第26話 罪と罰3
「はっはっは。素晴らしい。自分を命がけで守ってくれた者を手ずから殺すとはね。見上げた根性だ」
「……殺せと言われたから殺しただけよ」
完全に目が据わっている。
あとちょっとで壊れるだろう。
(潮時かな)
雅人は、全獣人領に向けて流している放送を止めさせた。
ここからは他の復讐対象に聞かせたくない。
『いや、本当に素晴らしいよ、小池さん』
日本語で話しかけると、恵子は顔を上げた。
『日本人……』
『元クラスメイトだよ。くっくっくっ』
笑いながら言うと、能面のようだった顔がくしゃっとゆがむ。
『ど……して、どーしてこんなこと、させるの⁈』
悔しさを耐えるためか、唇を噛んで血を流しながら叫ぶ恵子。
全身を、忠臣二人の血で染めたその姿からは壮絶な凄みが匂ってくるようだ。
『どうして? 単純だよ。君らに復讐したかったからさ』
『ふ、復讐……?』
悪びれもせずに答えたことでよりショックを受けたようだ。
『教室で、俺が何度助けてほしいと思っても、一度も手を差し伸べてくれたことなかった君たちへの、楽しい愉しい復讐さ』
はじめての人殺しで脳みそが麻痺してしまっているのか、首をかしげて考えこんでいる。
『君が、姫の暴走を許したんだ。それから前田を増長させた。許せるわけないだろ?』
『……恵子、彼は……石村だ』
いつまで経っても思いつかなそうなので、鉄太の声を解放する。
『いし……むら、くん……』
サッと罪悪感が顔をよぎったのを、雅人は見逃さなかった。
『ふ、復讐なんて、ね、やめよう? だって……確かにいじられてたけど、イジメってほどじゃ、なかったよね?』
その一言は完全に余計だった。
雅人は怒りが膨れ上がるのを必死にこらえる。
『あれがいじられ、か……人間は見たいと思う現実しか見ないってハゲの女たらしが言ったけど、本当だね』
表に出る感情はなんとか制御した。
だが、にじみ出る魔力までは抑えきれない。
陽炎のように周囲の空間をゆがませる圧倒的な魔力を目にして、鉄太と恵子はガタガタと震える。
『俺の復讐は、これだけじゃ終わらないよ』
『ご、ごめんなさい、ごめんなさい……もう、もう許して……』
恐怖と罪悪感にくずれ落ち、ボロボロと涙を流す猫耳の美女を見ても、雅人はまったく同情の感情が湧かない。
『辛そうだね。じゃぁ、次で終わりにしてあげる』
『もう、もう人殺しはいやぁ……』
日本語を聞いたことで、前世の感覚を思い出したのだろう。
雅人の声を聞きたくないと、剣を持ったまま耳を塞いで首を振りながら泣き叫ぶ。
その姿はまるでイヤイヤ期の二歳児のようで、自分の異常さを自覚して狂ってしまう寸前まで追いこまれているのがわかる。
いいねぇ。いい顔で泣いてくれる。
クラスメイトの苦しむ姿を見て、雅人は徐々に冷静さを取り戻しつつあった。
しかし、日本で普通の人生を十六年送り、死んで猫耳によみがえっても、小池恵子はよくも悪くも普通から抜け出さない人生を歩んできたらしい。
雅人がすごした修羅の道とは真逆の人生ということだ。
『あぁいいよ、人殺しは勘弁してあげる』
もう殺させる予定などなかったが、そんなことはおくびにも出さない。
だが、人を殺さなくていいとわかった恵子は安堵のため息をつく。
それは絶望をより深めるためのワナ。
何度味わされても、もうこんなひどいことは続かないだろう、次こそ本当の希望なんじゃないか、という願望で引っかかってしまっている。
(あと一息でこわれるな)
目が完全にイカれている。
(わりーね、小池さん。君たちはしょせんは実験台なんだ)
人が一人、目の前で精神を病もうとしていても、雅人はなにも思わない。
科学者が、哀れなモルモットを見てつねに同情をもよおすだろうか。
ましてや、雅人は自分が復讐に取り憑かれていることを自覚している。
科学者ではなく、マッドサイエンティストの境地だ。
人体実験に良心の呵責など覚えるはずもない。
クラスメイト、男女二十人ずつ。
復讐と言っても、毎回同じでは雅人のモチベーションが上がらない。
殺してしまったら、それ以上なにもしてやれない。
