第19話 妥結
「そこの剣を奪われた剣士。残ったなかでは、貴様が一番戦闘力が高そうだな。殺しあおうじゃないか」
挑戦的な笑顔を浮かべながら、先ほどミカエルに剣を奪われた男を指名するようにパルムが指を向けると、彼はヘナヘナとくずれ落ちた。
差し迫った恐怖に、男の股間はびっしょりと濡れている。
だが幸か不幸か、むせ返るような血の匂いが濃厚すぎて粗相の臭気も気にならない。
あたりを見回せば、何人かのアールヴ高官たちも同じように失禁してしまっている。
誇り高きアールヴが、惨めなことこの上なくて笑えてくる。
「私は警告はしましたよ、ミカ=アールヴ」
アールヴの誰もがショックで動けないなか、エリーはまとわりつくような血の匂いが髪につくのを嫌がるようにかき上げながら、小さくつぶやいた。
剣聖を含めて三名がなぶり殺しにあい、犯人は無傷。
純粋な魔力量でも領内で七番を数え、かつ戦闘力という意味ではアールヴ最強どころか、ヒューマンでも四天王の一角と讃えられる剣聖がなす術もなく殺された今、犯人を止める手立てもない。
しかも、犯人はまだ血を見るのが足りないとでも言うように、周囲の空間がゆがむほど高濃度の魔力を身にまとっている。
これを惨劇と呼ばずして、なにをそう呼ぶのだろう。
とはいえエリーの認識では、この状況はミカ=アールヴ辺境伯に責任がある。
エリーは何度も止めるチャンスを与えたのだから。
これであの悪逆非道な魔女も、少しは思い上がるのに懲りただろうか。
だが、気分が悪くなるほどの血の匂いでおおわれた部屋に顔をしかめるエリーと異なり、ミカはどこか芳しい薫りを堪能し、陶酔したような顔を浮かべていた。
それは、あのおぞましい噂が真実だと、エリーに確信を持たせるには充分だった。
(やはり……やはりあなたが、お父様を殺した黒幕ね……!)
若い娘を冤罪にはめ、その生き血を浴びて若さを保つ狂女。
エリーの血を得るために父を処刑し、母と妹たちを奴隷に堕とした憎い仇。
血の匂いに慣れ親しんだ表情が、すべてを物語っている。
伯父が罪をでっち上げ、領主として真偽を見抜けずに誤って処刑してしまったというなら、情状酌量の余地もある。
だが、ムッコヤムの悪だくみが先か、ミカの穢れた欲望が先に立つのはわからないが、ミカ=アールヴこそ父を殺し、母を奴隷に貶め、妹たちを不安と恐怖に陥れた元凶だ。
魔王の使者という立場さえなければ、パルムに頼んでこの場で八つ裂きにしてもらうのに!
「辺境伯様に敬称すらつけぬとは……不届き者め」
辺境伯の知恵袋と呼ばれていた老年の大臣がつぶやく。
だがその抗議の声は、剣聖が虫ケラのように殺されたことで大きくはない。
「先ほども言ったとおり私は、魔王様の名代です。ならばアマゾネス大公ならばともかく、爵位で数段劣る辺境伯ごとき、に敬称をつける必要があると本気でお思いとは、大臣まで頭が悪いのかしら?」
カチン、と音が鳴った気がする。
それくらい、誇り高いアールヴのしゃくに触る一言だったようだ。
もちろん、エリーには計算どおりだ。
「剣聖ミカエルはアールヴの序列七位。それどころか、こと一対一では他を寄せつけぬ、文字どおり最強だった。それがなすすべなく殺されてなお、あなた方は対等な交渉ができるとまだ思っているのですか?」
酷薄に見える薄ら笑いを浮かべたエリーに、怒りで立ち上がりかけたアールヴ貴族たちが、顔を青ざめさせる。
「エリー=ベルッド。そなた先ほど、妾に敬語を使っておったが?」
「そんなもの、交渉相手への外交上の敬意です。人を犯罪者扱いするあなた個人に、敬意を払うわけがないでしょう?」
ミカに対して、感情があふれそうになるのをかろうじて押しとどめる。
交渉で感情的になれば有利になることはない。
見かけ上、怒ってみせたりすることはテクニックとしては大事だが、頭の中まで怒りに身を任せるのはバカ者だ。
