第1話 魔導王国の暴君
「ひぃぃっ、助け、助けてぇ」
森の中を、屈強な牛族の獣人が、ヨタヨタと逃げている。
全身から血を流し、着ているものの元の色がなんだったか、分からないほどの出血量だ。
「ほぉら、もっと早く逃げろ。でないと、当たるぞぉ」
「ぐぁぁぁぁっ!」
遠くから飛来した光の球にふくらはぎの肉をえぐられ、獣人はバランスを崩して前のめりに倒れこんだ。
「なんだ、もう終わりか?」
ニヤニヤと笑いながら、男が木の影から現れた。
髪の色は綠みを帯びた黒。
耳はアールヴほどではないが、尖っている。
それらはハーフエルフの特徴だ。
そして男は獲物が着る血染めの衣服よりも赤い、紅の上着を羽織り、前のボタンを全開にしている。
その下には、引き締まった肉体が見える。
労働でついた筋肉ではなく、戦闘に特化した鋼の肉体だ。
深紅の上着の上には、金を織り込んだ贅沢なマントを羽織っている。
その背中には、この世界の文字ではない文様が描かれており、使われている糸は一般兵士の年収をはるかに超えるという一級品だ。
それだけで、この男がやんとごとなき地位に就いている者だと、見る人が見ればわかるだろう。
「お、お許しください……なんでも、なんでもいたします。ですから、どうか……ぎゃぁぁあっ!」
獣人の男は最後まで命乞いの言葉すら話せない。
「あっ……あぁぁぁ」
今の攻撃でえぐられた肩を押さえながら、苦痛に転がり回って悶えている。
「牛族は我慢強いと聞いたのに、期待外れもいいところだな」
「あ、あぁぁぁ」
髪の毛をかき上げ、笑みを浮かべながら近づいてくる男の肩の上には、先ほど牛族の男の肩を消滅させたのと同じような光球がいくつも浮かんでいた。
「なんでもするんだったか?」
ポケットから手鏡を取り出し、髪型をチェックしつつ問う。
この世界には二人といない髪型がキマッているか、入念に確認している。
しかし、狩られる獣人には分かっていた。
視線は外れているが、注意は向けられたままだと。
もし、少しでも逃げる素振りを見せれば、その瞬間、彼の命は刈り取られてしまうのだと。
「じゃあよ、俺の心を動かすくらい、すげぇ命乞いしてみろよ」
「……えっ?」
生きるか死ぬかというときに聞かされるには、冗談のようにしか聞こえない。
「んだからよ、お前のさっきの許してー、助けてー、って、全然感動しねぇの。わかんねぇならすぐ殺すぞ」
「な、なんでもいたします……」
「それ、さっき聞いた」
「助けていただいたら、御主人様のために死ぬ気で働きます」
「つまんねー。却下」
なにを言っても認めてもらえず、牛族の男は絶望を顔に貼り付ける。
「お、お願いです。チャンスを……ぐほぉぉっ!」
すがりつくように足下に身を投げ出すが、顔面を蹴り上げられて、痛みに地面を転げ回る。
「そんなにとっとと死にてぇか?」
鼻の骨が折れ、ダラダラと鼻血を垂れ流しながら、牛族の男は首を振って命乞いを続ける。
「んじゃあ、サービス問題。俺が誰か当てたら、苦しみから解放してやるよ」
これが最後のチャンスだと、言われなくても分かった。
必死に頭を回転させる。
「ま……魔導……王国国王……四天王のお一人、オーガ=ヴァーク=アデシュ様?」
「……どーして、そう思った?」
当てられたことで不機嫌になる男。
だが、男の言葉にすがるしかない獲物は気づくことができずに、言葉を続ける。
「わたしは奴隷として、魔導王国に売られました。先日まで、農作業をさせられていたので、間違いありません」
「そんで?」
続きを促される。
それは、問答無用で殺されないだけ、正解に近づき、助けてもらえるかもしれないという希望を抱かせるには十分だ。
「ある日、御主人様から税金として奴隷を納めると言われて、連れてこられました」
「ふんふん」
冷ややかな眼で見下ろされているが、沈黙した瞬間、殺されそうで言葉を発し続ける。
「国境は越えていません。魔導王国に最初に連れてこられたとき、国境を越えるときに奴隷の証を検分されました。今回、それをされてないので」
「ほうほう。そうか」
話が長いことで、男が飽きて苛立っているのだが、哀れな獲物は聞いてもらっているという錯覚のまま、なおもしゃべり続けた。
「そして、獣人たちの中で、王が奴隷集めて、お持ちの狩猟場に放ち、狩りをしていると、うわさを聞いたことがありますので……」
