との融合を果たし魔王となる。そればかりか、魔王は臣下や国民たちをも魔物化して魔族へ変えてしまった。
そこから千年もの間、世界の覇権を巡り魔王と人間たちの戦いは続いたが、最終的に魔大陸ごと魔王は封印されて一時の平和が訪れた。
オープニングムービーではこの魔王と魔族の成り立ちが描かれ、ゲームスタートとなる勇者召喚へと場面が変わる。
三千年の時を経て復活した魔王を倒して欲しいと、召喚されたプレイヤーは大神官と聖女に請われるのだ。
そんな事を思い出していると、ゼルエダが拳を握りしめ、強い眼差しをラルクスに向けた。
「どうしてそんな話をずっと教えてくれなかったんですか」
「力を求めるバカはどこにでもいる。禁術の存在を知ったら、魔族と同じ力を得ようとする者がまた出てこないとも限らないだろう? それに、元は同じ人だったと聞いて冷静に倒せるか?」
「それは……」
ラルクスに淡々と言われ、ゼルエダは気まずげに口籠る。シュリスはそれを聞きながら、同じ事がアルレクでも語られていたなと思い返した。
魔王を倒すためわざわざ勇者を召喚したのは、この世界の人間では誘惑や恐怖に襲われて倒せないかもしれない、という危機感があったからだと。
「そもそもエルフ族としては、出来るならこの戦いに人族を関わらせたくなかったんだ。戦力として無視できないからこうして頼らざるを得なかったが、それでも魔王との戦いでは外そうかと考えてもいた」
二百年前、封印に綻びが見つかってからというもの、エルフ族は魔王復活に備えて種族の差を越えて協力し合えるよう世界各地を巡って準備を整えた。それでも最後の最後だけは人族を外すつもりだったのだが、そこに神託が下された。
黒髪黒目は、黒豹や黒狼の獣人を除けば人族にしか現れない特徴だ。それが魔王討伐に必要だと言われれば、最終決戦でも除外する事など出来ない。
だからこれを話すかどうかは、同行するラルクスとリーバルに任されていたのだという。
「まあ俺にはエルもいたし人族もそう愚かじゃないと知っていたから、そんな懸念は馬鹿らしいと思っていたが……。シュリスの話を聞くと、もしかすると本当に何かあったのかもしれないな。長たちも、何の根拠もなく言ったりしないはずなんだ」
三千年前の戦いに参加していただろうローブの少女が泣いていたのは、魔王討伐を目前に何か問題があったからではないだろうか。人族が躊躇ったか、もしくは禁術に触れようとした事があって討伐に失敗し、封印に至ったのではないか。
だから注意を促してきたのではと、ラルクスは話す。
「もし魔王が自身を倒しに来る人族を……つまりゼルエダを魔族にしようと考えていたなら、ハロスの残した言葉にも説明がつくだろう?」
「僕は魔族になんかなりません」
「それは俺だって信じているさ。だからこそ、お前にはこうやって打ち明けたんだ。むしろ向こうが何か仕掛けてくる可能性を考えた方がいい」
ラルクスが話してくれたのは、あくまでも予想の一つに過ぎない。実際に三千年前に何があったのか、ここにいる誰も分からないのだ。
「こんなことになるなら多少無理してでも、もう少し大婆様から話を聞いておけば良かったわね」
「逆にハッキリとは長たちにも伝わっていないんだろう。危険が明確に分かってるなら、ちゃんと伝えてくれたはずだ」
大婆様というのは、先代のエルフ族長だった人物だとシュリスは聞いている。エルフ族でも稀な千歳を越える長寿でエルメリーゼとも親しくしていたが、魔王復活を目前に亡くなり代替わりしたそうだ。
悔しげに呟いたエルメリーゼに、ラルクスが宥めるように語りかける。ゼルエダが困惑した様子で、チラリとシュリスを見やった。
「シュリスの神託でも、詳しいことは分からないんだよね?」
「うん……ごめんね、ゼルエダ」
「いいんだ。ただ、困ったな。僕は何をどう気をつければいいんだろう」
