第3話 絶望の時間2
やっと一限が終わった。
こんな調子で、昼休みまでなんて、我慢できるのだろうか。
「ねぇ、ちょっと顔貸しなさいよ」
クラス内のカースト最高位グループの中心、今井麻衣に呼び出される。
後ろには、取り巻きのように数人の女子が立っている。
勝ち気そうな目に残忍な光を帯びさせて、獲物をどうやっていたぶろうか考えているようだ。
それでも、ついて行かないという選択肢はない。
「アンタさぁ、さっきわざと転んで、女子のスカートの中見たでしょ」
「……は?」
想像の斜め上からの言い掛かりに、マヌケな声が出てしまう。
「トボケるなんていい度胸ね。こっちには、アンタにスカートの中を覗かれたって被害者がたくさん居るのよ」
いくらなんでもめちゃくちゃだ。
もし本当にスカートの中を覗こうとしたところで、せいぜい席の周りの二、三人が限界だろう。
それを言うに事欠いてたくさん?
この女は数もかぞえることができないのだろうか?
「被害者の人権とプライバシーにはいろ? するのと、報復を防ぐために、人数は言えない。けど、慰謝料として、とりあえず五万でいいわ」
配慮という言葉も読めない程度の知能で、人からゆすることだけは想像力が働くらしい。
それにしても、高校生にたかるには少し高額すぎるとは思わないのだろうか。
残念ながら、これもほぼ日常だ。
今井は何かこちらの落ち度を見つけてはこうして金を巻き上げようとしてくる。
この女の頭が良くないのは先ほどのやり取りでわかったと思うが、さらに言い掛かりがそもそも無理筋なことと、欲しい金額有りきで、こちらが払えるかは関係なく吹っかけてかることからもわかる。
「ごめんなさい。今月の小遣い、もう先々週の慰謝料で使い果たしちゃって…」
「じゃあ、親の財布から盗むなりして早く払いなさいよ!」
親の財布、という言葉に胸がズキンと痛む。
親なんて……二人ともとっくに死んでしまっている。
もし……もしも親が片方だけでも生きていてくれたら……。
こんな状況とは違っていたと思う。
二人とも優しくて、子どもから見ても頼りないときもあったけれど、絶対に子どもを見捨てたりしない人たちだった。
「聞いてんの? 先週の分、利子で倍にふくらんでるわよ」
今井の声で我に返る。
なんだって?
一週間で倍?
計算できないが、年利何%ならそうなるのだろう。
秀吉も、菓子狂いもびっくりして腰を抜かすかもしれない。
あまりに突拍子もなさすぎて笑ってしまう。
どんな悪徳金利業者でもそれはない。
だが、クラスの女子二十人中、十人に囲まれていては、拒否することも、女相手と暴力に訴えることもできない。
ひたすら平謝りで、今日のところは難を逃れた。
「石村君。言ったはずだよ。君のその卑屈な態度も悪いと」
教室に戻ると、生徒会に所属する谷津田達也につかまり、突然説教を始められた。
コイツは本当に話にならない。
イジメの加害者には何も言わないくせに、立場が弱い被害者に向かって、君にも悪いところがある、とご高説を垂れるのだから。
本当にうんざりだ。
こんなのが生徒会で大手を振っているのだから、この学校の腐りっぷりが知れるだろう。
二時間目が終わると、今度は尾田定郎が近よってきた。
「これ、やるよ。学校の備品を壊してすみませんでしたって謝ってきな」
まるで百円でも恵むように、一万円札を数枚渡してくる。
尾田は、親から借りた資金で株式投資をしたところ、その株が大化けして一気に数億円稼いだらしい。
成金らしく、こうやって金の力で人をおとしめようとしてくるイヤなやつだ。
「……僕が壊したわけじゃない」
謝りに行くということは、罪を認めたことになる。
無実の罪を認めるわけにはいかない。
「あっそ。人が親切に言ってやってるのに」
そう言いながら振り返る前、口元がゆがんでいたように見える。
(まさか、コイツが……?)