そう。今のアールヴ貴族たちのように。
「我々があなた方に求めることは二つです。一つ。我々の軍や住民に、今後いっさい危害を加えないこと。ひとつ。我々はこれからヒューマンに対する軍事行動を起こしますが、その際に領内を移動する許可を与えること。以上です」
「……そのようなこと、許可すると思うてか?」
とうぜんの反応だ。
魔族の侵攻を身をていしてはばむこと。
それが各辺境伯の使命であり、列国会議で優遇されている理由でもある。
それを破棄しろというのだ。
反発されてとうぜんと言える。
だが。
「ならば、我々は貴国へ宣戦布告しましょうか?」
「……」
エリーの言葉に誰も答えられない。
つい先ほど目の前で行われた、一方的な殺戮が自分の身に起こるかもしれない恐怖を、誰が好き好んで受けたいと思うだろうか。
ダークエルフと異なり、交易を重視せず、魔族への偏見と蔑視が強いアールヴに対して、交渉をする気など、最初からエリーにはなかった。
自らが生まれ育った種族であるがゆえ、他種族への蔑視にこり固まったアールヴには現実的な実力差を見せつけ、一時的に屈服させることがベストだと判断したのだ。
それはエリーの提言を受けた魔王の政策でもある。
もっとも、その状態が永続するとはエリーも魔王も思っていない。
あくまで一時的な処置だ。
だが今はそれで十分だった。
「よくお考えあれ、辺境伯。宣戦布告する以上、我々は自分の身を守るため、今この場で活路を開くためにみなさま方を殺しつくさねばならないかもしれませんよ」
にこやかに笑うエリーの言葉に、辺境伯以外が恐怖に飲まれる。
「い、嫌だ……死にたくない……」
「た、助けてくれ……」
「落ち着け、おろか者!」
ミカの一言でアールヴたちはパニックに陥りながらも、ひとまず口だけは閉じられた。
「ヒューマンに対して戦争を起こす、と言ったか?」
「えぇ」
表面上は冷静さを保ったミカがきいてくる。
とはいえ、ミカ=アールヴも恐怖を感じているのだろう。
頬に冷や汗が垂れるのが見えた。
「数百年。まがいなりにも平和が保たれていた両岸を、どのような大義で乱すのか?」
「我々の土地に、生産力が落ちるような呪いがかけられているのですよ。そのような大規模な呪い、数人ではできません。どこかの国がからまなければ、不可能でしょう?」
「……そして、そのようなことができるのはニンゲンの二カ国か、我らアールヴか、……泥まみれのあやつらだけ、か」
さりげなく肌が黒いことを蔑視した発言が飛び出すが、エリーはダークエルフの代わりに怒ってやる義理もない。
とはいえ、そのような態度が後々アールヴの、ミカ=アールヴ辺境伯自身の足をすくわないか、楽しみに見ていようとは思う。
「そして、アールヴ領にきてわかりましたが、あなた方ではありえない。辺境伯、あなたにくわえ、ここにいる高官が関係しなければそんな大々的な呪術は発動できませんが、そのような大がかりな魔力を使った形跡は見当たらない。ご健勝のようですからね」
「……そうか……まぁそうであろうな」
内心はともかく、ミカは毅然としてエリーと言葉の応酬を続けた。
「えぇ。で、ダークエルフもそのようなことはしていない。真実の鏡で確認しましたからね」
「……なるほど……」
自分たちよりも先にダークエルフに声をかけたことを暗に示され、ミカのこめかみがピクピクと動くが、そんなこと、知ったことではない。
「真実の鏡はウソを見つけるもの。ダークエルフ辺境伯が知らないことはわからない。なので、容疑者は残り……」
「我々か、ニンゲンか……つまり、獣人領を越えて、魔導王国が最初の目標か」
ニコリと笑い、無言を返す。
だが、それですべてを悟ったのだろう。
ミカ=アールヴは小さくため息をもらすと、エリーにぎこちない笑顔を向けた。
「良かろう。そちらの言い分を呑んでやる」




