第15話 策動
「やぁ、こんにちは。さっきはお疲れ様っ」
サトミとティナが魔王城を歩いていると、後ろから走って前に回りこんだ魔王の弟、トスタナが声をかけてくる。
「トスタナ様。先ほどはお疲れ様でございました」
サトミは慎重に言葉を選んでトスタナに返事する。
魔王……雅人にはじめてあったときとも何かちがう、得体の知れない怖さがトスタナにはある。
笑顔を浮かべて応対するが、目の辺りとか引きつっていないだろうか。
「んー、なんか警戒されてる?」
ニコニコと人の良さそうな笑顔を浮かべているが、よく見ると目は笑っていないようだ。
「いえ、そんなことは……ただ、トスタナ様から声をかけていただくことに心当たりがないものですから」
見つめられると、全身がざわざわとした不快感におおわれるような気がする。
愛しい魔王の実弟だとはわかっていても、なにか嫌悪感がぬぐえない。
「あぁ、さすがは兄上。ちゃっかり護ってる」
ニヤニヤとした笑いに顔が変化した。
怖い。
「ティナ……ちゃんだっけ? 兄上に噛みついてるから、刻印とかされてないんだと思ったんだけどな」
妹の下腹部のあたりを指さしながらトスタナ殿下がケタケタと笑う。
「……どういうこと?」
魔王にすら敬意の欠片も見せない妹は、その弟を敬うわけもなく、挑戦的な視線を返している。
「ん? あぁ俺ね。兄上よりも、母親からサキュバスとしての特性を強く受け継いでいてね。チャームの魔法が見つめただけで発動するんだけど、二人には全然効かないってこと」
「……それが効いてたら、どうなったの?」
「ちょっと、ティナ……」
いくらなんでも不敬にすぎる。
ヒューマン各国へこれから進攻するにあたり、他国とのバランスを考え、辺境伯配下の獣人各種族の族長は郡王の位を拝命し、王の端くれにランクアップすることとなった。
とうぜん、まだ他のヒューマン諸国は認めていないが、それはこれから実力で認めさせていくことになっている。
とはいえ相手は、二カ国を統べるために王位ではなく皇帝位と同格の魔皇となった方の弟。
郡王では皇族よりも劣る。
これから魔皇様が確立される新秩序の中では、分をわきまえない発言内容と口調だ。
「あーあー、サトミちゃん。別に気にしないよ、俺はね。兄上だって、公式な場面でなきゃ気にする人じゃないでしょ」
それはわかる。
マサトー様は優しいから。
サトミのことは目いっぱい愛してくれるし、ティナのことも愉しみながらちゃんと気にかけてくれている。
妹にもそれは伝わっているのだろう。
反発しながらも、決定的な反抗は最近なりをひそめている。
「んで、ティナちゃんの質問に答えると……俺、兄上よりもさらに女の子大好きだからさ。獣人の奴隷が欲しいなって思って。二人に兄上から俺に乗り換えてもらおうと魔法をかけたんだけど、……失敗しちゃった」
そう言ったあと、トスタナは目を細めた。
その、まるで蛇ににらまれたような不快感とおぞましさと恐怖に、サトミは小さくガタガタと震えてしまう。
発言内容も不穏だ。
雅人は、戦利品扱いを受けても批難されることのないサトミ、ティナ、バーチェ、ラブの四人を普通に愛人として囲ってくれている。
まぁ、やっていることはほめられたことではないが、奴隷のように自分勝手な欲望のままにもてあそばれたりはしていない。
だが、トスタナはちがうようだ。
ハッキリと、奴隷が欲しいと言い切った。
恐ろしい。
「だから改めて言うけど……二人とも、俺のモノにならない?」
「……イヤだと言ったら?」
ティナも右手で左腕の肘の辺りをつかみながら、トスタナの視線に耐えている。
「んー、別に? 獣人を保護するっていうのは兄上が、魔王の名で約束してるからね。それを俺の権限では破れないから、獣人に不利益をもたらすことはできない」
視線を外し、おどけたように肩をすくめられ、ようやく一息吐ける。
緊張して止めていた息を、小さく徐々に吐き出した。
「ただ、受けてくれたら、兄上よりも大事にするよ。毎晩、脳みそが溶けるほど可愛がってあ・げ・る」
また、ぞわぞわっと背筋に嫌なモノが走る。
(熱っ……)
雅人に刻まれた、淫紋が熱い。
「あぁ、やっぱりそこにあるんだ。兄上のモノだっていう印」
服の上からでも魔力感知で気づいたのだろう。
姉妹二人の淫紋をびしっと指で指している。
「……なぜ、私たちなのでしょうか。奴隷は魔皇様が廃止されましたが、トスタナ様なら、獣人の側女くらいもてますでしょうに」
わざわざ兄のモノに手を出そうとするなんて、なにか魂胆があるのだろうか。
「ん? いや、二人とも可愛いからさ。単純に欲しくなっちゃっただけ」
口では他意などないとかわされた。
本当かどうかはわからないが、嫌な予感はする。
「私は……この身を魔皇様にささげました。シャーン様以外に仕えることはできません」
この手の相手は、はっきりと拒絶した方がよさそうだ。
本能的に危険を嗅ぎ取ったサトミは、きっぱりと拒否する。
