第3話 前夜祭
結局、一時間以上にわたって続いた出陣前の興奮は、兵士たち自身を統括する五大藩王が前に出ることでようやく収まった。
そこで実務をシャーンから全権委任されている五人が順に作戦を説明し、部隊編成と各々の侵攻ルートを発表し、出陣式は解散となった。
「今夜のシャブラニグドゥは夜通し大騒ぎだろうな」
王都城下町の喧騒が風に乗ってくるのを聞きながら、シャーンはつぶやいた。
「出陣を明日の午後にしたのは正解ですね。ここまで魔王様が読んでいらっしゃったとは……」
エリーが感心したように言う。
「読んでいたわけではないさ。ただ……自分が兵士だったとしたら、今晩くらいは騒ぎたいだろうな、と思っただけだよ」
両親が死んでから疎遠になってしまったが、従兄が結婚したときは、前日は友人たちと酒盛りで大いに騒いだと聞いたし、歴史上でも出征前は酒を浴びるほど飲むこともあったと聞く。
戦争ということでは地球人もアイェウェの民も変わらないだろうという、雅人の配慮である。
「とは言え、兵農分離の弊害が実感されるのはこれからだ。兵が遠征に出れば、シャブラニグドゥといえども、酒を飲む者が減り、歓楽街に足を運ぶ者も居なくなってしまう」
食糧生産は問題ないが、地場の産業は苦しくなる。
兵站に酒を組み込むことは、経済的にも、兵士の福利厚生としても欠かせないが、飲み過ぎれば兵は使い物にならない。
頭が痛い問題だ。
「まぁ、その辺りの節度は、お前たちに任せる。問題が起こりそうな時は、遠慮なく俺の名を使っても良いし、呼び出してくれて構わないからな」
細かい実務にまで口を出すつもりはない。
どうせそこまで詳しいわけではないし、始皇帝や項羽のように、何でも自分ができると思うほど傲慢でもない。
(俺の役目は、良くも悪くも御輿。軽過ぎてもダメだし、重ければ持ち上がらない。加減が大変なんだよな……)
信じて部下に任せる。
口で言うのは簡単だが、なかなか難しいことだ。
それでも、雅人は幾度も戦争をしてもそのスタンスを変えるつもりはなかった。
(劉邦ほど丸投げする気はさすがにないけどな)
「さて、とりあえず今時の作戦目標が達成されるまで、このメンバーで集まる最後の機会だ。明日からの動きを確認しよう」
シャーンが声をかけると、程よい緊張感が漂っていた幹部たちの間に、一本芯が通ったように、ピリッとした空気が流れる。
「まずは、今日まで皆、ご苦労だった。素直に礼を言いたい」
シャーンが頭を下げると、居合わせた六人も頭を下げる。
「次に全員が揃った翌日は、全員、立てなくなるのを覚悟しておけよ」
冗談めかして言うと、女たちが顔を真っ赤にしてうつむく。
普段、真面目なワカナや、序列を考慮し決してふざけたりしないアヤ、アヤをサポートしながらリーダーシップを発揮するカーラも頬を上気させているのを見て、シャーンもウズウズしてしまう。
だが兵士たちだけでなく、出陣直前に藩王たちまで午前中使い物にならない事態は避けなければならない。
「あー、真面目に。皆のおかげでここまで来られた。だが、これはまだ一歩目だ。魔族が、魔族であるというだけで差別され、虐げられる世界を変えよう」
魔王の言葉に、全員がうなずく。
ここまで長かった。
現状維持派を主流派から排除する魔族の半内戦を勝ち抜き、新藩王たちの意見を取り入れながら弱体化した軍を立て直す改革を進め、エリーが献策した戦略をブラッシュアップしながら部隊編成を行う。
正直なところ、前世での一生分の頑張りを超えた働きをしたと思う。
「では、我が軍の必勝と、全員の無事な再会を期して、乾杯!」
シャーンの掛け声に合わせて、六人も杯を掲げる。
明朝、軍を動かせば、東に一日進軍したミキクルスの街で別れることになる。
シャーンも立案したエリーも、藩王たちも勝利を確信している。
そして、アールヴであるエリーを除けば、魔王も藩王も、並のヒューマンには傷一つ付けることはできない。
