第16話 戦闘開始
「はーっはっは! 進め進めぇ!」
オーガ=ヴァーク=アデシュに督促され、魔導王国の対魔族侵掠の先陣が全速力で駆けていく。
報告どおりなら、もう少しで獣人領と魔導王国の国境を越えるだろう。
(魔族とかいう、イキった奴らを俺様が皆殺しにするだろ? そうしたら、俺様がクソ生意気な皇帝とかってヤツを引きずり下ろして、世界全部のオー様になる。世界最強で、世界全部のオー様。サイコーじゃねぇか)
それを取らぬ狸の皮算用というのだが、そのようなことわざをオーガ……池井慶が知るはずもない。
「国王様。国境の先に、魔族と思われる軍勢を発見。先陣が魔導障壁の使用許可……使ってもいいかと、聞いてきています」
「あぁ? まぁいいだろう。どうせ大したことはねぇだろうが、怪我人が出たら可哀想だ。許してやる」
数ヶ月前の伝令兵への八つ当たりの結果による虐殺という蛮行は、伝令兵ならばだれもが知っている。
だから、オーガの前に立つのは文字どおり命がけであり、今回も哀れなルーキーが選ばれていた。
彼は、先陣の司令官からの命令に涙し、死を覚悟してオーガの前に立った。
今回は生き残れたが、つぎもそうなる保証はない。
いや。
今回だって、グズグズしていれば何が起こるか分からないのだ。
ルーキー伝令兵は、オーガの前に進み出るよりも数倍早く、その場を後にした。
恐怖と、今回は生き残れた安堵で涙を流しながら職務を果たす新人。
そんな彼を、同僚の伝令兵すら慰めることはできない。
代わってやれないのだから仕方がないという話だ。
(暴君などと呼ばれて調子に乗っておるが……めちゃくちゃだ)
そんなおびえた伝令兵が走り去るのを見て、元老院議長センナト=パルパは、オーガに気づかれない程度の小さなため息を吐いた。
(先王の言ったとおりだな。制御不能だ)
オーガが国王に就任する前のゴタゴタで、元老院が消極的支持に転じた大きな理由。
制御不能な暴君という評価は、国王になっても変わらなかった。
すでに、オーガの血を濃厚につぐ息子が魔力量で国内二位の値を叩き出し、次期国王になることが内定している。
そんな王子の、将来の王妃をだれにするかという話すら出ている年齢でありながら、オーガはいつまでもあのころと変わらない。
むしろ実力主義で、かつ、戦場でも活躍するオーガを讃え、褒めそやす軍人に囲まれ、鼻がどんどん伸びている気がしてならない。
(これは真剣に排除することを検討せねばならないかもしれんな)
センナトはオーガから目を離し、戦争がはじまるであろう地を向いた。
***
「落ち着いて魔導障壁を展開しろ。相手は魔族。油断するな」
前線の指揮官に抜擢された、オーガの幼なじみでもある側近のミトリダテス=アデシュが兵士たちに命令する。
魔導王国精鋭の魔導騎士を指揮するという栄誉に顔がにやけつつ、相手は魔族だと気を引きしめる。
そんなことを何度もやっていれば、兵たちからは軽んじられる。
それでも、見えるところに魔族がいるという緊張感によって軍は規律を守っていた。
「全魔導障壁展開完了しました」
伝令兵の言葉にミトリダテスはうなずきを返す。
見ればたしかに青い光の壁が軍の前方十メートルほどのところにできている。
「よし。全軍、魔導障壁を展開したまま微速前進」
命令に従い、きらびやかな鎧をまとった騎士たちが馬を進める。
その歩みを先導するように、青い壁がゆっくりと動き出した。
獣人に数百年前に貸し与えた旧式ではなく、持ち運びが可能な最新式の魔導障壁だ。
獣人にこれを貸してしまえば、魔導王国との境地をめぐる小競り合いに持参されかねないと、たとえ魔族との間の緩衝地帯だとしてもいっさい技術を秘匿し、貸さなかった魔導王国の秘密兵器である。
(なんだ? 魔族の先頭はガキ二人……それも女?)
徐々に近づくにつれ、魔族の姿がはっきりしてくる。
先頭の二人はどうやら少女のようだ。
だがその奥には、ヒューマンとはちがう姿をした者たちが集まっているのが見えた。
それを見て、後ろに続く兵士たちの恐怖が高まる気配を感じる。
だが同時に、魔導障壁を前に手も足も出ないのか、魔族に動きがないことであざけるような微妙な空気も流れる。
(悪くない……このまま、先頭の二人を殺せばっ!)
できるだけ残酷に殺してやれば、恐怖は魔族の方を襲うだろう。
それだけの判断を瞬時にしていることは、ミトリダテスの優秀さを表している。
オーガの幼なじみであり、アデシュ村という寒村に生まれながら、王の引き立てだけで前線を任されるような将軍になったわけではないのだ。
「全軍、駆け抜けろっ! 薄汚い魔族どもを、皆殺しにするぞっ!」
(悪いな。死んでくれっ!)
