第28話 翌朝
『どうして……どうして、こんなひどいことを……』
朝になって解放された辺境伯夫人、アルテ=ブバスティスは、人形のように無表情のまま、なんの反応を見せなかった。
『恨んでるのはわかった。でも、これはやりすぎだと思わないのか?』
妻が壊されていくのを夜通し見せられた彼女の夫、イミュート=ジュスルこと、田中鉄太が縛られてなお、焦燥しきった顔で食ってかかってくる。
『そう言うけど、俺が教室でも、どこでも助けを求めたとき、お前たちは少しでも助けようとしてくれたか?』
冷たく言い放つと、黙ってしまう。
『助けたら、自分がイジメの標的になるかもしれない。そうやって積極的に見捨てなかったか?』
ぐうの音も出ないほど、反論できないらしい。
くだらない男だ。
まぁ、しょせんはモブキャラ。お前はメインディッシュじゃないから、そろそろ勘弁してやるよ。
『イジメだなんて……いじられてただけじゃないか……』
鉄太のつぶやきを聞いて、雅人は思わず首を斬り落としそうになる自分を必死に自制した。
いじられ?
あれが?
小池だけじゃなくて、お前も本気でそう思ってるのか?
魔王として生を受けてから、人の上に立つものとしてイタリアの歴史の教科書に書かれているといわれる、五つのリーダーの徳目を指針にしてきた雅人は、全身から自制心をかき集めて、なんとか踏みとどまった。
(人は、見たいと思う現実しか見ない生き物である……)
それにしても、都合の良い思いこみだ。
『池井は……俺がいつ死ぬか、カネを賭けてるって言ってた。それがイジメじゃなくていじられ? ほぼ犯罪じゃないか』
吐き捨てるように言うと、鉄太はショックを受けたような顔をしている。
『池井君がそんなこと……』
『お前もカネ賭けてたんじゃないのか?』
『し、してない。僕も、恵子も、断じてそんなことは!』
必死になって抗弁しているが、許してやるつもりはない。
『まぁそんなことはどうでもいい。お前たちは俺を助けずに無視した。それだけで俺にとっては殺してやりたいほど、憎い』
冷たい目線で見下すと、ガックリと肩を落とした。
「我が君、これ、どうしますか?」
インキュバスの中隊長格がアルテの処分について聞いてくる。
壊れた女を抱いてもインキュバスの強化にはつながらない。
せいぜい、たまった欲望を排泄した、くらいの感覚だろう。
だから、もうこの女は用済みだ。
「そうだな……」
周りを見回すと、さすがに夜通し続けられた狂宴に付き合い続けられる者は少なく、観衆はまばらだ。
そのほとんどが、もしかしたらご相伴にあずかれるかもしれない、という欲望ににごった目をしている。
(つい一昨日までは領主として慕っていた相手を、もうそんな目で見られるのか)
平民の変わり身の早さに驚く。
と同時に、それこそが戦乱や疫病に満ちた日々をやり過ごす民衆の処世術なのだと納得する。
政変に負ければ王や王妃ですら断頭台のつゆと消え、戦争に負ければ、後世の政治思想に多大な影響を与えた指導者ですら裸にされて逆さまに吊られる。
それが現実だ。
「我が君?」
再度インキュバスに声をかけられて我に返る。
「そうだな、少し待て」
待機命令に従順に応じる。
とりあえず、下腹部を満たして一服、という感じなのだろう。
昨晩のような、ギラギラした雰囲気は薄れている。
『どうしようか。あそこで待ってるヤツらに下げ渡したら面白いと思わないか?』
絶望に目を泣きはらした元クラスメイトに声をかける。
まだ妻の地獄は終わらないのかと、鉄太は涙をボロボロと流す。
妻と自分に与えられた運命の過酷さに毛が白くなり、一気に数十歳は老けこんでしまったようだ。
さらにはストレスでその毛もズルズルと抜けていってしまう。
復讐対象がそんな苦しみに満ちた表情を見せたことに雅人は、ようやく満足そうな微笑みを浮かべた。
『どうする? あの状態なら、一思いに殺してやった方が幸せかもしれないぜ』
『待って、待ってくれ。まだ罰を与える気なら、俺が受ける。だからもう妻には、恵子にはなにもしないでくれ……』
