第4話 八つ当たり
「全滅だと……どういうことだっ!」
「わ、私に言われましても……ぐぁぁぁっ!」
執務室で側近を従えながら談笑していたオーガに、援軍を出した獣人領での魔族との戦争について火急の報告が入った。
魔導王国が誇る、魔導士百名全滅の報である。
「俺の、顔に、泥を、塗りやがってっ!」
「お、王……様っ、ぐぁっ、お、お許しを! お許し……」
ダイロトの勝利以来、数百年ぶりの対魔族戦争ということで、一部には慎重な意見もあった。
しかも主戦力はヒューマン最弱の獣人である。
だが魔導王国が開発し、獣人領に供与した魔導障壁があり、さらには援軍も出したとあって、オーガ自身はもちろん、側近どころか元老院まで楽勝ムードであった。
それが、真逆の大敗。しかも援軍は全滅の報である。
ヤカンのように急激に怒り狂い、我を忘れたように激高したオーガは、たまたま眼に入った罪のない伝令兵に、当たり散らした。
ベテランの伝令兵であれば、このような「どうしてもしなければいけないが、確実に王の機嫌を損ねる」報告のあと、何が起こるかはわかっている。
普段、王の機嫌をよくする報告ならば競うように役目を志願する彼らも、今回は沈黙をたもった。
だから、今回の大役に抜擢されたのは可哀想に、そんな事情を知らない、昨日配属になったばかりの新人伝令兵であった。
グワシッ!
王の理不尽な怒りを正面から受け止める伝令兵は、必死に両腕でオーガの蹴りを受け止める。
それでも骨がミシミシと軋む音がする。
だが、彼にとっては不幸以外のなにものでもないことに、その反抗的な態度がさらにオーガの怒りに油を注ぐのだった。
怒りにまかせた三発目は、魔力を篭めたキックが繰り出された。
ボキッ!
その、石積みの壁すら破壊する一撃で哀れな生け贄の腕の骨は砕け、顎を蹴り上げられて彼は宙を舞った。
「お、お許し……ください……助け……」
砕けた腕では受け身を取ることもできず、背中からモロに落下して後頭部を強打した新人伝令兵は、世の不条理に涙を流して許しを乞う。
だが目を吊り上げた憤怒の表情のまま、怒りと、他者を痛めつける悦びで頬を紅潮させ、興奮したオーガは一歩一歩、獲物に恐怖を与えるように大きな足音を立てて近づいていく。
涙を浮かべた伝令兵の眼には、オーガの全身から炎のように濃密な魔力がもれて揺らめいているのが見える。
「あがっ……あぁぁぁ……」
頭を足で踏みつけられた、まだ少年の域から出ていない伝令兵の頭蓋骨がミシミシと危険な音を立てる。
彼は理解してしまった。
絶対に助けは来ない。
このまま死ぬしかないのだと。
(お母さん……ごめんね……)
伝令兵という、危険は少ないが国を護るために必要不可欠な役職に息子が就くことを、我が事のように喜んでくれた母に彼は心の中で詫びる。
死への恐怖にまさる、母を悲しませる申し訳なさに、彼は何度もまばたきして涙をこぼした。
「認めん。ぜってー認めねーぞ。俺は誰だ、言ってみろっ!」
「ひゅ、ヒューマン……最強の、ま、魔導王国……国王。オーガ=ヴァーク=アデシュ……様……です……」
「そうだっ。俺が最強。俺こそが最強だっ! その最強の、俺の兵士が、全滅など、許せんっ!」
最後の気力を振り絞り、いちるの望みをかけて王を讃えたにもかかわらず、オーガの足の裏は伝令兵の頭蓋骨を踏み砕き、脳みそを踏み抜く。
それでもオーガの怒りは治まらず、絶命した遺体をしばらく足蹴にし続けた。
「はぁはぁ。おい、チョーシ乗ってる魔族どもを殺しに、こっちから攻めるぞっ! すぐに戦争の準備をしろ!」
「お、お待ちください、王よ……。まずは列国会議にこの件をはかり、他国と連合を組むべきです」
「あぁっ?」
新人伝令兵の遺体をズタボロになるまで痛めつけたオーガは、ようやく溢れ出る勘気を少しだけ抑えたように見えた。
だが、続く命令は非常識なものだったため、勇気を振り絞って側近の一人が制止する。
そのことにまた、オーガの怒りが再燃した。
「お、ま、え、はっ! 俺の国の軍隊が、魔族とかってクソどもに、単独じゃ負けるって、そう言いたいのかっ! あぁっ?」
「い、いえ。滅相もありません。ただ、戦争をするにはカネもかかります。元老院を説得するには、他国を巻きこんだ方が、話が早いのではと思いまして……」
ピクピクとこめかみを震わせながら近づいてくるオーガに戦きながら、側近はなんとか王の勘気を解こうと必死に考える。
「そ、それに……他国を従えて魔族の領土へ攻めこんだ方が、見栄えもよろしいかと」
「……確かに、それは映えるな」
実力が伴っているものの、虚栄心の塊であるオーガの琴線になんとか触れることができたらしく、側近はバレないように小さく安堵のため息をもらした。
「そ、そうです。ヒューマン連合軍の総大将、オーガ=ヴァーク=アデシュ王。必ずや、後世の英雄譚で讃えられることでしょう」
周りの側近たちも、これ以上放置しては自らに火の粉が降りかかりかねないと、ここぞとばかりにオーガを褒めそやした。
「うむ……。お前たちの言いたいことはわかった。ダイロトの勝利を越える、ヒューマン史上最大の勝利か……。悪くないな」
取らぬ狸ならぬ、未だ実現せぬ栄光にオーガは顔をにやけさせた。
「よし、いいだろう。列国会議で俺を総大将として認めさせ次第、こっちから攻めこむぞ。今から準備をしておけっ!」
「はっ!」
グズグズしていては、暴君オーガの怒りに再び火が点きかねない。
側近たちは一糸乱れぬ動きで敬礼し、命令を受けたことをこれ幸いと、散っていった。
彼らはわかっていた。
列国会議が開催されたとして、オーガが総大将になるかどうかはわからないことくらい。
むしろ、帝国が主導権を主張し、オーガは先鋒の司令官程度に押しこめられてしまう可能性が高いことも。
それでも、それを今の憤怒にとらわれたオーガに指摘したところで、自分の身が危うくなるだけだ。
だから、問題の先送りに過ぎないとしても、言われたことに反応し、戦争の準備をはじめる。
あとは、列国会議の結果によって、誰かが犠牲になるだけだ。
それが自分でないことを、神に祈るしかできない。
「あ、おいっ。誰でもいい。この死体を片づけておけ!」
「はっ。かしこまりました」
伝令兵とは仲間であるはずの護衛たちも、オーガの怒りの矢面に立つ勇気などない。
数名の護衛たちが唯々諾々と、理不尽な命令に従って、哀れな犠牲者の遺骸を運び出していった。




