第24話 罪と罰1
ついに復讐開始です。
「西辺境伯、イミュート=ジュスル、辺境伯夫人、アルテ=ブバスティスの両名、前へ」
亡国の王の運命を悟っているのか、夫の辺境伯は犬耳を力なく垂らしながら、避けられない死を懸命に受けいれようとしているように見える。
反対に妻の方は、なにがなんでも死にたくない、という必死さが伝わってくるような悲壮な表情だ。
(安心しな。殺したら苦しむのは一瞬だろ。お前たちにそんな優しいことはしないぜ)
魔王の正体も知らずにおびえている二人があまりにも滑稽で、つい口もとがゆるんでしまう。
だがその笑みは、他人からは勝者の残酷な微笑みに見えることだろう。
(せいぜい足掻いてもらうぜ。それが俺の復讐と、獣人辺境伯家の滅亡につながるんだ)
雅人は心の中で暗くわらった。
「まずは、多くの獣人たちの命を保証していただき、ありがとうございます」
イミュートは族長ではなく辺境伯としての責務から頭を下げた。
「あぁ、だが各族長たちとその家族、支配階級の命は保証した覚えはない」
あくまで、住人の命を保証すると言ったのだ。
その事実を突きつけてやると、辺境伯も鼻白む。
夫人は、笑えるくらいガタガタと震えている。
その姿を見て、覚悟を決めたようにイミュートは口を開く。
「……魔王様、敗者の身でこのようなことを申すのは心苦しいのですが、ご無礼を承知でお願いがございます」
「なんだ、言ってみよ」
まぁ、何を言うかは想像がつくがな。
「私は……民のため、獣人の名誉のため。死ねと言われれば死にます。ですが……申し訳ありません。妻にはその覚悟がありません。どうか助けてはいただけませんか」
「ほぅ……」
予想どおりとはいえ、一応感心したようにつぶやく。
とは言え、自分は死んでもいいとは。
まぁまぁ、なかなかの覚悟だ。
とても前世でモブ扱いされていた、空気のようなカップルの片割れとは思えない。
辺境伯というか、支配者層のなんたるかをわきまえているようだ。
だが、夫の口から死ぬという言葉が出て恐怖がリミットを超えたのか、アルテ辺境伯夫人はうずくまって泣きだしてしまう。
「ほぉ、死を覚悟した夫とは違い、辺境伯夫人はそんなにも死にたくないか」
「はい、はい! なんでも、なんでもしますから。だから、殺さないで」
『お、おい。け……』
辺境伯がとっさに前世の名で妻を呼ぼうとするが、風魔法を使って声を封じる。
それはもう少しあとのお楽しみにとっておくんだ。
勝手なことをしないでくれ。
「アルテ=ブバスティス。なんでもする。先ほどの言葉に間違いはないな?」
傲慢な勝者の笑みではなく、慈悲深い為政者の微笑みとともに言ってやると、殺されずに済むかもしれないという希望で、夫人が顔を明るくして何度もうなずく。
それが絶望にゆがむ瞬間を想像するだけで、期待にゾクゾクしてしまう。
「辺境伯夫人、しばらくそこを動くな」
言い置いてから辺境伯の体を引きずるようにしてそばに来させる。
一人ぼっちにされた夫人は心細そうに雅人と辺境伯を見つめたり、警戒するように周りを見回したりしている。
『なんでもするんだってね』
日本語で辺境伯に声をかける。
だが、風魔法のドームであたりをおおっているので、雅人と、イミュートこと鉄太の言葉は二人以外にはもれない。
『に、日本語……』
この世界の言語は、日本語や英語、断片的に知っている他の地球の言葉とは違った。
赤ん坊から習得しないと大変だが、雅人が知る限りクラスメイトは全員胎児からやり直しているようだ。
『田中鉄太くんと小池恵子さんだよね。昔から仲良しだったけど、幼なじみで夫婦になるように転生して結婚なんて、ロマンチックだね』
お前たちのことは知っているぞ、と告げる。
そして、声色も努めて優しく、希望を持たせるように。
