第8話 列国会議1
「はぁ……遠いな……」
馬車に揺られながら、ノーク=ホットローはつぶやいた。
「帝国は……亜人には辛い場所なんだよな……」
目的地での同胞の扱いを思い出して、深いため息をもらす。
光が当たると反射するような黒い肌は、普段からよく手入れするだけの財力をもった、高位のダークエルフであることを雄弁に物語っている。
胸元につけた紀章は、各国に最大限の配慮を求められる外交官である証だ。
だが、ノークの気は晴れない。
数年ぶりに開かれる列国会議という、外交にたずさわる者にとっては最高の晴れ舞台に向かっているのだが、これから待ち受ける苦境を思えば、明るくなんてできるわけがない。
「外交官だなんて言っても、全権大使なんて拝命しても、役割はボコボコにされることだからなぁ」
またため息がもれる。
国境に着き、関所をスムーズに通るために一度馬車を降りる。
とたんに、バカにするような空気がただよった。
「ダークエルフ南辺境伯領特命全権大使、ノーク=ホットローです。列国会議出席のため、通していただきたい」
「……お役目、ご苦労様です」
列国会議の参加証を見せれば、いくら亜人への蔑視が厳しい帝国人といえども、形ばかりの敬礼のあとですんなりと国境を通過させてくれる。
なにしろ、今回の列国会議の主催者は彼らが戴く皇帝なのだから。
獣人領が魔族に併合されてもう三か月が経過していた。
獣人辺境伯領の魔導障壁破られる、の報はまたたく間に全世界を駆けめぐり、数百年ぶりの事態に各国は一気にパニックに陥った。
明日は我が身と、各国が反射的に国境を閉じたせいで、商人国家が悲鳴をあげるほど物流もとどこおった。
各地で買い占めや売り惜しみ、それらが原因となった人為的な飢饉が起き、悪徳商人の倉庫が焼き討ちにあった国もあるという。
だが、魔族が獣人領からなかなか出てこないことに気づいた各国の指導者たちは、徐々に落ち着きを取り戻すと、犯人探しをはじめた。
とうぜん、魔族に領内を通過させたアールヴとダークエルフに批難が集中する。
アールヴはそんなもの関係ないと無視しているようだが、交易が国の重要な産業となっているダークエルフ領は捨て置けない事態となった。
(それもこれも、辺境伯が目先の利益だけ考えて、魔族なんかと盟約を結ぶからだ!)
現場は悲鳴をあげるが、上層部にはまったく届かない。
とはいえ、いくつかの国の王から書簡が届き、アールヴとダークエルフを除いた各国が緊急で開いた非公式列国会議で両国を参考人招致すると決議されて通達が到着するに及び、タックム=ブリック辺境伯もようやく事態の深刻さを理解したらしい。
慌てて次官級でしかないノークを特命全権大使に任命して送りこんだ、というのがこれまでの流れだ。
つまり、本当の高官は温存して、次官級でしかないノークを生け贄にして乗り切るつもりなのだろう。
あ、そうそう。
他にも言うことがあった。
なぜ、西の果てである魔族と獣人領での問題を協議するのに、東の果てである帝国で列国会議が開かれたかというと、開催場所で揉めにもめたからだ。
本来の列国会議は、開催場所については原則持ち回りである。
自然と開催地を治める国が主催者となり、議事をリードする。
大国に対し、小国が伍する重要な要素だ。
その原則にのっとれば、今回は戦女神教皇国で開かれるはず……だったのだが、現人神神聖国家の元首と、大地母神法皇が強硬に反対した。
とうぜんだ。
魔族との戦いというハレの舞台を整える大事な会議を牛耳れる機会など、これから数十年以上ありそうもない。
自国で開催できないのなら、信徒獲得争いで競うライバルに、決して華を持たせないように反対するという、みにくい足の引っ張りあいでしかないわけだが……。
だが、ゼロベースで開催場所を決めようとすると、さらにもめた。
まず手を挙げたのは、中部の雄である魔導王国だ。
だが、獣人領と国境を接している……どころか、今回獣人領に援軍まで出していて、次に狙われる可能性が高いため、各国が渋ったことで立ち消えた。
誰が好きこのんで、最前線に近いところに自国民の政府高官を送りこみたいと思うだろうか。
そうなると、各国を納得させられる開催場所がもうない。
接待体制が整っている商業都市連合で開催するという案もあったが、あの国は民衆の力が強い。
商業活動が低迷している状況では、権力を握る大商人と数が多い中小商人の対立が激化しやすくなる危険がある。
すると民衆は反権力に立ちやすく、治安維持に不安があるということで辞退されたという。
結局、対魔族戦線で最大の戦力になりそうな帝国での開催となるという、不満と不安の残る形となってしまった。
