5:変わりゆく日常
初めてシュリスに魔法を見せてから、ゼルエダは新しい魔法を覚えると遊びの合間に披露するようになった。
シュリスにとって、どうやら呪文は恥ずかしいものらしいと知ったため、ゼルエダは呪文を短くする短縮詠唱や口に出さずとも魔法を使える無詠唱の習得にも挑戦している。
独学で出来る事には限りがあるだろうに努力を続けるゼルエダを、シュリスは素直に凄いと思う。そう伝えると、ゼルエダはさらに魔法の練習にのめり込んでいった。
そしてシュリスも成長するにつれて、村長の一人娘として勉学に励む必要が出てきた。次期村長となるシュリスには、学ぶべき事がたくさんある。
それでもゼルエダと過ごす時間は穏やかで楽しく、シュリスにとってかけがえのないものだ。シュリスは自由時間には必ずゼルエダに会いに行った。
時に励まし合い競い合いながら友情を育む二人の関係を、シュリスの両親は静かに見守っている。
ゼルエダとばかり遊ぶようになってしまったシュリスに、友人たちは不満をぶつける事もあったが、そんな時は森のお土産を渡す事で納得してもらった。
これならいつかゼルエダの事も受け入れてもらえるのでは、とシュリスは思う。森の恵みにはそれだけの魅力があった。
「ねえ、ゼルエダ。今度私の友達も連れてきていい?」
「それは……」
「悪いようにはしないって約束するから。ね?」
次期村長になるべく勉強する中で、村を纏めるためには村民同士の諍いの仲裁に入る必要もあると教わった事もあり、ゼルエダの孤立をどうにか出来ないかとシュリスはずっと考えていた。
そこでシュリスは、友人たちに森のお土産を渡しつつゼルエダの良い所をひたすらに伝えるようにした。二人が十歳を迎えた頃、そろそろ良い頃合いだとシュリスは先へ進む事を決めた。
ゼルエダは渋々ながらもどうにか頷いてくれたから、シュリスは数人の友人たちを誘い、ゼルエダと森へ入った。
相変わらずゼルエダは全身をローブで隠したままだし、友人たちはシュリスとばかり話していたが、ゼルエダが魔法を使って木の実を集めると互いの距離は一気に縮まった。
「うわぁ、すごい! 今の何?」
「ま、魔法だけど……」
「すげー! おれ、魔法なんて初めて見た!」
元々、シュリスが選んで連れてきた素直な子たちだ。彼らは目を輝かせてゼルエダに話しかけるようになり、ゼルエダはオドオドしつつも何とか答える。
そうして丸一日森で遊んだだけで、ゼルエダはともかく友人たちはすっかり気を許してしまった。
「なあ、また遊びに来てもいいか?」
「えっと……シュリスと一緒なら」
「あー、そうだよな。おれたち、ずっとお前避けてたし。ごめんな?」
「私もごめんね! 必ずシュリスちゃんと一緒に来るから、また遊んでくれる?」
「う、うん……」
この日を境に、数人の子どもたちがゼルエダを訪ねるようになった。最初こそゼルエダはなかなか受け入れられない様子だったが、回数を重ねる事で少しずつ心を開いていった。
ずっとゼルエダを心配していたルッツォも、それを見て安心したのだろう。「シュリスがいるなら、あいつももう大丈夫だな」と笑って礼を言われて、シュリスは照れながらも心の底から安堵した。
未だ森から出ようとしないゼルエダも、きっとそのうち村へ来れるようになるだろう。
子どもはそのほとんどが家業を継ぐ事になる。ルッツォの養子となったゼルエダも将来木こりになるはずで、そうなればルッツォと同じように村へ薪を運ぶ必要があった。
とはいえそれがこんな形で訪れるとは、シュリスは全く想像もしていなかった。
「村長! 村長!」
それは二人が十二歳になった年の、酷い雨の日だった。激しい雨音の合間に響いた、家の扉を叩く強い音とゼルエダの焦り声に、シュリスは父親と一緒に玄関へ向かった。
「どうしたんだ、ゼルエダ」
「父さんが! 助けてください!」
この日は滅多にない大雨が前夜から降り続いており、時計がなければ今がまだ昼間だとは分からないほど外は暗い。
誰もが家へ閉じこもる酷い雨だから、ゼルエダも全身ずぶ濡れになっているだろうとは思っていたが、扉を開けて目にした光景は予想以上に悲惨なものだった。
青白い顔で立つゼルエダの服は、一部が破れたり焦げたりしており、血糊のようなものもベットリと付いている。そしてその背には、グッタリとしたルッツォが毛布に包まれ背負われていた。
「とりあえず中に」
ゼルエダは客間のベッドにルッツォを寝かせる。シュリスはすぐに母を呼び、手当てに必要な布やお湯の準備に走った。
それを見ながら、シュリスの父はゼルエダから話を聞きだした。
「何があった?」
「森から魔物が急に出たんです。それで村に行かせちゃいけないって僕たちで止めようとしたんですけど、父さんが」
雨に紛れて森から唸り声が響いた事で、ルッツォとゼルエダは異変に気付いたという。
熊族のルッツォは強いが、森から出てきた魔物は普段見かけないものばかりだった。二人は必死に応戦したが、ルッツォは倒れてしまったのだ。
「その魔物はどのぐらい残ってるんだ」
「もういません。僕が、倒したから……」
ルッツォが倒れたのを見て、ゼルエダは数年ぶりに魔力を暴走させた。魔物を殲滅する事が出来たから、ゼルエダはルッツォを助けるために走って来たのだと話した。
「村長、父さんは」
「このままだと難しいだろうな」
「そんな!」
小さな村に薬師はおらず、怪我や病は各家庭で癒すしかない。それでもどうしようもない時は、村で最も薬を持っている村長を頼るのが常だったから、ゼルエダも必死にルッツォを運んで来た。
けれどルッツォの傷は深く、応急処置だけではとても助からないだろう。獣人族は総じて頑丈で傷の治りも早いが、自己治癒にも限界があるのは明らかだった。
「とにかく君はこのままルッツォのそばにいてあげなさい。私は町まで飛べないか聞きに行ってくる」
唯一ルッツォが助かるとすれば、神官に治癒魔法を施してもらう事だけだ。死なない限り欠損を含めたどんな怪我でも治せる治癒魔法は、神殿の神官だけが使える神聖なものだった。
一番近い神殿は馬車で三日もかかるほど離れた町にあるが、ロッチェたち大鷲族なら一日もかからずに飛べる。ロッチェの父なら人一人ぐらいは抱えて飛べるから、神官を連れてくる事も出来るだろう。
治癒魔法を頼むには寄付金も必要になるが、ルッツォは村を魔物から守った恩人だ。村長としてその金を出すのに、シュリスの父に迷いはない。
ただ問題は、激しく降り続いている雨だった。
雨の中、家の外へ出て行く村長をゼルエダは不安そうに顔を歪めて見送った。そんなゼルエダ自身も体中に傷を負っており、シュリスは励ましながら傷の手当てをしていく。
けれど願い虚しく、ロッチェの父が飛べる程度に雨足が弱くなるまで、ルッツォは耐え切る事が出来なかった。雨上がりの空には大きな虹がかかったが、村長の家にはゼルエダの慟哭が響いた。