「……魔王じゃなくて、アンタのモノになったら、私にどんなメリットがあるの?」
「ティナ!」
「お姉ちゃんは黙ってて!」
妹も危険を感じているはずなのに、話に食いついている。
たしなめようとしたが、強い口調と言葉で反発され、言葉をつなげない。
「ん? 言ったでしょ。兄上よりも大事にして、毎晩、壊れるくらい可愛がってあげるよ」
「ティナ、思い出して。魔皇様のお慈悲で、獣人は自由を得て、アイェウェの民と同じ地位を得ているのよ」
「それも言ったはずだよ。当時、魔王の名前で獣人の地位は保証した。それを今さらひっくり返すことはできない。契約の問題もあるし、住民の不信を招くだけだからね。政治が大好きな兄上がそんなことするわけがない」
……言われてみればそのとおりだ。
でも、私たちがいるから……。
「つまり、君たちが今さら反抗したりしたって、兄上は獣人を罰したりしない。最初の時は意味があったんだろうけど、今となっては、兄上に従うこと自体は別になんの意味のないんだよ。族長としては」
言葉が頭の中にするっともぐりこんでくるように、魔皇様への不信感を植え付けてくる。
(だめ、トスタナ様の言葉を聞いちゃ……)
本能的にこれがマズイと感じるが、皇族が話をしている前で耳をふさぐようなことができるわけがない。
「それに、俺のモノになるなら、魔王の一族に仕えているのは一緒だし。犬族にも、猫族にも悪いようにはさせないよ。どう?」
「……考えさせて」
「ティナ!」
妹には、今の危険なやりとりがわからなかったのだろうか。
たしなめるが、反応がない。
「オッケー、オッケー。別に今すぐじゃなくて全然いいよ。今度また、答えを聞かせてね」
ニコニコと上機嫌になったトスタナが、それじゃ、と手を振って歩き出す。
サトミは警戒の糸をゆるめ、飲んでいた息を吐き出した。
「……ティナ、どういうつもり?」
妹の真意がわからず、サトミはずばっと聞きただす。
今を逃したら、この話はできなくなりそうで、逃げようとするティナをつかまえてまで聞いた。
「……お姉ちゃんにはわからないよ」
「どうして? 二人だけの姉妹でしょう? 話してくれなきゃわからない。でも、話してくれたら、わかるよ」
なおも拒絶しようとするティナの内面に踏みこもうと問いかける。
「……私は……イヤなの」
ようやくぽつりと話しはじめてくれる。
「自分が……自分じゃなくなっていくような感じ。お姉ちゃんにはわからないでしょ」
それだけじゃわからない。
説明が必要だ。
「お姉ちゃんみたいに、私は割り切れない。族長だからって、魔王に従って、身体を好き勝手されて。そんなの耐えられないのっ!」
「ティナ……」
そんなに嫌だったのか。
雅人様の寵愛を受けるのが。
「そりゃぁ、私……お父様の跡をついで、辺境伯になりたかったから。政治的には征服された獣人として、魔王のモノになることは理解してる。でも……アイツは、お父様とお母様の仇なの」
サトミよりも……いや。同じ猫族だからか、ティナは母親にべったりと甘えていた。
だから、母親が雅人の復讐によって壊されたことが許せないのだろう。
「……私もね。知ってるから理解してはいるんだ。魔王が産まれる前。お父様とお母様に助けてもらえなくて怨んでたってこと。でも、理解してることと、納得できることは別でしょ?」
「……そうね」
ことここに至っては、サトミから言えることは少ない。
サトミとしても、大好きな父や母に非道な復讐をした雅人を全面的に許せるわけではない。
だが、殺さないでくれた。
妹も知っているが、母を壊したあと、今も治療してくれている。
父はすっかり老けこんでしまったが、母の世話を焼くだけの生活にも満足しているようだ。
少なくとも、辺境伯という重責から解放されたことで肩から力が程よく抜けているのがわかる。
「……でも……一番許せないのは……自分のこと」
ずいぶん経ってから、ティナがぼそっとつぶやいた。
「憎いの。嫌いなの。嫌いになりたいの。憎みたいの。もっともっと。なのに……どうして……」
ティナは泣いていた。
「素直になればいいんじゃない?」
「嫌よ。絶対に嫌。ずっと憎まれ口たたいてやるんだから。じゃないと、私が、私のこと、嫌いになっちゃう」
おえつをもらしている妹を、サトミはぎゅっと抱きしめる。
雅人の前で、裸で抱き合っているのとはちがう、興奮の欠片もない優しい気持ちで妹をいたわるように抱きしめ、何度もなんども頭を撫でてあげる。
幼いころ、一緒に遊んでいて転んでしまったティナをこうして慰めた記憶がよみがえる。
「ひぐっ、と……りあえず、さっきの提案は、また考える。止めないで」
「……うん。わかった」
サトミとしては、もうこれ以上は何も言えない。
ティナもすべてを分かった上で悩んでいるのだから。
(このこと、マサトー様にお伝えするべきかな……)
獣人領の政治的責任者というだけでなく、個人的な難問も抱えこんだことに、サトミは小さくため息を吐いた。