必死になって土下座して妻の命乞いをする鉄太。
その普通なら哀れを誘う姿で、雅人はこれ以上この二人へ復讐することに興味を失った。
「少しは辺境伯としての自覚があるかと思ったが、臣下を殺してまで助かろうとした女をかばうとはな。見損なったぞ」
周囲に理解できるようにこの世界の言語で侮蔑の言葉を投げつける。
「そうですね……そのとおりです。でも、それでも、わたしは妻を愛しています。もうなにも望みません。ただ、妻を介護して生きていくことだけを認めてください。……魔王様」
「牛族と羊族は族長交代と、新族長を俺のモノにしたが、お前は娘たちを差し出せるのか?」
唇を噛み、一瞬考えた鉄太は、覚悟を決めたようにうなずく。
「はい。犬族と猫族のため、娘を魔王様に捧げます。ただ……二人とも世間知らずに育ってしまっているのですが、どうか寛大な処置をお願いできれば幸いです。それに……わたしたち夫婦の娘ですが、どうか、娘に罪を負わせないでいただけませんか……」
「なにも望まないとかいってたわりにはずいぶん要求が多いな」
笑いながらいうと、申し訳なさそうに頭を下げている。
まぁ、こんなところか。
それに、壊してしまった小池恵子を見ても達成感がまったくないことがわかったのは収穫だ。
妻を壊された田中鉄太の、一日でげっそりと頬がこけ、白髪だらけになった姿の方がよほど痛快だ。
(壊したらつまらない。壊れないギリギリまで追いこむ、か。難しいけど難易度が高いゲームは嫌いじゃないぜ)
満足そうに鉄太と小池恵子夫妻を最後にながめると、雅人は手を振って合図する。
オニ族の兵士が二人がかりで脇を固め、元辺境伯夫妻を連れだす。
二人は魔王領首都、シャブラニグドゥの塔に閉じこめるつもりだ。
二人を奪還しようとする愚か者はいないと思うが、念には念を入れての処置である。
とはいえ、今の状態なら穏当と言えるかもしれない。
これから先、捕らえて復讐した相手の中には、汚い地下牢にぶちこむ予定の者もいる。
病気になられては困るのである程度は配慮してやるが、わがまま放題に育った帝国の英知、もとい姫君が貧民街の臭いが気にならなくなるのと同じくらいには、劣悪な環境で末長く苦しませるつもりだ。
それを考えれば、窓もあり、日の光もさす塔の中での軟禁はずいぶんマシだろう。
それに、鉄太には言っていないが、小池恵子の治療も行わせるつもりでいる。
罪滅ぼし、などと殊勝なことを言う気はさらさらない。
むしろ、命がけで守ってくれた側近を自らの手で討ち果たした罪を自覚させるため、正気に戻してやるのだ。
まぁ、そんなボロボロの妻を献身的に介護してやれれば、あの男は幸せなのだろう。
助けてくれなかった恨みはあれど、池井や志方そのほかの連中に比べれば罪は軽い。
汚物にまみれたような、些細な幸せくらいは与えてやってもいい。
そんな人生が、幸せだと感じてしまう不幸に落とせるのだから。
二人が連れだされたあと、雅人は椅子から立ち上がり、周囲を見渡す。
「犬族、猫族、牛族、羊族。すべての民はこれ以後、我らアイェウェの民と同じ法に従ってもらう。そして、本日よりここ旧西辺境伯領は獣人領と名を変える。獣人領に住むすべての人々は我、シャーン=カルダー八世の元に平等な権利を有することを、我が名において保証する。ただし旧族長一族についてはその権利を剥奪し、魔王の所有物とする」
雅人の宣言を聞いた魔族がひざまずくのを見て、残っていた獣人たちも同じように膝をつき、頭を下げた。
『これで二人……あと、三十七人か。まだまだ楽しめそうだ』
鉄太の背中を最後に見たあときびすを返し、歩きながら日本語でつぶやいた雅人の言葉を理解するものは、誰もいなかった。
投稿開始から一ヶ月で一回目の復讐を完遂できました。
これからも頑張ります。
そして、明日からはしばらく、戦後のアレコレを書きます。
ノクターンの方も書くので、年齢制限に問題がない方はそちらもご笑覧ください。




