第4話 絶望の時間3
「痛てて……」
何回蹴られたかわからない。
全身が痛いが、着替えなければと必死で校舎に戻る。
ヨロヨロと歩いていると、横から足を出され、盛大に転んでしまう。
「いてっ! お前さぁ、俺の黄金の両脚に怪我させるつもりかよ。責任取れんのか? 取れねぇだろ!」
足を引っかけておいて、こちらのせいにするような卑劣な男は、栗田璃空だと思ったらそのとおりだった。
「怪我してたら、お前に足をかけられたって言うからな!」
自分からやっておいて、捨てゼリフを吐いてどこかへ行ってしまった。
陸上部で百メートル走の選手であり、イジメもヒットアンドアウェーのようにすぐに逃げだすか、言葉たくみにこちらに非があるかのように喧伝するのが上手いやつだ。
だが、我が校の陸上部エースに機嫌を損ねられると面倒だ。
数十年ぶりに短距離で全国大会に進んだ彼のモチベーションを下げないよう、現在学校をあげての接待中。
彼に逆らうことなど許されない雰囲気になっている。
だからよけいに調子に乗っているのだが、彼の悪行を告発する雅人の訴えなど誰も聞くわけがないのだ。
下足入れで渋滞が起きている。
そこで、数人の女子生徒に護られるように囲まれている姫こと、川野和花と目が合ってしまった。
「っ!」
まるで汚物でも見るような目で見下され、精神的に大ダメージを負う。
確かに可愛いとは思うが、初対面からあの視線に晒されてきた身としては、恋心など抱きようもない。
「あーあ、お前の今日のオカズは姫か」
後ろからナチュラルにお尻に膝蹴りを入れながら、クラス一の遊び人である小川牙雄が不穏な言葉をかけてくる。
「や、やめてよ……そんな。恐れ多いよ」
たとえ嘘でも、そんなことが親衛隊に聞かれたら、また危害を加えられるというのに。
「寂しいな、童貞ヲタクは。まぁ、俺は今夜、女子大生のセフレと約束があるけどな」
聞いてもいないことをペラペラと話してくる。
嘘のようにも聞こえるが、実際に何人もの女性とデートしていたり、ホテルに入っていくところを目撃されている。
僕には一生縁のない世界だ。
「遅い! そんなんじゃ、金はやれないな」
「そんな……お願いします。お駄賃を恵んでください」
体育の後の恒例行事と化している、パシリにさせられている丹下源太が、買ってきたジュースの代金を払って欲しいと、訴えているのだろう。
丹下は、父親と妹二人の四人家族。
治療の甲斐なく死んでしまった、母親の難病の治療費で借金を抱えているらしく、パシリでもなんでもする。
そこに目をつけているのが、金持ちのボンボンである徳井郁人だ。
親が社長をしていて、使い切れないほどの小遣いをもらっており、金の力でこうして他人を屈服させるのが趣味のような性悪なヤツだ。
「こんなことなら、二人のどちらかに頼めばよかったよ」
「郁人さんのご命令なら、喜んで。まぁ、僕らは命令をお聞きする前に準備しておいてお待たせしたりしませんけどね」
徳井の取り巻きというか、太鼓持ちである矢本智也と座間味真が、見え見えのおべっかで主人を持ち上げている。
座間味など、父親が元ボクシングの世界チャンピオンで、その血を濃く引いているのが丸わかりな偉丈夫だ。
だが、揉み手で御主人様のご機嫌取りをしている姿からは、あふれ出る小物臭がただよってくるようで、見ているだけで反吐が出そうな光景だ。
と、徳井がこちらを見て下卑た笑みを浮かべる。
警戒するも、本命は違うところから現れた。
「あの……石村君。徳井さんから、たまには君にも飲み物恵んであげよう、って」
丹下が差しだしたモノを見てギョッとする。
「た、タピオカ? ミルクティーだよ」
イジメられているわけではないが、いつその地獄に堕ちるかわからない恐怖におびえる丹下は、罪悪感にかられながらも、徳井の命令どおり用意したモノを渡してくる。
それがタピオカなら歓迎だ。
