第2話 魔族内戦Ⅰ 邪精霊2
(ようやくここまできましたね……)
魔王が待つであろう部屋の大扉を前にして、リードは大きく息を吐いた。
精霊界を追われたあと受肉したとき、土の精霊であるゴーレム種は全身が岩でできたような見た目だったという伝承がある。
ヒューマンたちから魔族と恐れられるアイェウェの民の中でさえも異質なその見た目に、かなりの苦労を強いられたという伝説は疑いようもない。
ほかのアイェウェの民から、魔力が乏しかったり、怪我や呪いで結婚できなくなった者たちを積極的に受け入れ、混血によって見た目をヒューマンタイプに近づけるのに数十世代。
そこから強大な魔力を取り戻すために種族の長にすべての力を集めるという無茶をすることで、ハクトックナイの敗戦時には、藩王を出すまでになっていた。
だが、敗戦の責任を取って三百年間は藩王を出すことができない時代が続いた。
その呪われた足かせがなくなって以来、数人の藩王がゴーレム種から出ている。
しかし、どうしても魔王には手が届かない。
だがそれも今日で終わりだ。
(シャーン様……あなたに含むところはありません。ですが……私は魔王にならなければならない。犠牲になった多くの民のために!)
世代を経るごとに、徐々に種族全体としても魔力を高めてきている。
それでも、邪精霊から最初の魔王を出すのは自分たちゴーレム種だとの想いを強くもつ人々は、競うように長の家系に自らの魔力を捧げる外法を繰り返してきた。
アイェウェの民の基準では、ほぼ魔力を失った人々の行く末は絶望的で、種族の足手まといにならないようにあえてヒューマン領に流れていっては殺される者も多い。
そんな犠牲の上に成り立っている自分という存在を強く意識し、リードは魔王の位を力尽くで得ようと大扉を開けた。
***
「やはり最初に来たのはあなたか、リード=フォーワン殿」
魔王城の大扉を開ける前から気配で分かっていたことではあるが、魔王シャーン=カルダー八世こと石村雅人はつぶやいた。
魔王を自分たちの種族から出させるため、ひたすら長を強くするのが土の邪精霊である。
その最高傑作とも言われるリードが、隙あらば自分の寝首をかこうとしていたことなど、とっくに気づいていた。
長以外は切り捨てるほど徹底して魔王の位を求める彼らに、「異教徒の血にくるぶしまで浸かりながら、聖都を奪還した歓びにむせび泣いた」との伝承が残る、ある前世の宗教が歴史上で見せた狂信を見ていた雅人は、いつかこの日がくると思っていた。
(まるで話に聞いた、ワールドカップに出るために代表のスタメンと、控え選手だけを徹底的に強化したジャパンみたいでもあるな)
ある、どうしても達成したい目標があるなら、その方法は短期的には効果を出すかもしれない。
だが、長期的にいえば間違いなく失敗する確率の方が高くなる。
選手層に厚みが出ず、怪我などの不測の事態だけで組織が瓦解しかねないからだ。
現に、遠いドーハの地で絶望したではないか。
今でこそアジアの強国とされ、出るのが当たり前のように同級生たちも話していたが、亡くなった父に言わせればあの絶望を経て、広く選手を育てたからこそ、今があるのだという。
確かに、海外組だけで代表枠を越えるくらいの人数がいる実情があっての、強さなのだろう。
(それに、その方法じゃ、俺には勝てない)
どれほど長に力を集めても、魔王には届かないのだ。
魔王という最強の親を持ち、藩王に匹敵する魔力を持つ者だけが魔王の配偶者として政略結婚の相手になる現状では、魔王の一族は際限なく強力になっていく。
藩王どうしの結婚が禁じられている状態では、両親からの魔力の素養を受け継ぐ魔王の子どもたちが次代の魔王になることは必定。
たとえどれほどの犠牲を出そうと、届かない。
だが魔王を自分たちの一族から出すのだという妄執にとらわれたゴーレム種には、その現実は見えないのだろう。
(「人は、見たいと思う現実しか見ない生き物である」か。ヒトだけじゃないな)
リードがゆっくりと近づいてくるのを見ながら、雅人は小さくため息を吐いた。
「シャーン様、お一人ですか?」
「あぁ。リード殿、あなたが相手なら一人で十分だからな」
あおるように言ってやると、さっと顔色が変わる。
(わっかりやすっ)
物腰は柔らかいが、プライドはかなり高いらしい。
(それもそうか。歴代最強と言われて育てば、多少なりと天狗にもなるか)
そう考えれば表面上、今までそんな素振りを見せなかっただけで充分優秀かもしれない。
「……ケイブリス様を解放なさってください。そして、弟君に魔王の位を譲って隠居されればお命までは取らずに助けましょう」
「ふっ。弟? トスタナの方が、あなたよりも魔力は高いぞ、きっと」
