第2話 残虐
胸くそ展開の極みなので、残酷なシーンが苦手な方は読まずに閉じていただいて結構です。
「はぁはぁ。大丈夫か?」
「お兄ちゃん……わたしもう、走れないよぉ。わたしを置いて、お兄ちゃんだけでも逃げて」
逃げる途中、枝や硬い木の葉で傷ついたのだろう。
幼い犬族の兄と妹は着ている服も破れ、ところどころ血を流しながら、足を止めてしまう。
「バカ言うな。頑張れ……あの小屋まであと少し。あそこにたどり着いたら、助かるんだ」
「うん……そうだね。ごめん。私も頑張るよ」
もうすぐ、夜が明けそうな時間。
昨日は、夕飯どころか飲み水すら与えてもらえなかったので、二人とももう体力の限界だ。
それでも恐ろしい猟犬に追い立てられ、武器を持ったニンゲンに追いかけられているので、最後の気力を振り絞って立ち上がる。
この、恐ろしい遊戯をはじめる前。
兄妹を追いかけるニンゲンたちのリーダーと思しき男は言った。
「小屋を目指せ」
と。
「小屋に逃げこめたら、もう追いかけられなくて済むぞ」
とも。
兄妹はその言葉を信じて、必死に逃げた。
犬族は足が速いのが有名なせいで、走りにくいように木でできた枷をはめられていたが、二人は必死に逃げた。
そして、目標の小屋までの路がはっきりと見えるくらいまで近づくことができたのだ。
「あとちょっと……うわぁぁっ!」
もう少しで助かる、という安心感が生んだ油断。
二人は、すぐ後ろまで迫られていることに気づかず、魔法攻撃が至近距離で炸裂して吹き飛ばされた。
(耳が……)
今の爆風で、片耳が聞こえなくなってしまった。
内側にある膜が破れてしまったかもしれない。
「お兄ちゃん……もう、私を置いていって!」
妹はもっと悲惨な状態だ。
脚に木の枝が突き刺さり、歩くこともできそうにない。
「バカ言うな! お前を置いていくくらいなら、兄ちゃんも死ぬ!」
兄は、もう乏しい最後の力を振り絞って枝を払い、足を貫かれたままの妹を抱きかかえる。
とうぜん、スピードは犠牲になる。
それでも、妹を置いて自分だけ助かるなんてできっこない。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
必死に逃げる。
妹は、足手まといの自分を恥じて、泣き続けていた。
「心配するな。あとちょっとだ。助かるぞ……うぐぅぅっ!」
「あぁ、お兄ちゃん……ごめんなさい……私が居たから……ごめんなさい……」
逃げる兄妹をいたぶるように、兄の腕が後ろから飛んできた光線で射貫かれる。
骨にまで達したその攻撃で無情にも片腕の感覚がなくなり、力も入れられなくなって、妹を抱き続けることができなくなった。
そのままバランスを崩して、前のめりに倒れこんでしまう。
「なんだ、もう逃げないのか?」
兄妹を追いかけるリーダーの男が現れた。
ボロボロの二人を、実に楽しそうな、恍惚とした表情で見下ろしている。
「逃げないなら、ここで死ぬぞ?」
男の指から、先ほど兄を射貫いた光線が放たれる。
妹を狙ったそれを、兄は自らの身を挺して防いだ。
「ぐぁぁぁっ!」
とうぜん、攻撃は兄の体を無慈悲に貫く。
お腹に疵を負い、立っていることもやっとだ。
「あぁ、いいねぇ、その絶望に満ちた貌。お前等、言葉をしゃべる獣を狩る遊びは、これだから辞められないんだよ」
「……俺たちは、お前と同じヒューマンだ。獣じゃない」
兄は、妹を背中に隠しながら、ジリジリと後ずさる。
あと、わずかな距離だ。
妹だけでも逃がす。
それが兄の決意だった。
「あぁ? ヒューマン? バカ言うなよ。お前等は俺からすれば、ただのケダモノだ。ちょっとばっかり言葉が話せるからって、調子乗ってんじゃねぇ」
大股で近寄った男が、兄の顔面を蹴り上げる。
顎にクリーンヒットしたその一撃で脳が揺らされ、兄の膝はガクガクと崩れ落ちた。