(だから、君らで実験させてもらうよ。壊したら復讐した気分になれるか)
小池恵子を壊して達成感を得られたなら、他のヤツらも壊してしまえばいい。
だが、哀れみを感じることはないだろうが、スカッとしなければ、壊さないように、壊れないようにやらなければならない。
(まぁ、そういう制約があった方が長く楽しめそうだけどな)
魔王という絶対的強者として、勇者や聖女に限らず、各国の王になっている者もいるターゲットたちをどうやって追いつめ、死んだ方がマシだという目に合わせてやるか。
これはその最初のクエストにすぎない。
「最後のミッションだ。これが終われば、解放してやろう」
三人以外にもわかるように、この世界の言葉で高らかに告げる。
やっと終わる。
そんな安心感で気が緩んでいる恵子と、何度もだまされて、もう警戒しかしていない鉄太の表情のコントラストも鮮やかだ。
「辺境伯夫人、敗者は勝者のモノになる。その掟を知らぬわけではあるまい?」
本来、鉄太と恵子がもっとも恐れていた刑罰を突きつけられ、二人が息を飲んだ。
「ははっ、自分が助かるために腹心を殺害するなど、常識に欠けるお方だったが、そのくらいの知識はあって安心した」
侮辱してやると、怒りか屈辱で顔を朱くしている。
この程度でそんなヴィヴィッドな反応を返してくれるのかい?
はじめての相手を君たちにして正解だった。
俺は楽しくて仕方ないよ。
「辺境伯夫人。脱げ」
期待に応えて、現実を突きつけてやる。
「こ……ここでは許して……」
「ほう、夫と真の絆で結ばれているとうわさの辺境伯夫妻の奥方は、密室なら穢れた魔族の王に身体を許してくださると。死なないためなら夫を裏切っても平気なようだ」
魔族だけでなく、捕らえられた獣人たちからすらも失笑がもれる。
それほど、先ほどの命乞いは非常識で滑稽だったということだ。
敬愛する領主夫婦への信頼や尊敬を粉々にするほど、領民たちの怒りと失望を買ったのだろう。
そして、かわいそうだが本人たちはそのことにまったく気づいていない。
なぜなら日本人だから。
平和ボケの極みだ。
「残念だが、願いを聞き届けるつもりはない。今すぐ、ここですべての衣服を脱ぎたまえ。できないなら、乳母と将軍は無駄死にだったと証明することになるぞ」
「……っ! ぬ、脱ぎます。だから、待って!」
兵士が剣を構え直したのを見て恵子は急いで服を脱ぎだした。
「豪華な服だな。たっぷり領民から徴収した税金でこんなぜいたくをしていたわけだな」
正直、獣人領の税金は高くない。
だがそれ以上にこの土地は農業生産性が低く、住民たちは困窮していた。
奴隷としてニンゲンの国々に売られていく若い獣人も多い。
若い女は種族を問わず、そういう目的で買われることが多い。
牛族や羊族の男は我慢強く、力もそれなりに強いことから、他国で農奴にされていることが多いらしい。
犬族と猫族は悲惨だ。
男の奴隷にあまり需要がなく、奴隷商人の視線のほとんどが女に集中することから、男は二束三文で買われていく。
繁殖力が高いのに女性の数が少なく、貧困家庭では高く売れないから子どもの頃に捨てられる者も多い。
捨てられた彼らに対する福祉政策などなく、犯罪に手を染める者、守ってくれる者もなく誘拐されて他国に違法輸出される者もいる。
そんな現実から目を背け続けた、辺境伯夫妻をはじめとする支配層への憎しみをあおってやれば戦後の統治も上手くいくだろう。
少なくとも、辺境伯夫妻やその血縁を担いで反乱を起こそうとする者は現れなくなる。
反乱を、長期にわたって結束を保たせるためには、御輿か錦の御旗のどちらかあるいは両方が必要だ。
それには「魔族に囚われた辺境伯夫妻を救出する」や、「辺境伯の元に再び独立を」などのスローガンが有効だろう。
でもこれだけ無様な姿を見せた辺境伯夫妻のために、どれだけの者が立ち上がるか。
誰も居はしない。
(完璧とはほど遠いが……とりあえず、反乱対策としてもまぁまぁかな)
今の雅人は為政者としての顔をしながら、心の中でつぶやいた。