『く、クラスメイトか? なぁ、助けてくれるんだろ?』
覚悟を決めていても、天から蜘蛛の糸が垂れればそれにすがりたくなるのは人間として当然だ。
助かるという光明に、諦めていた希望の火を灯す。
その希望が大きければ大きいほど、後におとずれる絶望は深まり、雅人の心を癒してくれるだろう。
雅人の合図でアルテこと、小池恵子にほどこされていた拘束がとかれる。
そこに、高齢の猫族の女性が連れてこられる。
「ばぁや、無事だったのね!」
アルテがホッとしたように叫ぶ。
彼女はアルテの乳母であり、実の娘のように彼女を育てたという。
先だっての捕縛劇の際は、最後まで命がけでアルテを守ろうとし、背格好の似ている実の娘すらおとりにした女性だ。
抵抗が激しかったために捕まるときに重傷を負い、藩王クラスの治療魔法でなければ治せないほどだった。
つまり、一度死んだも同然の人物であり、これからの余興の生け贄にはぴったりである。
「ひっ!」
「姫さま!」
身体の自由を取り戻したアルテの喉もとに、オニ族の兵士が剣を突きつける。
「た、助け……」
「辺境伯夫人、なんでもすると言ったな」
防音のドームから立ち上がって顔を出し、念をおすように確認する。
足元では、まだ元クラスメイトなんて腐りかけの絆にすがるような目で鉄太が見上げているが、雅人は目もくれない。
「は、はひ……」
首に今にも突き刺さりそうな剣先を気にして情けない声をもらす恵子。
いいぜ。なかなかの見せ物だ。
するとオニ族が剣を引き、持ち手の部分を恵子に向ける。
「なら、その剣でそこにいる女を殺せ」
「えっ……」
鉄太、恵子、乳母。
三人とも鳩が豆鉄砲でも喰らったような、なにを言われたのかわからない、という顔をしている。
「聞こえなかったのか? ならもう一度言ってやるからよく聴け。剣を貸してやる。自分が助かりたければ、そこの女を殺せ」
究極の選択。
自分の命を守るために他人を殺してもいいか?
倫理の問題のようだが、人類はすでに古代ギリシア時代にこの問題に回答を与えている。
カルネアデスの板という話で。
結論から言えば、助けを求めている人間がいても、自分の命を守るためなら見捨てたり、つまり受動的に犠牲にしても、突き放したり、つまり意図的に助かる道をはばんだりしても、罪には問われないというものだ。
だが倫理的な、あるいは法的な回答はそうでも、感情的に納得できるものではない。
特にそれが、自分にとって大事な人間であったならば。
しかも、助けを求めている相手を見殺しにするのとはわけが違う。
自ら手を下して殺すのだ。
ちゅうちょしてとうぜんといえる。
「なんでもすると言ったのはウソか」
平和ボケ日本人だから仕方ないとはいえ、本当に自分の命がかかっていることを理解できていないのか、呆然として動かない恵子。
予想どおりすぎて笑ってしまうが、対策は考えてある。
雅人が合図すると、別のオニ族が恵子の背中側に素早く移動して軽く斬りつける。
「あぁぁぁぁっ! 痛い、イタイぃぃっ!」
「大げさだな、ちょっと斬っただけだろ」
実際、薄皮一枚くらいを切っただけのはずだ。
だが剣には血が滴っているし、不意打ちで斬られたので、覚悟して受けた傷よりも痛みは強いだろう。
『止めろ! 何をするんだ?』
足元でなにかぐちゃぐちゃ言っているが、うるさいので無視する。
『鉄ちゃん、助けて……痛い……。痛いよぉ……』
痛みに泣きくずれ、うずくまる恵子の首元に剣の刃をそわせる。
「その首、よほど胴体と別れたいと見えるな」
「ひっ! ひぃぃっ!」
よくわきまえているオニ族の兵士は、首の皮一枚を切って見せる。
ぼたぼたと血が地面に染みをつくる。
情けないことに、痛みと死の恐怖で恵子は失禁してしまったようだ。