以上の経緯を見ればわかると思うが、連合して魔族と戦う以前に、すでにして各国の思惑が入り乱れ、統一戦線の構築が危ぶまれていた。
いや、一点だけ各国が手を組むことができる要素がある。
アールヴとダークエルフの責任を問い、糾弾し、謝罪させた上で、捨て駒として戦力を拠出させる腹づもりは、各国が共通してもっている認識だ。
(あー、胃が痛い……)
ノークは馬車の車内で腹と頭を押さえた。
「会議は明日……あー、俺、生きて帰れるかな……」
帝国にあるダークエルフ辺境伯領の定宿につき、荷物を解いたノークは窓を開けて夜風に当たりながら感傷にひたる。
「なんで、到着した次の日がいきなり会議なんだよ……」
こういうのは、ふつう数日前に到着していろいろ準備しておくものだろうに。
ノークはまた大きなため息をついた。
各国の狙いは分かっている。
アールヴとダークエルフに南北から魔族領に侵攻させ、その隙に獣人領を解放。
初戦で損害を負った魔族領に逆侵攻して、豊かな魔族の土地を奪ってからダイロトの勝利後のように講和に持ちこむ。
「そんなこと、できるのかよ……相手は魔族だぞ?」
若いころ、はぐれ魔族の討伐に参加したことがあるが、本当に死にかけた。
ダークエルフの精鋭を何人も道連れにして、ようやく死んだ魔族の強さを目の当たりにしたものでなければ、この怖さは理解できないだろう。
「無理だよな、きっと……」
でも、会議では数の力で押し切られる。
そうしたら、今度は辺境伯を説得しなければならない。
「絶対殺される……」
そんな無理ができるかと、全権大使の責任問題になり、処刑。
もはやそこまで見えているようだ。
「詰んだ……」
こんなところで……死ぬのか、俺は。
まだ何も成し遂げていないのに……。
「お困りですか?」
背中から声をかけられて、ノークは飛びのいた。
部屋の真ん中に、幼く見える女が立っている。
だがドアは閉まったままだ。
(どこから入った?)
ノークは外交官だが、ひ弱な文官ではない。
そもそも魔力至上主義が残るダークエルフ領で、それなりの高位に位置しているのだ。
素人ではまったくない。
そのノークが侵入されたことに気づかないとは。
かなりの手だれと言っていいだろう。
「ずいぶんお困りのようですね」
笑顔を貼りつかせた幼女がつぶやく。
見た目はニンゲン。
背も小さく、手足も細い。
それ以上に、ダークエルフのノークですら一瞬見惚れるほどの美少女。
だがノークの戦場を経験し、生き延びたときに会得した勘が警報を鳴らす。
これは危険な存在だと。
「……何者だ?」
「エリス=エリスティスと申します」
優雅にスカートの裾を持ち上げながら頭を下げられるが、その間もまったく隙がない。
「ニンゲン……ではないな」
「はい。アイェウェの民です」
それは確か……。
「あなた方が魔族と呼ぶ者の一員ですね」
ゾクッと背筋が凍る。
一対一で魔族と対決して生き残れるなどという幸運に恵まれたら、そのあとの一生、何ひとつ幸せなことがなくても不思議でないほどだ。
「あぁ、ご心配なく。あなたに危害をくわえるつもりはございません」
そう言ってまたちょこんと頭を下げる。
だが口調も態度も丁寧なのに、底知れぬ恐ろしさを感じさせる。
「危害をくわえ……ないなら、なんの用だ?」
恐ろしさに声がかすれる。
「あなた様のお役に立ちとうございます」
スカートの裾をつまみながら頭を下げられ、困惑するしかない。
「つまり……魔王……様は、盟約を結んだ我々ダークエルフを助けてくれるというわけか」
エリスの説明を受けて、ノークは少しだけ納得し、安心する。
全面的に信頼はおけないが、信じられないといったところで、戦って勝てるわけでもない。
なるようになれだ。
だが、魔王の使者を名乗る幼女の指摘は的確で、まるで未来を見通しているよう。
少なくとも、なんの策も分析もなく、生け贄に送り出したダークエルフ辺境伯より、よほど頼りになる。
そして何より貴重な情報をもたらしてくれた。
「まさか、アールヴが招集に応じないとはな……」
同じ立場のアールヴが参集しないなど、ダークエルフの指導者層は予想もしていないだろう。
「彼らは、あなた方と違って交易を止められても困りません。つまり、この会議に参加する必要性がないのです」
理にかなっている。
となると……。
「あなた方ダークエルフに批難が集中してしまいますわ」
「そうだな……」
胃が痛い。
各国から詰められる明日の自分の姿を想像して、ノークは腹を押さえた。
「だからこそ、私の授ける秘策が必要でしょう?」
「あぁ、よろしく頼むよ……」
ノークは翌日の会議のことを思ってため息を吐いた。
このあと、昨日のノクターンの続きをアップしますので、年齢制限に問題ない方はそちらもご笑覧ください。




