第1話 出陣1
窓の外からは、興奮と不安が混ざり合った空気が漂ってきていた。
「エリー、君がそんなに緊張してどうする?」
魔王シャーン=カルダー八世がリラックスした様子で傍らに立つ側近のエルフに声をかける。
声をかけられたエルフの少女、魔王軍作戦参謀の地位を与えられたエリー=ベルッドは、魔王とは対照的に緊張に顔を青ざめさせ、後ろ手に組んだ指を開いたり閉じたりして、落ち着かない様子だ。
地球の尺度でいえば身長は一六五センチくらい。
ヒールは魔法使いだけが履くものなので、ヒューマンにしては魔力が多くてもエリーは歩きやすいサンダルを好んで履いている。
肩甲骨のあたりまで伸びたキレイな金髪が、真っ黒な軍服風の装いの上でゆれているのが神秘的なものに見える。
緊張で何度もまばたきをしている目は、透き通るような緑色の瞳が中心にあって、見ているだけで吸いこまれそうになる。
残念ながら古式ゆかしいエルフらしく身体の凹凸の差は小さいが、腰はきゅっとくびれていて、思わず抱き寄せたくなってしまう。
だが今は戦争直前の緊張感でガチガチになっていて、そんなおふざけは怒られそうだ。
エルフだけあって整い過ぎている印象を与える美貌だけでなく、特徴的な耳まで固く強張らせているのだから。
「緊張……します。私が原案を出した戦略ですから」
「そうだとしても、その戦略を承認したのは俺だ。失敗しても、責任を感じる必要はない」
「そうだな。失敗なんて決してさせないさ」
現状、魔王軍唯一のヒューマンであるエリーと魔王のやり取りに横から割って入ったのは、それまで窓の外を眺めていた、ヴァンパイアの女王、カーラ=マトックだ。
「エリー、あなたの作戦は理に適っている。そしてそれを魔王様がフォローされ、私たち五人の藩王が細部を詰めた。これで失敗するなら、二度と魔族はヒューマンに勝てない」
「カーラ様にそう言っていただけると、安心します」
「おいおい。俺の言葉じゃ足りないのか?」
おどけて言うと、六人の女たちの顔に笑みが浮かぶ。
まぁこればかりは仕方ないと納得できる。
まだ十九歳ながら、カーラのリーダーシップは目を見張るものがある。
よほど、前世でヲタクなコミュ障だった自分よりも魔王に相応しいとも思う。
身長はさほど高くないが、あふれ出る魔力の多さや、カリスマ性を帯びたオーラ。そして生まれ持ったリーダーの素質。
吸血するのに邪魔だからとボブにした黒髪は常に濡れているようにつやがあり、普段は黒いが、光りが当たると紅く光る瞳は見つめていると妖しく魅了され、首をさし出して血を好きなだけ吸わせてしまいそうになる。
加えて胸が、魅惑の柔らかさをまとった美巨乳なところもポイントが高い。
その、シャーンが柔らかいことを知っているふくらみは、窮屈な軍服を内側から盛り上げているのが、健康的なエロスをかもし出している。
なぜカーラが魔王でないのか、不思議なくらいだ。
確かに、少し童顔な傾向はあるが、資質としては抜群である。
それでも、カーラは自分に対し、魔王の臣下として、女性としてすべてを捧げてくれている。
その信頼には全力で応えたい。
復讐心は決して薄れてはいないけれど、それと同じだけの強さで、シャーンこと雅人は魔王としての自覚を持って前に進もうとしていた。
「そうそう。まぁ、エリーちゃんのことは、私がちゃぁんと守るからねー」
少し低い位置から声が上がる。
「はい、マーキア様。よろしくお願いします」
エリーは立ったまま頭を下げた。
それに、コバルトブルーの軍服におおわれた薄い胸を逸らして応えたのは、邪精霊の王であるウンディーネのマーキア=パレウンだ。
戦いに邪魔だからとショートにした髪の毛も瞳も、水の精霊らしく澄んだ海のような青色だ。
マーキアには、今回の作戦では重要な役割を果たしてもらう。
もっとも、ヒューマンに対する数百年ぶりの大攻勢だ。
魔族を統べる五大藩王の地位にありながら遊んでいられる者などいないのだが。
「魔王様、そろそろお時間です」
深紅の軍服をまとったワカナ=バンレッジが促してくる。
首を少し動かしただけで、腰まで伸ばした栗毛から甘いフェロモンが数メートルもただよってくるのは、サキュバスの魔性のなせる技だ。
