45:アルレクの勇者
サビルが目覚めたのは、バスティアン王国奪還から三日後の事だった。混成軍の指揮官たちと共に、魔大陸上陸作戦について話し合っていたゼルエダとシュリスは、知らせを聞いてすぐにサビルの元へ向かった。
テントの中へ入るとサビルは上体を起こし、フィデスの手を借りて食事をとっている所だった。
「師匠……!」
「ゼルエダ、シュリス。心配かけたね。二人のおかげで生き延びたよ。ありがとう」
片腕が戻らなかった理由をすでに聞いたはずなのに、サビルは思った以上に元気だった。
顔色はよく微笑みすら浮かべているが、それを見たゼルエダの方が苦しげに顔を歪めた。
「すみませんでした。僕たちが離れていたばかりに」
「それは違うな、ゼルエダ。あの魔族はハロスと名乗っていたが、ハロス相手では君と二人がかりでも難しかったろう。むしろ君がいなかったことで、私は助かった」
作戦上、サビルたち主力は広範囲に渡って展開し、魔王軍を包囲する形で押し返していたから、エルメリーゼたちとは離れていたそうだ。
そこへハロスが現れ、サビルに襲いかかってきた。シュリスたちはサビルが最後の力を振り絞ってハロスを退けたと聞いていたが、実際にはサビルの片腕を落とすと、もう用はないとばかりに撤退して行ったらしい。海中へ姿を消したゼルエダを探しに行ったのだ。
ハロスの狙いは勇者の身を瘴気で侵す事だったのではと、サビルは話した。
「実際この傷は、神使のローブを手に入れたシュリスでも完治出来なかった。あの攻撃を受ければ、普通に殺すより影響は大きいだろう。軍への動揺は言わなくても分かると思うが、何人もの神官を治療で潰すことも出来たわけだからね」
非道なやり方に、ゼルエダは声もなく顔を顰める。
そんなゼルエダの隣で、しかしシュリスは違う事に気を取られていた。
「サビルさん、ハロスの姿って前と同じでしたか?」
「いや、角が一本折れていたのと、全身が濃い紫色に染まっていた。何かあるのか?」
「はい。その魔族なら知っているので」
件の魔族の本当の名前を聞いた時、シュリスの頭に浮かんだのはアルレクのボスの中でも魔王に次いで攻略難易度の高い敵キャラだった。
プレイヤーの間では死神と呼ばれていたほどいやらしい攻撃を仕掛けてくる相手で、よりによって勇者の最強装備を手に入れるダンジョンのボスだったのだ。
けれど、対策法はシュリスも覚えている。幸い、それに必要な仲間たちも最強装備を揃えているし、次に見えれば確実に倒せるだろう。
「神託に出てきた相手だったのか。それなら私が負けたのも納得だな」
「先に分かってたら良かったんですけど……ごめんなさい。まさかこの戦いで出てくるとは思わなくて」
「私なら大丈夫だ。勝てる見込みはあるんだろう?」
「はい、それはもちろん」
「それなら気にしなくていい。さすがに今まで通りとはいかないが、腕が一本残っていれば私はまだ戦えるから」
穏やかなサビルの言葉に、ゼルエダがハッとして顔を上げた。
「師匠、まだ戦いに出るつもりなんですか⁉︎」
「もちろん。私が健在だとみんなに見せなくてはいけないからね」
「ですが、その腕では」
「言っただろう? 一本あれば充分だ。それに今後は後方からの遠距離攻撃に徹するよ。前線には立たない。だから実質、勇者はゼルエダ一人になるが任せてもいいか?」
以前のゼルエダなら、自分一人が勇者と呼ばれる責任感に押し潰されていただろう。けれど成長したゼルエダには、それを背負う覚悟がある。
それに、もしここで不安を一片でも見せれば、サビルは無理を押してでも前線へ立とうとするはずだ。それだけは阻止しなくてはならない。
考えようによっては、ある意味絶好の機会とも言えるのだ。唯一の勇者となれば、聖女となったシュリスの隣に堂々と立つ事も出来る。
そう自分を鼓舞して、ゼルエダは神妙な面持ちで頷いた。
「はい。それは任せてください」
「良かった、安心したよ。あとは頼んだよ、勇者ゼルエダ」
真剣な眼差しで言葉を交わす師弟を、シュリスは複雑な思いで眺めた。
現実とゲームは違うと、これまで何度も思ってきた。その最たるものが、召喚されなかった勇者の代わりに複数の勇者が立った事だ。
けれど結局、勇者はゼルエダ一人になってしまった。勇者を召喚出来ない現実でそう決まったのなら、ゼルエダは正しく勇者と言えるのではないか。
(諦めていたけれど、勇者の装備も手に入れた方がいいのかな。ハロスとの戦いは、いつか必ず起きるだろうし)
アルレクでは、勇者の最強装備を無理に手にせずとも魔王を倒す事は出来た。最終戦の難易度が変わるが、工夫次第で倒せるのだ。
幸い現実では、シュリスが覚えている限りの仲間たちが全て集まっているから、苦戦は避けられないものの不可能ではないだろう。それに勇者本人でなければ装備はおろか入手すら出来ないため、シュリスは端から考えていなかった。
けれどこの世界での勇者がゼルエダと決まった今なら、もしかしたら手に入れられるのではないだろうか。それがあれば、格段にラスボス戦は楽になるはずだ。
(もし本当にゼルエダが勇者の剣を手に入れられたなら、アルレクの主人公がゼルエダってことになるのよね。そうしたら、聖女の私は……)
アルレクの醍醐味は、サブ要素の恋愛シミュレーションにもある。エルメリーゼはラルクスがいるから除外出来るとして、もしそれもアルレクと同じなら、シュリスを含めたメインで仲間になる残り五人は全員が対象者になる。
ゼルエダが男女どちらを好むのか、シュリスは面と向かって聞いた事などない。けれど可能性としては、シュリスも選ばれる可能性はあるわけで。
「シュリス、どうしたの? 顔が赤いよ?」
「な、なんでもない! 人が多くてちょっと暑いのかも。外で涼んでくるね!」
アルレクでの聖女ルートのエンディングスチルをゼルエダと自分を当てはめて思い浮かべてしまったシュリスは、ゼルエダの指摘から逃げるように慌ててテントを飛び出した。
今のところ、ゼルエダは仲間の誰とも恋愛イベントをこなしていない。ただ最もそばにいるのは間違いなくシュリスで、好感度は他の皆より確実に高いだろう。
期待しても、いいのだろうか。
(違う、そうじゃないわ。だってこれはゲームじゃなくて現実なんだから。イベントも好感度もあるかどうか分からないのよ)
土埃の混じる乾いた風を感じながら、シュリスは気持ちを落ち着けようと息を吐き出す。
今確実に言えるのは、ゼルエダの気持ちじゃない。シュリス自身がゼルエダを好きだという事だけだ。
(どう転んでも、この戦いが終わったら気持ちを伝えればいいだけよ。……これじゃまるでフラグみたいだけど、死んでなるものですか)
これから魔大陸へ攻め込むのだから、恋愛ごとに現を抜かしている暇はない。清浄な青さを取り戻した島の空を仰いで、シュリスは気を引き締めた。