「ふん。ただの動物だと、言葉が通じねぇからつまんねぇが、お前等しゃべる獣は、命乞いが良いんだよ。ほら、してみろ。命乞い。上手にできたら、殺されないかもしれないぜ」
「ふざけるな。僕たちは、ヒューマンだ。お前みたいな、獣がニンゲンの皮をかぶったみたいなのと、一緒にするな……ぐぁぁぁっ!」
「お、お兄ちゃんっ!」
剣で、右足を刺し貫かれた。
後ろの木に剣先が突き刺さっていて、動けない。
「逃げろ。小屋まで、這ってでも逃げろっ!」
兄は、妹の小さな身体を押す。
小柄な娘は、兄の最後の力で転がり、手を伸ばせば小屋の扉が届くところまで到達した。
「おいおいおい。逃げんなよ」
残忍な男は、妹を捕まえに行こうとする。
「い、行かせる……ぐぁぁぁっ! かぁっ!」
兄は、突き刺さった剣で自らの足を切り裂きながらも、必死に男の脚にしがみついて、妹を助けようとする。
「あぁ? チョーシ乗ってんじゃねぇ!」
掴まえた方と反対側の足で、ゲシゲシと顔を蹴られる。
だが、兄は手を放さなかった。
片手は光線で穴が開いていて、血が流れっぱなしで、力も入らない。
それでも、死んでも放さないという気迫でつかみ続ける。
「あんま必死になられると、つまんねぇんだよっ! 楽しさが半減するだろうがっ!」
「げふっ!」
顔がぼこぼこになるまで蹴られても放さなかった兄の腕も、背中の骨がきしむほど強く踏みつけられると、息が出来なくて力が抜けてしまう。
「逃げ……ろぉ……」
「お兄ちゃん……ごめんなさい……ごめんなさい……」
妹は、腕で這うように小屋に近づいていく。
あとちょっと。あとちょっとだ。
だが。
「残念でした。また来てね」
兄妹が聞いたことのないリズムを口ずさみながら、男が妹の顔を蹴り上げ、兄の方に転がらせる。
「おい、命乞い。しろよ。つまんねぇな」
「妹は……妹だけは助けてください……」
「お兄ちゃん……ダメだよ。ずっと一緒だよ」
泥だらけの妹が、蹴られて傷だらけの兄の顔をギュッと抱きしめる。
「はぁぁ。つまんねぇの。そーゆー、お涙頂戴みたいなのは要らねーんだよ。ケダモノのくせに」
イライラした男が、妹を狙って指から光線を出す。
兄は、どこにそんな力が残っていたのか自分でもわからないが、妹の前に体を投げ出して盾になる。
「お兄ちゃん……お兄、ちゃぁぁぁん!」
妹はわかってしまった。
もう……兄は助からないと。
自分をかばって、助かる命を捨ててしまおうとしていると。
「ごめんね……ごめんね……」
眼を開けてくれない兄におおいかぶさり、今度は自分が兄を護ろうとする。
「お兄ちゃん……大好きだよ……っ!」
「ちっ、うっせー」
男が無造作に剣を振るうと、妹の首がその幼く小さい胴体に永遠の別れを告げた。
「殺す……お前を、絶対、呪い殺してやる……」
妹の血の熱さで目を覚ました兄は、呪詛の言葉をつぶやき続ける。
「はんっ。獣の分際で呪いなんて使えるわけねぇだろ」
イライラをぶつけるように、男は妹の身体ごと、兄の腹を突き刺す。
「そもそも、呪う相手が間違ってるぜ。悪いのはお前だ。弱い、お前が悪いんだよっ!」
剣を突き刺したまま、ぐりぐりと回転させる。
内臓をぐちゃぐちゃにしている感覚が手に伝わってきて、男は恍惚とした表情で堪能している。
「あぁ、堪んねぇな。魔法で殺すのもいいけど、こうして、自分の手で命を刈り取るのもイイ……。イッちまいそうになる」
剣を回すたびに、ビクビクと断末魔の痙攣をしていた兄の体は、いつしか動かなくなってしまった。
「ふん。もっと長く愉しませろよ」
ゾクゾクと、悦楽に耽溺しただらしない表情を歪めて、理不尽な言葉を投げかける。
「弱いくせに、誰かを護ろうだなんて、バカなことを考えるからだ。反吐が出るぜ」
弱者には虫唾が走ると公言するオーガ王は、こうして弱者をいたぶることを殊の外好んだのだった。




