第2話 出陣2
シャーンたちがバルコニーに出たのに気づき、それまでざわついていた多くの魔族が口を閉じる。
数万に及ぶ聴衆が一斉に顔を上げ、視線が集中するのを感じて心臓がバクバクと早鐘を打ちはじめた。
この瞬間だけは、何度経験してもいまだに慣れない。
前世では全校生徒どころか、四十人のクラスですら前に出て発表したこともないのだから当然だ。
緊張をほぐすため、手のひらに人、という字を書いて飲み込む。
(人を喰うから緊張しない、か。そういえば昔、保守派の前藩王に、魔王らしい食事としてヒューマンでも食えと、冗談で言われたことがあったな)
そんなバカげた話も、もはや昔話になりつつある。
(魔族の暴虐の魔王ですら食べないモノを、元人間の俺が食べるわけないだろ)
そんな風に別のことを考えている間に、緊張がほぐれたようだ。
(ニンゲンの脳みそを食べないと知能が退化するオニでもあるまいし。だいたい、自分たちだって食べないモノを、冗談でもこっちに勧めてくるなよな)
そこまで思うと、自然と笑みがこぼれた。
「戦友諸君!」
魔王の言葉を一つたりとも聞き逃さないよう、静まり返った中庭の魔族たちに向けて、声を張り上げる。
この呼びかけにはリスクが頭をよぎったが、事実シャーンは彼らと幾度も戦場をともにしていた。
(アレクサンデル•セヴェルスとは違う。残念ながらカエサルとまでは言えないけどな)
シャーンの狙い通り、従軍準備を整えた兵士たちは、魔王から戦友と呼び掛けられたことに感動し、身を引き締めた。
「我々は今、存亡の危機に直面している」
あえて強い言葉で聴衆の意識を引きつける。
二十世紀最悪の独裁者の一人である、あのちょび髭がよく使った手法だ。
「諸君もよく知る通り、我々アイェウェの民が住む土地は狭いが、豊かで多くの食糧を得ることができる」
狭いというのは言い過ぎで、実際には人口密度も低く、土地は余っているのだが、ヒューマンの住む地よりは格段に狭い。
もっとも、ヒューマンとてニンゲン十数カ国、亜人五カ国がひしめいているので、一国ずつで考えれば決して広くはない。
また魔族とは、あくまでもヒューマンたちが、自分たちよりも強いがために恐れる、西方の民をさげすむために呼ぶ言葉だ。
自ら邪悪を意味する『魔』を名乗るなど、どんな厨二病だ。
(実際、付き合ってみればニンゲンみたいにいいやつもいれば、悪いのもいるんだよな)
ルイジェルドのように子供好きもいれば、エミルのように研究ヲタク……を通り越してマッドサイエンティストもいる。
そしていわゆる魔族自身は、信仰する神、アイェウェの民を自称している。
もっともヒューマンを威嚇するために、王は魔王と呼ぶことが慣例となってしまっているのだが。
(まぁ、魔法使いの王という意味もあるから、許容してるが……)
とはいえ俺は、魔法の才能を伸ばすことに夢中になって、常識を教えるのを忘れるような祖父をもった覚えはない。
「反対に、ヒューマンの土地は広いが痩せていて、歴史上、幾度となく食糧を巡って争いをしている」
正確に言えば、ヒューマンの中でも人間が、だ。
どうもホモ・サピエンスという種族は、クニという虚構を作ると、支配領域を拡げるために互いに争いたくなる悪癖を本能的に持っているらしい。
度しがたいことだ。
「彼らは、広い土地に飽き足らず、我々の土地を奪おうと行動を始めた! 呪いによって一時的に我々の土地から農産物の収穫量を減らし、我々を飢えさせてから攻撃しようとしている」
呪いとは、文字通り呪われた秘術だ。
呪術と呼べるほど、確立された何かがあるわけではない。
百葉箱の中身を飲んだからといって、使えるようになる代物ではなく、生け贄を捧げることで願いを叶えるモノだ。
魔族が得意とする魔法や、魔導王国で研究が盛んな魔術とは根本的に異なる理を用いるため、魔力量でヒューマンを圧倒する魔族でも、個別の呪法を解きほぐさないと防ぐことができない。