ミトリダテスが馬の腹を蹴って走らせる。
そのまま手にした槍を、赤い髪をした方の少女に向けて突き出した。
だが、槍に獲物を突き刺す感触はいつまでもおとずれなかった。
***
ミトリダテスが魔導障壁を展開させる前に話は戻る。
「準備、終わったの?」
「えぇ。終わったわー」
最前線で敵を待つマーキアの横に、同じくらいの背丈をした少女が歩みよって声をかける。
「リナの準備はー?」
「……バカにしてんの? ただ魔法使うだけなのに準備もクソもないでしょ」
仮にも藩王に対するアイェウェの民の態度とは思えないが、マーキアは気にする風もない。
「しっかし、ヒューマンってのはバカなの? 私たちと戦って勝てると思うとか、どんだけよ」
「……ハクトックナイから数百年も経ってるからねー。最後に勝ってれば、次も負けないと思うんじゃないー?」
マーキアは、横に立った少女。リナ=トゥーフィの疑問に答えてやる。
だが、リナは別に感謝のカケラも態度に表さない。
「ふぅん。アレがマサトー様が言ってた魔導障壁ってやつ?」
真っ赤に燃えるような髪の毛をかき上げながら、リナがつぶやく。
だが風が強く吹いているので、すぐに髪の毛が風におどって乱れてしまう。
二人は背格好が良く似ていた。
ともに前後の厚みが乏しく、手足もスラリと細い。
ちがいと言えば、マーキアは童顔で幼児体型なのに対し、リナは清楚な顔立ちがスレンダーボディに乗っているというところか。
しかし、遠目で見れば髪の色以外、見分けがつかない程度に似ている。
「そうだねー。獣人が使ってたのと似てるからー」
獣人との戦いに参加したマーキアが答えてやるが、リナは顔をゆがめて怒りをあらわにする。
「なにそれ。ちょっとマサトー様に気に入られてるからって、前の戦争に出られたこと、自慢してんの?」
「……そーゆーのじゃないんだけどなー」
マーキアは、よけいな誤解を与えたことに表情を曇らせる。
「ふんっ。いいわ。ヒューマンどもをぎったぎたにして、私の方が藩王に相応しいって、マサトー様に認めてもらうまでは、その得意げな顔、放っておいてあげる」
憎まれ口をたたくリナに、マーキアは小さくため息をついた。
(藩王、かー。……別に、今となっては、マサトー様のお側に居られるならー、譲ってもいいんだけどなー)
だが譲るなどと言えばリナのプライドを刺激し、よけいに収拾がつかなくなるだろう。
(すべてはあの日から、かー……)
マーキアが物思いにふけっていると、その間に、きらびやかな鎧甲に身を包んだ騎馬兵たちがすぐそこまで迫っていた。
「全軍、駆け抜けろっ! 薄汚い魔族どもを、皆殺しにするぞっ!」
ヒューマンの先頭を走る騎士が叫ぶ。
そして手にした鑓をリナに向けて突きだした。
リナはそれを避けようともしない。
ヒューマンの将軍の顔に、勝利を確信した笑みが浮かぶが、次の瞬間、彼は後続の騎士たちとともに、馬もろともマーキアとリナの視界から消えた。
「えげつなっ。勝ったと思った瞬間に落とし穴に落とすとか、本当、性格悪いわね」
リナが、騎士たちが消えた穴をのぞきこむ。
馬も人も、何が起こったかわからず、深い穴の中で折り重なってもがいているのが見える。
仕掛けは単純だ。
名も知らぬヒューマンの将軍に率いられた軍が進んできた、地球の単位でいえば百メートル以上の大地は、土の邪精霊が掘った穴の上にマーキアが簡単には割れない氷を張ったモノで、上から土をかぶせてカモフラージュしてあったワナである。
だが、面積が一ヘクタール以上ある穴の上に、完全武装の騎馬兵が千人、その後ろに続く魔導士が二千人弱乗っても割れない氷を作り出すだけの魔力が普通はないので、実行できないだけだ。
しかも、マーキア自身が望んだタイミングで割れるというハイスペック。
とうぜんのように、ヒューマン側はなにが起こったのかまったく理解できていない。
「リナー、よろしくねー」
重なり合い、中には味方の重量で圧し潰されて死亡した者もいるだろう。
まさに魔導騎士や魔導士たちは地獄絵図の中でもがいていた。
だが彼らは幸運だったかもしれない。
これから起こる二度目の地獄を見ずに済んだのだから。
「はっ? 私に命令すんなっ。私に命令できるのは、マサトー様だけよっ!」
リナは憎々しげにマーキアをにらむ。
だがすでに魔法の準備は終わっており、その手の上には圧縮されすぎてスパークを放つ超高温の火球が十個以上、浮かんでいた。
「邪精霊副王、未来の藩王たるこのイフリータの女王、リナ=トゥーフィの業火を味わえっ!」
そうイフリートの末裔であるリナは叫ぶと、火球をすべて落とし穴に投げこむ。
すぐに悲鳴と燃え上がった炎が、深さ数メートルはある落とし穴からもれるほど立ち上る。
(あの日も……こんな風に火と、悲鳴が上がってたな……)
マーキアは眼を閉じると、先ほど物思いにふけった続きを思い出すのだった。
このあと、マーキアの回想を入れようとしましたが、長くなりすぎて本編が進まないので、2章のあと、幕間で書くことにさせていただきます。




