第13話 ヘラとオーガ2
「元老院は手当てしなくてよろしいので?」
「彼らがほしいのは、これからも変わらぬ政治と外交の実権よ。それさえ保証してやれば、だれが好き好んであなたがた軍と闘おうと思うの?」
その一言だけで将軍は、ヘラが元老院にすでに手を回していることを確信し、すんなりと引き下がる。
味方にすれば頼もしいが、軍が勢力を今以上に伸ばした場合、いつかはぶつかることになりそうだという予感ももった。
「オーガ殿。私は王女ヘラ。ヘラ=ヴァーク=アデナイです。我々魔導王国の民は、あなたを我が国の王としてあがめ、敬うことを誓います」
帰還したオーガをヘラはわざわざ王都の外まで出迎える。
「おう。迎えにきたこと、ほめてやる」
わっはっは、と笑っているオーガの笑顔は、池井慶だったころから少しも変わっていない。
「んで、俺の前のオー様はどこだ?」
「オーガ殿。今の国王は私の父です。どうか寛大なご処置をお願いするわ」
ヘラは、この一言を述べるためにオーガが帰還する前に反対派に対する行動を起こしたのだ。
だが、オーガはどう見ても聞いていない。
ヘラはため息をつきながら、血の繋がった肉親にこれからおとずれるかもしれない不幸から目を逸らした。
「コイツらから聞いたんだけどよ、お前、俺様の代わりにオー様になろうとしてたらしいな」
軍によって捕らえられた弟が、オーガの前に引きずり出された。
「控えよ、下郎! 我をだれだと心得る」
「あぁ? 何語だよ。俺様がわかる言葉でしゃべれ」
父からは次期国王候補として期待され、母からは甘やかされ、宮女たちからはチヤホヤされてきた弟は、ヘラが思う以上に尊大な、プライドのかたまりであったようだ。
後ろ手に縛られながらも、オーガをにらみつけている。
「ふん。貴様のような下賤な者に我が言葉は理解できぬか」
「よくわかんねぇけど、バカにされてることはわかる……ぜっ!」
オーガは、抵抗不能な弟のアゴを蹴り上げる。
衝撃で一メートルほど体を浮かせた弟は、ゆっくりと背中から地面に落ちて、少しだけ跳ねた。
「かはっ……い、痛い……」
「あぁそうだ。テメェみたいなくそガキがイキってんじゃねぇぞ。そうやって泣いてる方がお似合いだ」
自分より年下の少年が涙を浮かべて苦痛にあえいでいるのを、ニンマリと笑いながら見下すオーガ。
「お前、オー様になろうとしたんだよな? つまり俺様のライバルってことだ?」
「ガハッ……や……めて……」
弟はみぞおちを踏みつけられ、息も絶え絶え許しをこう。
「ライバルは早めに潰しておかないと……なっ!」
「っ!」
ヘラが止める間もなく、オーガは弟である王子の頭を踏み抜いた。
絶命した幼い少年は、一度ビクッと全身を震わせるとそのまま動かなくなる。
「き……貴様……っ!」
息子が惨殺されるのを見ていた国王は怒りに震え、拘束を引きちぎった。
「息子をよくも……我が魂よ、燃えるその息吹をもって我が敵を打ち砕く力を与えよ……」
「へぇ、それが魔法、ってヤツ?」
詠唱で魔力を練り上げる王の周りに、膨大な熱量が集まっていく。
「これは……まさか……」
ヘラはもう、父も止めることができないことを悟る。
「我が手に集え炎よっ、フレイムボールっ!」
父は中級魔法をオーガに向けて放った。
人の背丈ほどもある炎の球が、うなるように揺れながらオーガに向かって飛んでいく。
「ダメっ! 『慶っ!』 避けて!」
ヘラは必死に元恋人に回避するよう懇願する。
だが、あれだけの大きさの火の玉だ。
近づいただけで火傷では済まないダメージを受けるだろう。
「へっ! これくらいがなんだってんだっ!」
オーガの全身が淡く光ると、フレイムボールに向けて手のひらを開く。
「うぉぉぉっ!」
「う、うそでしょ?」
オーガが気合を入れると魔法ですらない、純粋な魔力の塊が父が放った渾身の魔法にぶつかり、炎を消し去る。
その場にいた者は、軍の将軍も含めて全員が呆然となる。
あまりに非常識な事態。
魔力を塊として撃ち出すだけで異常なのに、魔法とぶつけて中和するなど、魔法研究の盛んな魔導王国ですらだれも考えたことのない異様な手段だ。
「く、くそっ……」
「お、お父様っ?」
敵わないと悟った国王はきびすを返して走り出す。
ここで逃げられたら厄介なことになる。
最悪、国を割る内乱となるかもしれない。
魔導王国を王家、元老院、軍のトロイカ体制から、王家主導の国家に変革したいヘラには、ここで王を逃すという選択肢はなかった。
「止まって、お父様っ!」