見下すように言ってやると、リードの堪忍袋の緒が切れたようだ。
「話し合いになりませんなっ! お命頂戴っ……」
いきなり殴りかかってくる。
沸点が低すぎだ。
しかし、攻撃は冗談で済ませられるものではない。
見た目どおり、重戦車が突撃してきたようなパンチが向かってくるのを、腕で払う。
とうぜん、あふれるばかりの魔力が乗った一撃だ。
払った腕に一瞬、しびれたような衝撃が走る。
だが魔王のもつ状態異常無効が効果を発揮し、すぐにしびれが消える。
腕枕でもしているなら、その間はしびれてしまうが、頭が離れた瞬間に治ってしまう優れものだ。
(しかし、今のパンチ。パンツァー、ってか? レオンハルトかよ)
部活連の会頭みたいな絶対防御も一瞬考えたが、ノックバックさせられる可能性を考えて、反射的にいなした。
シャーンであるこの体には、ゴーレムの血は流れていない。
だから、間合いをとったときにどんな魔法攻撃が飛んでくるか予測がつかないためだ。
雅人はそんな不確実性を嫌った。
そしてその選択は、結果的には正解だったように思う。
追撃も変わらずに、豪快で強烈なパンチが続いた。
ゴーレムといえば、某国民的RPGではレンガでできたような見た目とパワーが売りのモンスターだが、元精霊でもパワータイプなのはこの世界でも変わらないらしい。
だが、初撃を上手くかわせたことで雅人は勝利をなかば確信する。
そこからは、殴りかかるリードのパンチを、やすやすといなすだけの作業になる。
まるで、大賢者のオートバトルモードのように機械的に。
あるいは重度のストーカーが身につけた、悪意に反応するベルトのように完璧に。
「くっ……なぜ当たらない……?」
「魔王に同じ攻撃は二度も通じない。今やこれは常識だぜ」
(別に不死鳥の象徴をもってはいないけどな)
ただひたすら攻撃をはたき続ける。
その間にリードの隙を探りながら。
どれだけの攻撃をいなしただろうか。
いい加減飽きてきたころ、焦ったリードが一撃で仕留めようとしたのか、大振りのパンチを繰り出す
(ここだっ!)
前世では体を動かしたことなどほとんどないが、何度も何度も誌面や画面で見てきた動きを模倣する。
リードが、アッパー気味のパンチを外した隙だらけの間に、雅人は膝を使って体を沈めた。
そのまま、アラビア数字の8の字を横にしたように体を揺らしながら、スイングした勢いを乗せてガラ空きのボディを痛打する。
(これが反撃の……はじめの一歩だよっ)
モロに入った手応えを感じながら、反対側に体をスウェーさせ、リズム良くタコ殴りにする。
初めて見るデンプシーな動きにリードはまったく対応できず、十発ほどクリーンヒットが当たる。
それでも倒れないのは、さすがに元岩でできた精霊といったところか。
だが、確実にダメージは与えた。
必死に腕を体の前面に立てて防戦一方になる藩王の姿に、邪精霊の軍勢が不安から浮き足立つ。
あと少し動揺させてやれば、有象無象の兵士など逃げ出すだろう。
そう思いながら、胸に北斗七星でも刻まれたように、あるいは流星になったように、一秒間に百発くらい殴っている気分になって拳を叩きこむ。
「オラオラオラオラ」
「り、リード様……」
だがなんとか防御されていて、決定打に欠ける。
なにかないかと思っていると、事態を動かす出来事が起こった。
「我が君。戻りました」
「が、ガクバ殿……」
フォーリが、ボコボコにされた火の邪精霊の長であるガクバ=トゥーフィを引きずるようにして、部屋に入ってきた。
「さすがは火の邪精霊の長。楽しめました」
純粋にバトルを楽しんださわやかな笑顔を見せる。
そんなバトルジャンキーでもないだろうに。
「ひ、卑怯者。二対一で勝ったとしても、勝利したことにはならんぞ」
リードの後ろについてきた軍勢からそんな抗議の声が上がる。
「二対一? 一人で戦いましたが?」
ど天然のフォーリが、意味がわからないとでも言いたいのか首をかしげている。
いい感じにあおるじゃないか。
「えぇ。姉上は全然私にやらせてくれませんでね。少しばかり元気が有り余っているのだが、誰か殺しあおうじゃないか」
後から部屋に入ってきたパルムの殺気に、あれだけいた軍勢が悲鳴とともに瓦解して、我先にと逃げ出す。
「くっ……シャーン様。ここは一度引きます。必ず、そのお命いただきます」
後方に飛び退ったリードが、殴られた腹部を押さえながら背中を向けて逃げ出す。
言葉だけ聞いていれば、互角の勝負を預けたようだが、雅人の感覚では一方的な実力差から尻尾を巻いて逃げたようにしか思えない。
「我が君、追いますか?」
「その必要はない」
パルムの問いかけに首を振ると、雅人はボロボロにされたガクバ=トゥーフィを拘束してから回復魔法をかけた。