だが、底に沈んでいる黒い球体は小さく、プルプルとしたなにかにおおわれていた。
(カエルの……卵じゃないか……)
「おい、どうした。せっかく僕が恵んでやるんだ。味わって飲めよー」
徳井が言うと、真実を知った周りの連中が早く飲めとはやし立てる。
「い……いらない」
さすがにこれは気持ち悪くて受け入れられない。
だが、自分のくだらないアイデアに悦に入った徳井がさらに急かしてくる。
「丹下! 飲ませろ」
「飲んで、石村君……お願い……」
丹下としては、いつ自分がこのポジションにされるか分からず、必死だ。
だがこちらも、だからといって受け入れることはできない。
しつこく突きつけてくるカエルの卵入りドリンクを、右手で払うと、教室に中身がぶちまけられた。
女子からの悲鳴が室内に響きわたる。
「ちっ! 丹下! 片付けておけ」
徳井の怒りの声にビクッとなってから、丹下が手でカエルの卵を容器に必死に戻し始めた。
「ねぇ、石村君」
丹下から目を逸らして席に向かおうとすると、生徒会に所属しているもう一人、前田絵麻が声をかけてきた。
「クラスのSNSをチェックしたんだけど、これ、何?」
その言葉で、数名の人間が一斉にSNSを開く。
「げぇ、マジかよ」
「ヲタクなのは知ってたけど、こんな趣味まであったの?」
「人として、サイテー。マジで死んでくれないかな」
いつにも増して、強い批難が集中する。
何が起こっている?
なんだ?
状況を把握できず、前田が突きつけてくるスマホの画面を見ると。
「違う……僕じゃない……こんな、こんな趣味はない!」
「どうだか」
「最近のアニメって、こういう年齢不詳のキャラ多いって聞いたー」
「昔あったよね。ロリコンなヲタクが、マジで子供さらって殺しちゃった事件」
完全に僕のせいにされている。
でも身に覚えなんてない。こんな……3Dの幼女の裸体をSNSに投稿したことなんて、絶対に。
そもそも、女神三姉妹なら未来じゃなくて現在が好みだ。
皇庁の王女三姉妹でも、次女一択。
えみりゅんとか、マイとユイの双子とかではない。断じて。
「ねぇ、アナタのアカウントから投稿されてるの。犯人が誰かなんて、全員知ってるわ」
前田が、ゴミかゴキブリでも見るような視線で見てくる。
「僕じゃ……ない。僕じゃない……」
「ヲタク趣味っていうの? 別に人の好き嫌いに私は興味ない。でもね、みんなの共有の、公的な空間にこういう犯罪のニオイのする画像を投稿されると、みんなが迷惑をこうむるの。やめてくれる?」
誰も、誰も僕じゃないという訴えを聞いてくれない。
絶望に駆られながら、教室を見渡す。
窓際の隅でイチャイチャしながら話すモブな幼馴染みカップルも、バレー部の次期エースと言われる女子も、いつも仲良く一緒にいる幼なじみ男女三人組すらも、誰も彼もが目を逸らす。
もう一度、前田に無実を訴えようと前を向いた瞬間、彼女の口元にゆがんだ笑みが浮かんでいるのを見てしまった。
(ま、まさか、今までのも、コイツが……)
思い返してみれば、雅人がイジメられたきっかけも前田がかかわっていた。
「お、お前がっ!」
思わずつかみかからうとした瞬間、横から岡田に腕をつかまえられてしまう。
「お前、軟弱なだけじゃなくて、女に手をあげる卑怯者だったのか!」
「いて、痛て、はなせ、はなせよ!」
だが、手首の骨が折れそうなほどの強さで握られ、嫌な汗が全身からふき出す。
(畜生。どいつもこいつも、くそったれだ!)
あぁ、昼休みなんて待っていられない。
今すぐだ。
今すぐ何かが起こってくれないなら、僕が起こす。
ここに居る連中を、一人残らず殺してやる。
絶対にだ。
「その決意、忘れないでね」
頭の中に声が響き渡ったと思った次の瞬間。
教室の中心で何かが膨れ上がり、そこで僕は意識を失った。
最期に覚えているのは、猛烈な痛みと、これでもう楽になれるという安堵の感情だった。