自身の持つ最大の魔法を放ったばかりで、少し足元がおぼつかない父は、ヘラの制止を無視して階段を駆け降りようとする。
「我が敵を焼き尽くせ。ファイアボール!」
威嚇のために放った初級魔法はだが、目の前で弟が死んだ現実に動揺していたせいで狙いが狂い、さらには対象がフラついていたせいで父に直撃してしまう。
「お、お父様!」
ヘラたちの見ている間に、王は火傷を負いながら階段を転がり落ちていく。
意図せぬ結果に、娘は慌てて父親に走りよる。
「お父様……ごめんなさい……お気を……しっかりしてくださいっ」
「ヘラ……過ちはだれでもある……気にやむな」
政治的には対立してしまったが、父親としては尊敬にあたいする人だった。
今もこうして娘のヘラを気遣ってくれている。
前世での父親とも、慶の好みに合わせて髪を染めたときから関係にすきま風が吹いたが、華は父親のことが大好きだった。
親不孝にして先立ってしまって申し訳なく思い、転生直後はよく地球に残してきた家族を想って泣いたものだ。
その傷を癒してくれたのは、間違いなく新しい両親だった。
その一人を自分のミスで殺してしまおうとしていることに耐えられず、ヘラは声も出せないほど泣きじゃくる。
「オージョ様よぉ、どきな。そいつが死なないと、俺様がオー様になれないだろ」
空気を読まない……読むつもりのないオーガが、父にトドメを刺しに来た。
「待っ……」
そこまで言って気づく。
オーガに普通の言葉は通じない。
『待って、慶』
日本語で話しかける。
華を、父の体から引きはがそうとしたオーガの手が止まる。
「あなただって、『この世界の』父親を殺されて怒ったでしょう? 私も同じよ」
途中、日本語を交えて話しかけると、オーガはバツが悪そうに顔を背ける。
『……お前誰だ?』
『華よ』
答えると、「そうか……」とつぶやいて手を離してくれた。
「ヘラ……その男が好きなのか?」
息も絶え絶えな父親が問いかけるのに、うなずく。
「そうか……ならば彼を助けてやれ……その男は……いつか、必ずだれも制御できない日がくる。お前だけが止められるかもしれない……」
「お父様、あまりしゃべられては傷が開きます!」
懸命に治療士が魔法をかけているが、致命傷を治せるほど、魔法とて万能ではない。
「良い、無駄だ。自分が助からないことくらい、わかる……ガハッ……」
「お父様っ!」
国王は話の途中で血を吐く。
ヘラはドレスが血で汚れるのも気にせず、手を握ってはげまし続けることしかできない。
「議長、将軍よ……」
「ここにおります、国王様」
「私もここに控えております」
死期を悟った国王は、最期の仕事を気力で進めようとしていた。
「不本意だが、そこのオーガを次期国王に任命する……ヘラともども、支えてやってくれ……」
「承りましたぞ、国王様」
「はっ、命に代えましても」
二人の支持を取りつけると、国王はオーガを呼び寄せる。
「んだよ」
「オーガよ、そなたに国王の位を譲ってやる……ただし」
よしっとガッツポーズするオーガを冷ややかに見ながら、言葉を続ける。
「我が娘、ヘラを妻とせよ。それが条件だ」
「……んまぁ、いいぜ。コイツならな」
オーガが……慶が華との結婚を承諾してくれた瞬間だが、全然嬉しくない。
「ヘラ……幸せに……なりな……さい……」
「お父様っ!」
政治的には以前から対立しがちだったとはいえ、娘の幸せを願いながら、魔導王国国王リューク=ヴァーク=アデナイは息絶えた。
「へへっ、聞いたか。俺様が……」
オーガが叫ぼうとするのを、ヘラが手を出して制する。
泣いてばかりはいられない。
ヘラは父からこの国のことを託されたのだから。
「皆の者っ! 亡き父、リューク=ヴァーク=アデナイは、私、ヘラ=ヴァーク=アデナイとの結婚を条件に、オーガ=アデシュを次期国王に指名した。証人は元老院議長と将軍である。異論ある者は我が前に立てっ!」
涙の跡を頬に残しながら、ヘラが必死に毅然として叫ぶと兵士から、元老院議員、辛うじて一族と呼べる程度に関係の薄い王族まで、皆がその場に膝をつき、ヘラの命令に服することを示した。
「皆の者、ありがとう。これより、我が魔導王国はオーガ=ヴァーク=アデシュをヴァーク朝第四代国王として戴く」
「新王バンザイ!」
「オーガ国王バンザイ!」
「ヘラ王妃バンザイ」
多くの声が王城に響いた。
(お父様……お言葉を胸に、彼を最後まで支えていきます)
ヘラは新王即位を慶賀する声を聞きながら目を閉じた。




