32:修行の日々
生まれ変わったこの世界がゲームとは違うと何度も思っていたはずなのに、まだまだ認識が足りなかったのかもしれない。
そんな事を思ってしまうぐらい、翌日から始まった賢者の家での修行はアルレクでのそれとは違い、想像以上に過酷なものだった。
「……ぐぁっ!」
「ゼルエダ!」
「このぐらいで倒れてどうすんだ。ほら、さっさと立て」
アルレクではミニゲームだったりクイズ形式だったり、いくつかのミッションをクリアして魔法を取得した上で、最後に魔物討伐に繰り出してレベルとステータスを上げるものだった。
キャラ同士の親密度を上げるイベントも起こり、連携技なども取得して楽しかったと記憶している。
けれど現実に体験しているのは、血と汗に塗れた泥臭いものだ。
ゼルエダに課せられるのは実践に次ぐ実践で、ラルクスとエルメリーゼに剣や魔法で容赦なくボコボコに叩きのめされる。対してシュリスには座学と実践が求められ、覚えたばかりの構築術を駆使して定められた制限下でゼルエダを癒さなくてはならない。
少しでもシュリスがミスをすれば、ゼルエダの傷は治らないまま次の鍛錬が始まってしまうから、シュリスはとにかく必死だ。
これだけ激しい修行なのだから、レベルアップは確実に出来るだろう。けれどそれにしたって、あまりに力技だとシュリスは思う。
「ゼルエダ、ごめんね。大丈夫?」
「……っ、平気だよ。ありがとう」
シュリスは戸惑うばかりだが、ゼルエダは何度も立ち上がり貪欲に食らい付いていく。
魔族に手も足も出ないまま負けた事が余程悔しかったのだろう。このままではいけないという危機感も強いに違いない。
自分も同じように頑張らなくてはならないというのに、ゲームの記憶に引きずられるシュリスには受け入れ難い現状だ。
特にゼルエダは、聖女となるはずのシュリスと違って本来何の関係もないのだ。生贄を回避したら村に帰ってもいいのだけれど、ゼルエダはそれを選ばないだろう。シュリスを守りたい一心で努力を続けており、傷だらけのゼルエダを見る度に巻き込んでしまったと、シュリスには自責の念が湧いてくる。
それでも立ち止まる事は出来ないから、涙を堪えてゼルエダに癒しの手を伸ばす。そんな毎日の繰り返しは、少しずつシュリスの心を削っていく。
とはいえ辛く苦しい日々にも、僅かな安らぎはある。その最たるものは、三食きっちり振る舞われる手料理だろう。
体作りのために栄養バランスを考え抜かれたそれは、意外にもラルクスの手によるものだ。
森に住むエルフ族はハーブを始めとする薬草類に詳しい。そのためラルクスの料理は絶品だそうで、サビルも喜んで食べていたのだと昔話を聞きながらの食事時だけは穏やかに過ごせた。
そうして一日が終わると、ゼルエダは死んだように眠りにつく。水を浴びる気力もないが、生活魔法の一つである体や服を綺麗に洗浄する魔法を使うから清潔さは保てるだけマシだろう。
そんな中で、シュリスは毎晩エルメリーゼに呼び出される。その時はひたすらアルレクの話をさせられるのだ。
必要な事はすでに話しているのに、それでも根掘り葉掘りきかれるのはただの興味かと始めは思っていたのだが。実はそれが、現実には存在しないゲームならではのものを再現するためなのだと、ある時分かる事になった。
「ようやく出来たのよ。これを見て。 ――ステータスオープン!」
腕輪に嵌められた魔石の一つにエルメリーゼが指を当てると、中空に半透明のパネルのような物が現れて文字が浮かび上がった。
年齢、性別、種族はもちろん、レベルや魔力、体力残量、習得魔法一覧など、まさしくアルレクで見た状態表示だ。これを作るために呼び出されていたのかと、シュリスは唖然とした。
「話を聞いた時から便利だと思っていたのよ。特にこのレベルね。自分がどれだけ成長したのかが分かれば、やる気に繋がるでしょう?」
「す、すごいです。まさかこんなのが作れちゃうなんて……」
「他にもね、アイテムボックスだったかしら? 収納魔法でしまった物を表示出来るようにもしてあるし、地図を表示させる機能もつけたの。あなたたちにもあげるわ」
魔法の鞄に刻まれている魔法陣の元である収納魔法は、ゲームでは勇者だけが使えたアイテムボックスに酷似している。
収納数に限りのあるマギアバッグと違い、収納魔法は異空間へ無限に品物をしまう事が出来るが、脳内イメージで取り出すため入れた品物の存在を忘れてしまうと永遠に出せなくなってしまう。
それを改良して魔道具と連動させる事で、エルメリーゼはアイテムボックスを擬似再現させた。収納魔法には膨大な魔力が必要なためゼルエダはともかくシュリスは使えないのだが、マギアバッグとも連動出来るようだ。収納物が一覧で出てくるから、これはこれで便利になった。
魔法だけでなく魔道具にまで精通しているなんて、賢者という名は伊達ではないと、つくづく感じてしまう。
ゼルエダの分もと二つの腕輪を渡されてシュリスが感動していると、すでに完成品を貰い受けていたらしいラルクスがニヤリと笑った。
「地図はどこかの方向音痴しか必要ないかもしれないがな」
「もう、余計なこと言わないでよ! 恥ずかしいから黙ってたのに!」
顔を真っ赤にして怒るエルメリーゼを見て、そういえば賢者はひどい方向音痴だったとシュリスの記憶が蘇る。
夫婦で言い合いをする姿なんて、ゲームのツンデレ賢者からは想像もつかないけれど、やはり同一人物なのだ。それを知れたのは、無謀だと分かっていながらもゼルエダの生存を望み、シュリスが行動してきたからに他ならない。
ゲームと同じ部分もあれば違う部分もあるけれど、こうして一つ一つ必要だと思う事を頑張っていけば、いつか望む未来にたどり着けるのかもしれない。むしろそのために、今はできる限りの事をしなければならないだろう。
そう考えれば、ゲームとは違いすぎる苦しい修行も頑張れるかもしれないとシュリスは思う。
そんなシュリスの思いを読み取ったのか、エルメリーゼは穏やかな笑みを向けた。
「気に入ってくれたみたいね。これで頑張れそう?」
「はい。頑張ります!」
シュリスの悩みを、賢者夫婦はちゃんと気付いていたらしい。気遣ってもらえて嬉しいような恥ずかしいような、複雑な思いを抱きながらもシュリスは頷きを返す。
痛みに呻くゼルエダを見たくなければ、即座に治せるようになればいい。現実となったこの世界には、アルレクにはなかった魔法もたくさんある。
ゲームの聖女を追いかけるのではなく、生きている自分自身の成長を求めていこうと、シュリスは心を改めた。その結果、シュリスもゼルエダもグングンと実力を伸ばしていくのだった。