魔王討伐には勇者と聖女の協力が不可欠なのだから、どうあってもゼルエダは先へ進まなくてはならない。
せっかく勇者の剣も手に入れて先行きが明るくなっていたというのに、不気味な罠が待ち構えているかもしれないと分かり一気に気持ちが沈んでいく。
特にここ最近は、シュリスの知識で順調に進んでいたのだ。ここに来て手探りとなると、より一層不安は増していく。
ゼルエダと共にシュリスも俯くと、エルメリーゼが急にパンと手を叩いた。
「悩んでいても仕方ないわよ! 何かあるにしてもやることは変わらない。そうでしょう?」
「エル、気持ちは分かるが強引過ぎるぞ。大体、さっきまでお前も不安がってただろうが」
「さっきはさっき、今は今よ! もしゼルエダが怯んだら、私たちが代わりにトドメを刺せばいい。もしゼルエダが魔族にされそうになったら、その術を破ればいい。そう私たちは決めていたわけじゃない? だから安心しなさい、二人とも。賢者の名にかけて、私がどうにかしてあげるから!」
「それはそうだが、大きく出過ぎじゃないか? 賢者の名にかけてって」
「何よ。文句あるっていうの?」
「そりゃあるさ。お前一人でやるわけじゃないからな」
ラルクスたちが話すにしろ違う方法にしろ、何らかの形でゼルエダが魔王の成り立ちを知った時のために、秘密を知っていたエルメリーゼとラルクス、リーバルたちエルフ族は、最初からそんな事を決めていたそうだ。
何の根拠もないだろうに、胸を張って言うエルメリーゼの姿はアルレクでは見れなかったものだ。言葉にはされないけれど、最悪の場合は再び魔王を封印する事も考えているのでは、とシュリスは思い当たる。
何せ元々、魔大陸の封印はエルフ族と人族が協力して行った事なのだから、賢者夫妻なら可能なはずだ。
互いに言い合いながらも夫婦仲の良さを見せつける二人を眺めて、改めてここはゲームではなく現実なのだとシュリスは思う。
アルレクなら、魔王を倒せなければゲームは終わらなかった。けれど現実ならどんな形であれ危険を排除し、皆で生きて帰る事さえ出来ればそれでいいのではないだろうか。
「ゼルエダ、私も頑張るよ」
「シュリス……?」
「何があってもゼルエダは私が守るわ。どんな怪我だって治してみせるから」
シュリスにとって一番大切なのは、ゼルエダと生き残る事だ。世界が平和である事は、ゼルエダと生きるために必要だというだけでしかない。
聖女としてではなく、シュリス個人の想いに立ち返りゼルエダに告げると、ゼルエダはフッと笑った。
「シュリスはやっぱりカッコいいね。僕が守ろうって思ってたのに、いつまでも敵わないや」
「そんなことないよ。ゼルエダはすごく強くなったじゃない」
「ううん、僕はまだまだだ。でも僕だって諦めたくないし、何があっても魔族になったりしない。魔王だって必ず倒してみせるよ。だからシュリスも、無茶しないでね」
「ありがとう。ゼルエダもね」
二人がニッコリ笑い合うと、いつの間にか言い合いを収めていたエルメリーゼとラルクスが温かな目で見つめていた。
気恥ずかしく感じて、シュリスは慌てて立ち上がる。
「あの、遅くまでありがとうございました! 私はそろそろお暇しますね。おやすみなさい!」
「あっ、僕も戻ります。ありがとうございました!」
「おう、ゆっくり休めよ」
「おやすみ二人とも」
急いでテントを出たシュリスとゼルエダは、互いに赤く染まっている頬を誤魔化すように微笑み合った。
「じゃあ、また明日ね。おやすみ、勇者さま」
「うん、話せて良かったよ。おやすみ、聖女さま。良い夢を」
色々不安はあるけれど、頼れる仲間だっているのだからきっとどうにかなるだろう。今はただそう信じたい。
別れ際、ゼルエダの表情からも不安が消えてるのを見て、きっとゼルエダも同じように考えているはずだと感じ、シュリスはホッと息を吐いた。




