4:前世の記憶
本日メインタイトルの一部を変更しましたが、本編ストーリーに変わりはありません。
完結までコツコツ書いていきますので、引き続きよろしくお願いします!
ゼルエダが化け物だという噂は、子どもたちの間であっという間に広がった。村長はそうではないと諭したが、大人でも一部はゼルエダを避けるようになったし、どちらにせよ変わった色合いのゼルエダを子どもたちは受け入れようとしない。
どうにかしてゼルエダを村に馴染ませたいと思っていたルッツォも、その様子に諦めてしまった。ゼルエダはその日以降すっかり村内へ顔を出さなくなり、シュリスは自分がゼルエダを訪ねると決めた。
「ゼルエダ、こんにちは。遊びに来たわ」
「シュリス、いらっしゃい」
ゼルエダとルッツォの住まいは、丸太で出来た小さな家だ。ゼルエダが村へやって来た時から二年も経つ頃には、シュリスにとって見慣れたものになった。
その家の扉を、八歳になったシュリスが昼食の入ったバスケットを片手にノックすると、ゼルエダはすぐに顔を出した。テーブルの上には、ゼルエダが読んでいたのだろう古びた本が一冊置かれていた。
当初シュリスの両親は、シュリスがゼルエダの家へ行くのを止めようとした。ゼルエダの家は村外れにあり、すぐそばの森では魔物も時折出るからだ。
しかし再三の説得に折れ、必ず日暮れ前に帰る事や森には一人で入らない事を条件に、遊びに行くのを許してくれた。
ゼルエダも、初めは自分と仲良くするとシュリスも虐められるのではと危惧し、距離を置こうとした。ゼルエダにとって村の少年たちから受けた仕打ちは、両親と旅をしていた頃もよくある事だったのだ。
純血の人族は世界的に見ても年々数を減らしており、今ではゼルエダのような真っ黒な髪と瞳を持つ者は滅多に生まれない。人は誰しも見慣れないものに警戒心や不安を抱くものだ。ゼルエダにとっては不幸な事だが、どうにも避けられない事だった。
だからゼルエダは、シュリスが怖がらずに親しくしてくれた事が嬉しかったし、獣人ではない自分の色は忌避される物なのだと明かすのを躊躇していた。けれどシュリスは、そんな事などお構いなしにやって来る。
ガルニ村は小さな村で、収穫期や種まきの時期にはシュリスも畑仕事に駆り出されるが、それでも村長の娘だ。シュリスの父は上手に村を纏めていて村民たちからの信頼も厚いため、シュリスに手を出そうとする者はいないのだ。
そんなわけでゼルエダは、結局押しの強いシュリスに根負けして二人で遊ぶようになっていた。
「今日はどうする? 父さんは村に行ってるけど」
「そろそろ星柿が熟れてると思うし、森に行きましょうよ」
シュリスがゼルエダの家へ遊びに来るようになってからというもの、二人はルッツォの仕事について森に入り、ついでに森の歩き方も教わっていた。
八歳になった二人はつい先日、森の浅い所までなら二人で入ってもいいと、ルッツォから許可を得たばかりだった。
ゼルエダは懐に本を入れ腰に大振りのナイフを差すと、先導して森の中へ入って行った。
村へ行けなくなってから、ゼルエダはせめて森での仕事を手伝えるようにとルッツォから戦い方を習っている。覚えの良いゼルエダは、小型の魔物や獣なら一人で倒せるほど腕を上げているのだ。
ガルニ村のあるレカルド王国は年中穏やかな気候で、森には木の実やキノコなど多種多様な恵みがたくさんある。これらをお土産に持ち帰るようになってから、シュリスの母はゼルエダの元へ快く送り出してくれるようになっていた。
艶々とした黄色い星柿は、そんなシュリスの母の大好物だ。完熟した物ならそのまま食べてもいいし、ジャムにしても美味しくなる。
数日前に目を付けていた星柿の木には、さほど時間もかからずにたどり着く事が出来た。
「うーん、低い方のは取られちゃってるわね」
森には魔物だけでなく野生の獣もたくさんいる。低い枝にあった星柿はすでに他の動物に食べられており、完熟したものは枝の高い位置に僅かに残るだけだ。
シュリスもゼルエダも木登りは得意だが、いくら何でも高すぎる。諦めるべきかとシュリスが悩んでいると、ゼルエダが一歩踏み出した。
「シュリス、僕にちょっと試させて」
ゼルエダは言いながら、懐から古びた本を取り出した。一昔前は本を買うには屋敷一軒程度の金が必要だったが、生活に便利な魔法をたくさん作り出した賢者のおかげで印刷技術が発展し、今では庶民でも少し頑張れば本を手に入れる事が出来る。
それでもゼルエダの持つ本は高価なもので、シュリスの父経由で領主から贈られた品だ。魔力コントロールや魔法の使い方について詳しく書かれているため、ゼルエダはこの二年繰り返し大切に読みながら練習を続けてきた。
本のページに目を通しておさらいすると、ゼルエダは一つ息を吐く。そうして星柿を見上げると、枝に向けて手を真っ直ぐに伸ばした。
「強き風よ、我が手となりて空を舞え――風の掌!」
ゼルエダの意に沿って、ビュウッと一陣の風が吹いて枝を揺らす。樹上にあった星柿が枝を離れて舞い上がり、ゆっくりとゼルエダの手に落ちてきた。
「すごいわ、ゼルエダ! 魔法を使えるようになったのね!」
「うん、上手くいって良かったよ」
シュリスが歓声を上げると、ゼルエダは照れくさそうにはにかんだ。
頬を紅潮させたゼルエダに、シュリスは思ったままを口にした。
「それにしてもビックリしたわ。やっぱり呪文って厨二病みたいなものなのね」
「チューニビョー?」
不思議そうに首を傾げたゼルエダを見て、シュリスはハッとした。
(そうだわ、この世界にはない言葉なんだ。……この世界って?)
そう思った瞬間、シュリスは自分に生まれる前にいた別世界の記憶がある事に気が付いた。
「シュリス? どうしたの?」
「あ……ううん、なんでもないの」
その場は何とか誤魔化したが、この時からシュリスは少しずつ日本人として生きていた頃の記憶を思い出し始めた。
それは断片的なものばかりで、自分がどんな名前で家族とどう暮らしていたのか、なぜ死んだのかなど細かな事は分からない。
けれど、ガルニ村とは全く違う景色や文化、文明を体感していた事はハッキリと思い出され、何よりも黒髪黒眼に惹かれる理由を知る事が出来た。
(日本を懐かしく思うから、私はゼルエダの色が好きなんだわ)
ゼルエダの顔立ちは、日本人というよりは欧米人のような彫りの深さと肌の白さだ。それでも赤や黄色のみならず、緑や水色にピンク色など、生まれながらの髪や瞳の色彩が豊かなこの世界の人々の中で、前世で見慣れた黒い色味はシュリスの心に安らぎを与えてくれる。
何せシュリス自身も、ゼルエダと同じく欧米人のような姿形なのだ。亜麻色の髪は猫っ毛で柔らかく、榛色の瞳はつぶらで愛らしい。鏡に映る自分の姿はそれなりに気に入ってはいるものの、落ち着くかというと少し違うと感じていた。
けれどゼルエダを見ていると、自分の居場所がここにあるような気がしてくる。
シュリスはそんな気持ちに気付いてからというもの、ますますゼルエダの家へ遊びに行くようになった。