「ふーん。うわさになってんのかー」
そこまで聞き出せば用済みと、オーガは片手を上げ、攻撃態勢になる。
「な、なんで……助けてくれるって……」
助かるかもしれないという希望のあとに訪れた絶望に、牛族の男は顔をぐしゃぐしゃに歪めた。
「あぁ。苦しみから解放してやるよ。よかったな、もう二度と苦しい思いをしなくて済むぜ」
オーガが手を下ろした瞬間、複数の光球があわれな獲物に殺到する。
光球に包まれた体は、一気に体液を沸騰させ、絶叫のような悲鳴が漏れる。
「あぁ、最後の悲鳴だけは悪くないな……イキそう」
オーガは、硬くなった股間をあやすように撫でながら、死んでいく牛族の男を熱く見つめた。
体液が沸騰したことで体積をまし、体のところどころがボコボコと膨らんだりして歪んでいる。
肌が瞬間的な膨張に耐えきれずに何カ所で弾け、血が噴き出す。
「あぁ、熱いな……」
その命の残り火。
文字通り熱い血潮を浴びながら、口の周りに飛んできた血を舐め取るオーガ。
「昨日も興奮したけどな……今日も最高だ」
性的興奮で体をガクガクと震わせ、オーガはしばらくそこで死にゆく犠牲者の肢体に、剣を突き刺して愉しんだ。
「あー、やべぇ。パンツ汚れた」
「ずいぶんお楽しみ、でしたな」
王から数歩下がったところに控えていた、護衛の長が声をかける。
「あぁ、最高だよな、この遊び」
手に着いた返り血を舐めながら、オーガは余韻に浸っていた。
護衛には、王の趣味が理解できない。
だが、護衛対象よりも弱いことを国中の誰もが知っている立場では王の不興を買うことなど出来ず、ゴマをするようにそばに侍ることしかできない。
「そーいや、昨日の女の死体はどうした?」
「……バラバラに切り刻んで、棄てておきました」
護衛の長が答えると、「そっか」とだけつぶやき、興味を失ったようだ。
目の前の惨劇も眼を背けたくなるものだが、昨日のモノも非道かった。
国王として、血統を残すためには愛妾の数人くらい囲うのは問題ない。
オーガ王に問題があるとすれば、その妾の全員が獣人ということだ。
しかも、半年くらいで入れ替わっていく。
殺されて。
借金の形に親に売られた娘や、誘拐されて奴隷の刻印をされた被害者など、哀れな女奴隷を買い集めては、無慈悲に犯す。
だが、行為は荒々しいが、終われば閨の中では優しくするらしい。
そうして娘たちの心を操り、身寄りのない境遇では王を信頼し、頼るしかない心境に陥れた後、殺すのだ。
信頼し、依存していた相手に裏切られ、殺される。
その瞬間の顔が堪らないらしい。
他の妾たちには、飽きたから部下に下げ渡したと説明している。
娘たちにそれを検証する術はなく、順番に殺されていく。
オーガは、この世界では特殊な考えを持っている。
獣人はヒューマンではない、という固い信念だ。
だから、無惨に殺せるのだろう。
だが、護衛の長はそうではない。
獣人も自分と同じヒューマンであり、死体を片付けるたびに心が死んでいく。
特に、昨日のように、死に顔に絶望が貼り付いた死体を処理した後は。
「噂になっているというのは捨て置けませんな。なにか対策が必要ですかな」
王の趣味を邪魔しないよう、陰に隠れていた側近が提案する。
「んなもん、要らねぇよ。俺を誰だと思ってんだ?」
「……ヒューマン最強の男。魔導王国国王様です」
仮面をかぶった側近の答えに満足そうにうなずくオーガ。
「あぁそうだ。俺様が最強。天下無双の男よ。そんな最強の存在を、誰が止められる?」
ニヤリと笑う顔は、弱い者を殺す楽しみに輝いていた。
「今日の獲物はもう終わりか?」
「いえ、ご安心ください。まだ一組残っております」
護衛の長とは違い、主人の残忍な趣味に同調することになれた側近は、オーガがかならず次の獲物に食いつくとわかっていてもったいぶる。
「イヌの、幼い兄妹です。逃げ足だけは速いので、足かせをはめてあります」
「はっは! いいねぇ。相変わらず、俺の好みがよくわかってんなー」
舌舐めずりして、弱々しい獲物が命乞いするところを踏みにじる想像に息を荒げるオーガ王。
「行くぞ。楽しい、狩りの時間だ」
マントをバサッと片手で開くようにしながら、オーガは獲物を求めて走り出した。