でも確証はない。
濡れ衣を着させられたと大騒ぎされるのがオチだ。
一気に大金持ちになった尾田は、学校にけっこう寄付したらしい。
おかげで、このクラスで問題が起こっても尾田が認めなければ学校側はなにもしなくなった。
クラスで起こった問題を学校がもみ消すたびに、コイツが少しずつ寄付しているからだという噂がある。
カネの力があればなんでもやり放題。
そんなゆがんだメッセージを学校がだしているので、生徒たちもやりたい放題というわけだ。
「あーあ、今の、大金じゃん? いーの? もらっておけば、今井さんにお金返せたのに」
尾田と入れ替わりに現れた男がバカにしたように言うと、周囲の女子がクスクスと笑う。
どこがツボなのかわからないが、女に頭が上がらない僕をバカにした言い方が面白かったのだろう。
「僕が壊したわけじゃない。って感じ? あのさ、なら、どうして女子のパンツのぞいたお金は払うわけ? 罪を認めてるよね」
お調子者で人をバカにしたり、やられる方が不愉快になるほどイジリ倒してくるのは、テニス部のトリックスター塚田克だ。
コイツは、口も頭も回転が早い。
反論するたびにさらに突っこまれてこちらがダメージを受けるのが目に見えている。
悔しさにたえながら、雅人はニヤニヤと笑う塚田の視線にたえ続けた。
三限目は体育だった。男女合同で体力テスト。
運動部に入るどころか、由緒正しいヲタクとして、中学時代から授業が終わったらすぐに、アニメショップか自宅に直行してきた自分が、人並みですら動けるわけがない。
「うぉりゃぁ!」
砲丸投げで中学の全国大会に出たという筋肉バカの岡田尚生がとてつもなく遠くに飛ばしているのを、息を切らしながら眺める。
「おい、石村」
ぼーっとしていたら、投擲を終えた岡田と、野球部の重田武司に取り囲まれる。
「お前、姫の体操服姿を視姦してるだろ」
……勘弁してくれ。
姫というのは、入学式の時点で既に親衛隊まで結成されたという、超美少女クラスメイトの川野和花のことだ。
彼女の美貌に狂った人間は数知れず。
道ですれ違った彼女に心奪われ、手をつないでいた恋人にその場で別れを告げた野球部のキャプテンや、他愛もない恋人どうしのケンカの最中にたまたま通りかかった姫に夢中になってしまい、恋人に叩かれても目がハートマークのままだったので別れてしまったという生徒会長の話など、どこまで本当かわからないものが流布するくらい、多くの不幸も生み出している。
他校のガラの悪い生徒に後をつけ回されたこともあり、件の野球部キャプテンや生徒会長らが発起人となって、姫の親衛隊までできあがる始末だ。
そして、重田はその親衛隊の幹部でもある。
「見てないよ。畏れ多くて」
本当に見ていないのだから、これ以上弁明できるわけもない。
雅人にできることは、最大限へりくだってみせることくらいだ。
それでも、男二人の間では結論が決まっている。
「ふざけんな。口答えすんじゃねぇよ」
座っている雅人に対し、二人はガツガツと蹴りを加えはじめる。
「わかってんのか? お前が登校できるのも、姫が優しいから許してくれてるからなんだぞ! そうでなければ、お前みたいな底辺ナメクジ。どんな手を使ってでもおいだしてやるところだっ」
「おいそこ、何やってんだ?」
体育教師が声をかける。だが。
「石村君が、女子の体操着姿をイヤらしい目で見ているので、女子からクレームが入っていて、注意してるんですよ」
サッカー部の、一年にしてエースストライカーに抜擢された志方隆史がイケメンオーラ全開でイジメではないとフォローする。
見た目は大事なのだと、僕はこの志方が教師たちに簡単に信用されるのを見てずいぶん前に悟った。
中身はイジメを主導する、正真正銘のクズだというのに。
「石村、思春期だから仕方ない部分はあるが、相手が嫌がることはするなよ」
……先生、それ、僕じゃなくて他の全員に言ってください。