30:賢者夫婦
アルケーの森にある賢者の家は、絵本にでも出てきそうな可愛らしい小さな木組みの家だった。屋根から突き出た石の煙突からモクモクと煙が上がっていて、肉の焼けるような香ばしい香りが辺りに漂っている。
その家へ続く踏み固められた土の小道を通って、ラルクスは玄関扉を無造作に開けた。
「帰ったぞ」
家の中は、小ぢんまりとした外観からは考えられないほど広かった。夫婦で慎ましく暮らしているからか調度品は落ち着いた雰囲気でまとめられているが、家に入ってすぐは吹き抜けの広々とした居間になっており、壁沿いに階段がついて上下階それぞれに他の部屋へ続く複数の扉がある。
これは、家自体に空間拡張の魔法がかけられているからだ。シュリスはアルレクで見ているから驚かなかったが、初見のゼルエダは唖然として玄関口で佇んだ。
そんな二人を放置して、ラルクスは奥の部屋へ声を投げた。
「エル、お前に客だ」
「ラルク! 突然いなくならないでよ! 教えてくれるって言ったのに、焦げそうで大変だったんだから!」
「火を強めたのか? あのまま放っとけば良かったってのに」
「だってちゃんと焼けるか不安で……キャア!」
「馬鹿、何やってんだ!」
ガタンバタンと音が響いて、ラルクスが奥へ駆け込む。ゼルエダがビクリと肩を震わせ、それまで平然としていたシュリスも違和感を感じて思わず眉根を寄せた。
アルレクに出てきた賢者は、普段は冷たくて辛辣なのだ。親密度が上がると、勇者にだけ照れ顔を見せたりするキャラクターだった。
それがどういうわけか可愛らしい悲鳴を上げているから、本当にシュリスの知る賢者なのかと俄かに不安が湧いてくる。
するとラルクスが、部屋からヒョイと顔を出した。
「おい、シュリスって言ったか?」
「はい、何でしょう」
「お前、神官見習いだったよな? 治癒魔法は使えるか?」
「出来ますよ」
手招かれて奥の部屋へ向かうとそこは台所になっており、賢者エルメリーゼにそっくりな葡萄色の髪をした小柄な女性がいた。
年齢はシュリスとほとんど変わらないように見えるが、彼女が賢者なら二百年以上生きているはずだ。彼女は元々人族だったけれど、エルフ族の秘術で寿命を伸ばしているはずだから。
そんな彼女はエプロン姿で座り込み、火傷をしたのか赤くなった腕を宙に浮かべた水の塊に浸している。
「水魔法を解いてもらえますか」
痛みに顔を歪めたまま頷いた女性の腕に触れて、シュリスは治癒魔法を使った。綺麗に治った腕を見て、女性はホッと息を漏らした。
「ありがとう、助かったわ」
「いえ……。あの、賢者様ですよね?」
「あまりその呼び方は好きじゃないけど、そうよ。エルって呼んで」
いきなり愛称で呼ぶように言われて、シュリスは面食らう。ツンデレ賢者なはずなのに、ツンが行方不明だ。夫のラルクスが生きているから、こんな性格なのだろうか?
思わず食い入るように見つめていると、エルメリーゼは苦笑を浮かべて立ち上がった。
「それで、あなたは?」
場所を居間に移し、シュリスとゼルエダはエルメリーゼと挨拶を交わした。まだ昼食には少し早いが、四人が囲むテーブルの上には焼き立てだという翡翠鳥の丸焼きが置かれている。
森の侵入者に気づいたラルクスは、これの調理途中で出かけていき、一人残されたエルメリーゼがオーブンの火加減を見守っていたらしい。先ほどの火傷は、オーブンから取り出した鉄板をひっくり返したために負った怪我だった。
「私が言った通りだったでしょ? 人族だから大丈夫だって」
「結果的にはそうだが、操られてる可能性だってあるし悪意がないとは限らないだろうが」
「それでもいきなり出て行くことはないと思うわ」
仲が良いのか悪いのか。言い合いを続けながらも、ラルクスはエルメリーゼに味見だと鳥を切り分けている。
向かいに座るシュリスとゼルエダはどんな顔をして良いのか分からず、ただ二人に聞かれた事を答えていた。
「それにしても、神殿に魔族が入り込んでいたなんて……」
「サビルは無事なのか?」
「たぶん大丈夫だと思います。最低限の治療は私がしましたし、放置はされないと思うので」
シュリスは自分たちがここへ来た理由をある程度正直に話した。大神官に化けていた魔族を倒したが、周囲に誤解されて逃げてきたこと。戻れるようになるまでの間、修行させてほしいという事だ。
目の前に座るエルメリーゼは、アルレクの賢者と違う部分が多々あるから修行を受け入れてもらえるか不安だったのだが。意外にもエルメリーゼは、あっさりと頷いた。
「私は構わないわ。サビルの教え子なら信用出来るし、剣はラルクに教わればいいもの。シュリスの修行も、どうにかなると思うし」
「本当ですか⁉︎」
「古代魔法には神聖魔法と似たようなものもあるの。少ない魔力を効率的に使う訓練ならしてあげられるし、治癒魔法を使いやすくはなると思うわ」
さすが賢者と呼ばれるだけあって、エルメリーゼの知識量はとんでもない。自分も修行出来ると分かって、シュリスは安堵した。
だから何気なく口にした。もう一つ、頼んでおきたいことを。
「あの、もし良かったら転移魔法も教えてもらいたいんです」
それを言った瞬間、エルメリーゼとラルクスの視線が重く冷たくなった。