またとうぜん、呪いが大規模なモノになればなるほど、必要な生け贄の数が増えていくという外法でもある。
魔族の土地全土にわたる呪い……生け贄が数十人でも足りないのではないかというのが、雅人お抱えの研究者の推論だ。
通常、それだけの犠牲をはらうくらいなら、決死隊でも組織させて直接的な侵略をすることを選ぶだろう。
それくらい、ほとんどのヒューマン諸国や、魔族でさえも禁忌としてその知識を封じた秘術は、必要とされる魔力が膨大で無駄も多いことから、今では扱える者も極々限られている。
それだけに、容疑者は絞られている。
「我々が何をしたと言うのか? 何もしていない。ただただ、我々アイェウェの民が、ヒューマンよりも強い。それだけで彼らは我々を恐れ、さげすみ、敵視する」
基本的に、種族としてヒューマンの中で魔力量が最も多いアールヴですら、魔族の中では中級に入ることができるかどうか、というほど、大きな差がある。
「彼らが言う、魔族という呼称。その恐ろしげな響きにつられてさらに恐怖を増大させ、敵意を強め、何もしなくても攻撃しようとする。そんな現実を我々は放っておくことはできない!」
戦争を始めるには大義が必要だ。
民主主義を守るため、テロへの報復、大量破壊兵器を隠し持っていることへの懲罰。
正直に言って、理由などなんでもいい。
だが殺し合いを始める前に、死地におもむく兵士たちに対して、なぜ自分は死ななければいけなかったのか。それを信じさせる何かが求められれるのだ。
「数百年前の大攻勢が失敗して以来、先代の魔王までは、ヒューマンの土地に攻め込むことは禁じられていた」
自分たちの方が強いと、完全になめきって侵略した結果、予想外の犠牲を強いられたことに驚き、撤兵したというのが真相らしい。
だが時間が経ち、後世に撤兵が敗北と過大に伝わるにつれ、ヒューマン領土への侵攻がタブーとなった。
だが存在Xと呼ぶか、管理者Dと言うかはさて置き、どうもあの自称神様は今、ヒューマンと魔族の間に戦争を起こしたくて仕方ないらしい。
他人の思惑に乗るのはムカつくが、雅人自身の望みとも合致するので、利用させてもらう。
「だが、私は、アイェウェの民を総べる者として、ただ何もせず、死を待つようなことはできない!」
観衆のボルテージが沸々と煮えたぎるように高まっていくのを感じる。
それと同時に、場の雰囲気に酔い、雅人自身も少しだけ頬を高揚させて言葉がスラスラと口から出てくるようになる。
「諸君! 自分たちの未来は、自らの手で掴み取ろう! 我、シャーン=カルダーは、今ここに、ヒューマンに対する大戦争を開始することを宣言する!」
ウォォォ! という、叫び声が響き渡る。
集まった、すべての魔族が賛同の声を上げ、手にした武器を振り上げる。
「歯向かう者には死を! 無駄な抵抗をするヒューマンどもに地獄を見せよ!」
自然発生的に、兵士たちの口からそんな言葉があふれ出し、いつしか会場全体が唱和する。
そのスローガンを承認するようにシャーンが握りこぶしを掲げれば、会場の興奮はピークに達し、戦友同士で肩を組み、スローガンを連呼する。
そこには龍族、妖魔族、鬼族、不死族、邪精霊などという、種族の違いを乗り越えた確かな絆があった。
(さぁ、ここからが大変だ。勝っているうちはこの興奮が続く。だが負け始めると、種族間のいさかいが増え始めて軍が瓦解してしまうからな……しかも、勝つために慎重になり過ぎてもダメ。難しいかじ取りが続くな)
それでも、魔族が生き残るため、そして雅人自身の復讐のためには、絶対に負けられない。
(絶対に負けられない戦いがある、か。ヤタガラスでも軍旗にぬい付けさせようかな)
そこでようやく雅人はクスリと笑う余裕ができた。
そんなモノを使ったところで、げん担ぎにはならないし、この世界の者たちが理解できるわけもない。
笑顔を浮かべながら、いつまでも続く兵たちの興奮に、雅人は手を振って応え続けた。