それでも戦争である以上、不測の事態はあり得る。
お互いの無事を祈って、一息に杯を乾かしたのだった。
「兵士たちは、ほとんどが明日の朝からは使い物にならん。だが、上に立つ者の責務として、我々は毅然としていなければならない。明日は早い。全員、早くに寝るように」
シャーンの言葉に頭を下げ、エリーと藩王たちが自室に下がっていった。
(初戦は準備万端。戦場もこちらで決めることができる。……戦略的には、ほぼ完璧な状態での戦争だ。だからこそ余計に、完全な勝利が求められる。はぁ、胃が痛い)
自身も寝室に向かいながら、雅人は胃の辺りを手で押さえる。
(まぁ、なるようになるか)
天蓋付きのベッドに寝転がりながら、腹をくくる。
コンコン……。
寝ようとしていたところ、ためらいがちなノックの音でまぶたを開く。
(こんな時間に来る……といえば、勇者の闇討ちか、それとも)
雅人は立ち上がってドアを開けてやる。
そこには、予想通りワカナが立っていた。
(まぁ、警備体制がどこよりも万全な魔王城に忍び込める勇者なんてあり得ないんだよな)
そんなことを思いながら地球世界で言えば身長一六〇センチに満たないワカナを見下ろすように観察する。
「……夜分遅くに申し訳ございません…」
絞り出すようにいつもの真面目な口調で詫びるワカナ。
だが、掠れた声が平常ではないと告げている。
「ワカナ、顔を上げて見せろ」
命令すると、ビクッと震えたのち、観念してワカナはサキュバスにしては幼い貌を上げる。
頬は朱く上気し、瞳も熱っぽくうるんでいる。
「発情期が来たのか」
問うと、心底申し訳なさそうに小さくうなずく。
ワカナが藩王として率いる妖魔族は、さらに四つに分けることができる。
抑えられない性欲をもたらすサキュバス(男性はインキュバスと呼ばれる)。
互いに不信を抱かせ、不和をもたらすエリス。
ささいないさかいすら増幅させ、復讐心をあおるエリーニュス。
そして、相手をもっとも苦しめる悪夢を見せるナイトメアだ。
サキュバスは毎晩性的な刺激を堪能しなければ弱体化する弱点をもつ。
だが、藩王クラスのサキュバスになると性欲をコントロールすることができ、数日に一度、失神するくらいの性的な営みをすれば事足りるようになる。
とはいえ種族的な限界は当然あり、まぁ、実のところそろそろかとは予想していた。
戦争の準備で忙しそうにしていたことで本人は忘れていたのかもしれない。
だが、部下に仕事を任せ、福利厚生に集中して異常は見逃さないようにと観察していた雅人には、わずかに兆候のようなものが見えた気がしていた。
とは言え、本人としては性格的に恥じていることだ。
男の雅人からそうと声をかけるわけにもいかず、困っていたところだった。
(明日から、離れた時に発現しなくて本当によかった)
他人のことは棚に上げた独占欲をたぎらせながら、雅人はワカナを部屋に招き入れる。
「あの……明日、早いので……ご迷惑かと思いますから、サクッと終わらせてください」
申し訳なさそうに提案してくるが、もちろん却下する。
「お前だけ前祝いだ。気にするな」
肩に手をかけると、ワカナはビクッと震えながら、頬をさらに朱く染め、火のつきそうな熱い吐息をもらしながら甘えるようにしなだれかかってくる。
その重みを確かめながら、雅人はワカナの小さな身体を抱き上げる。
とたんに、清廉な花のような芳香が雅人の鼻をくすぐる。
そこに濃密なオンナのニオイが混ざっているのは、抑えきれないサキュバスの欲望がもれた証だろう。
そして何度も組みふせた女は、雅人のたぎった雄臭をかぎ取り、目元を朱く染めている。
ワカナはことさらに激しく愛する必要はない。
やさしくそっとベッドに横たえた。
期待の眼差しで見上げられて興奮した魔王の部屋からは、夜通し甘いすすり泣きがもれ聞こえたという。
このあとの話を、ノクターンに掲載します。
よい子は見ちゃダメです。
※ 見なくても、話の大筋には影響ありません。