雅人は奥歯をグッと噛み締め、ワカナが振りまいたフェロモンによって、ムラムラとわき起こる情欲を抑えこむ。
「ああ、ありがとう、ワカナ。みな、行こうか。……ところで、サキュバスの戦闘服は、もっと露出が高いのもあったから、特別な日ってことでそっちを着るのかと思ってたんだがな」
「スタイルが良ければそういうモノを着ることもありますが……。わたしはいつもこれで十分です」
チラリとこちらの表情を確認しながらワカナが言う。
冗談か、本気か確かめているのだろう。
「あちらの方がお好きですか?」
「い、いや、そういうわけではないぞ」
確かに、もう一方は露出が多くて見てるだけで嬉しくなっちゃうヤツだが……ワカナは好きではないようだ。
「それに……せっかく魔王様に付けていただいた刻印を、他人に見せびらかしたいとは思いません」
ズキューン。
と前世の俺ならハートを射抜かれていただろう。
普段、よく笑うものの、誰よりも真面目なワカナが頬を赤らめてそんなことを言ってくれたら、並の男なら一たまりもない。
もっとも、サキュバスとして、何もしなくても振りまいているチャームの効果もあるだろうが。
「では、行くぞ」
シャーンが立ち上がるのを待ち、五人の藩王も席を立つ。
後ろには、序列第二位として、魔王の出身種族であるドラゴニュートのアヤ=フィーギが続く。
薄暗い廊下でも、わずかな光を反射する銀髪の下で、意志の強そうな眉毛も銀色に光っている。
軍服も、髪の色に合わせてまばゆく光っている。
しかも、ドラゴニュートの特徴である少し日焼けしたような褐色の肌とのコントラストがあざかやで、軍服なのに場が華やぐ。
「アヤは緊張してるか?」
「緊張、不要。全力投球」
声をかけるとふっと自然に視線を外されるのが、わかっていても少し傷つく。
じっとそのまま見つめると、頬が真っ赤に染まっていく。
「視線、羞恥。前方注意」
そんな風に魔王である自分の前でだけ、照れて会話が単語の羅列になってしまうのが可愛い。
だが、戦争前の緊張感で声が微妙に震えているのもわかる。
(無理もないな)
声だけでなく、豊かな胸も歩くたびに揺れているのを横目にしながら、シャーンは腹心である五人のことを考える。
五大魔族をそれぞれ率い、魔王を支える藩王と言えど、最年長のマーキアですら二十歳。
経験不足は否めない。
しかしながら、彼女たちの先代の世代は長年の侵攻失敗にこり、保守的になり過ぎていた。
シャーンの個人的な望みだけでなく、魔族全体の差し迫った問題を解決するためにも、ヒューマンに対して戦争を仕掛けることは必要だった。
だが言葉を尽くしても、古い世代は決して軍事行動を起こすことに首を縦に振らなかった。
最終的には、魔族を二分する争いの果てに、ようやく国論を統一して、今日に臨むことができたのだ。
「皆さまお揃いでよろしいでしょうか?」
あと一歩踏み出せば、シャーンたちの姿が集まった民衆にも見えるというところで、式典の警備主任を勤めるパルム=レスバが確認のために声をかけてくる。
近接戦闘で魔族最強の、つまりは全種族でもっとも強いオニ族だけあって体格に恵まれ、雅人とほとんど身長が変わらない。
普段どおり親衛隊の隊長として純白の甲冑につつんだ身体を直立させ、右の拳を左胸に押し当てるような魔族式の敬礼で迎えられる。
「緊張は……されているようですが、我々の未来がかかっております。成功を祈ります」
パルムが赤髪をゆらしながら頭を下げたのにうなずいて見せる。
臣下からの期待に応えるのも、王者としての重要な責務だ。
「大丈夫。シャーン様にお任せすればね」
「姉上は、少しは緊張なさるべきです」
オニ族を統べる藩王であるフォーリ=レスバが明るく声を出したのを、妹のパルムがたしなめる。
顔も、髪の色も、戦闘に適した恵まれた体格すらも似ているが、この姉妹は性格は反対だ。
楽観的でど天然のフォーリと、産まれた時からそのフォローに苦労してきた心配性のパルム。
どちらも我が軍に必要不可欠な人材だ。
「行こう。皆が待っている」
シャーンの声で、全員が表情を引き締め、足を踏み出した。