18:大神殿で
船上で話をして以降、ゼルエダがシュリスを避ける事はなくなった。一ヶ月に及ぶ航海の間も時折二人で話をして笑い合い、東大陸へ着いてからも顔を合わせれば普通に言葉を交わす。
神官たちからすると、出会った時から感情を凍らせているかのように硬い顔をしていたゼルエダが、表情豊かになった事で安心出来たのだろう。皆一様にホッとしていた。
けれどゼルエダの心中は穏やかではない。シュリスとの関わりを取り戻した事で、これまで目を背けてきた想いが眼前に晒されるからだ。
シュリスの笑顔をずっと見ていたい。たとえ想いが遂げられなくても、村の片隅からシュリスの幸せを見守り続けていたかったのにそれが叶わない。もうじき別れが来る事を受け入れたはずで、その身を捧げる事を望んだのも自身なのに辛くなってくる。
だからゼルエダは楽しそうに笑ったりもするが、ふとした瞬間無意識に切なげな憂い顔を浮かべてしまう。
それは本当に僅かな変化だから神官たちは気付かないが、幼い頃から共に過ごしてきたシュリスには手に取るように分かった。
(本当はずっと笑っててほしいけれど……。ゼルエダ、ごめんね)
シュリスの狙いは単に仲直りする事ではなく、引く事でゼルエダの心境に変化を起こさせる事だった。そのためシュリスは胸を痛めつつも安堵するのだ。今の穏やかな時を、ゼルエダが惜しんでいるのだと分かるから。
結局ゼルエダは、シュリスの目論み通りに心を揺さぶられているのだった。
そうしてそれぞれの想いを胸に旅を続け、半年ほど経った頃。シュリスたちはパガーノス神国へ入った。
この世界での神は、創造神ただ一人を指す。創造神を崇めその力を借りて癒しを施すのが世界中に置かれた神殿で、総本山となっているのがパガーノス神国だ。国王はおらず、複数の枢機卿による合議制で運営されている国家で、全国民が神の意思に従い神殿のために働いている。
そんな国の大神殿は、ある意味世界の中枢ともいえる。本殿の荘厳な外観はシュリスの記憶にあるアルレクの始まりの地そのものだったけれど、いざ目の前にすると思っていた以上に立派で圧倒されてしまう。
華美な彫刻が施された太い円柱が何本も並び、美しく配された水と緑が花々と共に彩っている。純白の大理石がふんだんに使われており、一目見ただけで神を祀るに相応しい場所だと誰もが思うだろう。
とはいえそれも、神官たちからすれば見慣れたものだ。呆然としているシュリスとゼルエダを慣れた様子で案内していった。
「ゼルエダは騎士宿舎、シュリスは神官宿舎に部屋を用意してある。部屋は離れているが、食堂は共通だからそう会えないわけじゃない。不安に感じなくていいからね」
大神殿の敷地内には本殿の他にも複数の棟があり、それぞれが宿舎や作業場になっている。本殿裏手にあるそこが、これからシュリスたちの生活の場となる。
「他の候補者も騎士宿舎にいるんですか?」
「男性はそうなるね。女性は神官宿舎の方にいる」
ゼルエダ以外に見つかった黒髪黒目の人物は、男性が二人に女性が一人だった。アルレクでは女性の勇者も選べたからかとシュリスは納得したが、ゼルエダは違った。
「女性もいるんですか……?」
「ああ。年齢も様々だよ。ゼルエダが一番若い」
男性は六十代と四十代、女性は二十代だという。分かっていた事だが全員が人族で、女性に至っては貴族の夫人で子を国に残してきたというから、さすがにシュリスも驚いた。
「よく来てくれましたね。旦那さんは反対しなかったのでしょうか」
「世界の危機だからね。むしろ喜んで送り出されたそうだよ」
何とも世知辛い話に、シュリスとゼルエダは顔を歪める。貴族の婚姻はその多くが政略結婚だと知っているものの、名誉だと喜ばれたと聞いて平静ではいられない。
ゼルエダも村人たちに盛大に送り出されたが、それは家族関係ではなく親しくても知人止まりだったのだから。
「ゼルエダは訓練で会うだろうし、シュリスも顔を合わせる事があるだろう。気になるなら、声をかけてあげたらいい。彼らはみんな目立つからね」
「はい、そうさせてもらいます」
フィデスの話に相槌を打ちながら、シュリスは考える。
家族に送り出されたというその女性自身は、神託についてどう思っているのだろうか。もし本当はこんな役目は嫌だと考えているのなら、脱走計画に協力してもらう事は出来ないだろうか。
ゼルエダを逃がすと決めているものの、他にも黒髪黒目の人物が見つかったと聞いた時から、シュリスは心配だったのだ。彼らのうち誰かが生贄とされるなら、結局勇者は召喚される事になる。
ゼルエダだけ救えればそれでいいのか。生贄になると知らずに命を散らしてしまうのに、見殺しにしてしまっていいのだろうか。そんな想いがシュリスの中にはずっとあった。
勇者が必要なのは分かるけれど、人の命を犠牲にする方法が正しいとはどうしても思えない。いくら神の御告げだと言われても、シュリスには納得出来ないのだ。甘いと言われても、全てを残さず救いたいとシュリスは思う。
男性の候補者二人にもきっと家族はいるはずで、彼らがどう思っているのかも知りたいと思う。もし三人も疑問に思うなら、皆で一緒に逃げてもいいのではないだろうか。
ゼルエダと二人で逃げるのすら困難な事なのに、欲張りだとは思うけれど。それでもシュリスは、自分に出来る最善を模索していた。