第17話 望まぬ帰還
ダークエルフとの交渉を無事にまとめたエリーは、一度魔王の元に帰還して報告したあと、休む間もなく次なる目的地—アールヴの杜を目にしていた。
(魔王様のためにも、私自身のためにも、ここは逃げちゃダメ……)
辺境伯の前で魔力を暴走させようとしたエリーがアールヴ領に戻れば、普通は死罪を免れない。
「大丈夫か、エリー?」
エリーの護衛兼、唯一の随行員が心配そうに声をかけてくれる。
「大丈夫です、パルム様。少し考えごとをしていただけです。……行きましょう」
いたわるようにこちらの様子をじっと見るパルムにつくり笑いを見せる。
納得はしてもらえなかったが、大丈夫だとエリーが言った言葉を信用してくれて、パルムもアールヴ領に目を向ける。
(ここが……最初の正念場ね。お母様を助けられたらベストだけど……目的をはき違えてはダメ)
エリーが描いた政戦略にそって戦争の準備を進めてくれている魔王の信頼に応えるためにも、ここでつまずくわけにはいかない。
母を早く助けたい。
だがどこにいるかわかり、安全を確認できる母とは違い、幼い妹たちを探すことが急務だ。
そのためには、アールヴとの交渉を成功させ、次の一手に対してフリーハンドを獲得しなければならない。
気合を入れ直してからエリーはフワリと飛びあがり、魔の森とアールヴの杜をへだてる河の上をゆっくりと移動した。
「敵襲〜! 魔の森から二匹、こちらに向かってきます!」
近くにつれ、アールヴの守備隊が慌ただしく迎撃体制を整えているのが見える。
河の中心を少し過ぎたあたりで、アールヴがこちらに遠距離攻撃の照準を合わせているのを知覚する。
(アールヴが誇る、魔族への迎撃体制。破魔の矢、か……。それが私に向けられるなんて、皮肉ね)
ダイロトの勝利に貢献した、初代ベルッド子爵が編み出したと言われる対魔族専用魔法、破魔の矢。
ヒューマンへの攻撃力は皆無に近いが、魔族に対してはかなりの殺傷能力を有するとされている。
そんな先祖の偉業が自分に向けられている事実に、エリーは自嘲ぎみに笑った。
エリーとパルムに照準が合うと、瞬間的に横を飛ぶパルムの魔力が膨れあがり、いつでも強力な魔力障壁を展開できる準備がととのえられた。
そのあまりの見事さに、さすがは魔王の盾と呼ばれるだけはあると感心する。
(あれは……)
「パルム様、ひとまずお待ちください」
知人の顔を認めたので、とりあえずパルムに手をあげて合図し、戦闘体制のまま待機してもらうことにする。
「レフィーのお兄様、お久しぶりです」
緊張の面持ちでこちらを狙っている顔見知りに声をかける。
驚きながらこちらの姿を確認する友人の兄に向かって、敵意のないことを示すように両手を挙げる。
「え、エリー=ベルッド……なぜ戻ってきた……?」
とうぜんの疑問には答えず、パルムを残してアールヴの杜に降り立つ。
瞬時に周りを武装した兵士たちに囲まれるが、この距離ならパルムの間合いだ。
なにも心配することはない。
(ふぅ。それでも緊張してるかな)
頼もしい味方がいるので恐怖は感じないが、彼らを必要以上に刺激してしまえば、辺境伯へ取りなしてもらうのに手間がかかる。
「辺境伯に魔王様からの言付けを持参しました。目通りの手配を願います」
毅然として言い放つと、現場レベルでは判断できないのだろう。
兵士たちは困り顔で顔を見合わせた。
「お久しぶりです、辺境伯。我が主人、魔王、シャーン=カルダー八世陛下の名代として、全権を委任されてまいりました、エリー=ベルッドです」
「エリー=ベルッド……なぜ頭を下げぬ!」
魔王の使者ということでいつものように一段高いところではなく、エリーと同じ高さの床に座ったミカ=アールヴ辺境伯に対し、エリーは傲然と目を見ながら挨拶をする。
その態度が気に食わないのだろう。
辺境伯の側近という名の取り巻きたちがいきりたつ。
「良い。魔王の使者だ。礼を失するな」
辺境伯の鶴の一声で、側近たちが静かになる。
「久しいの、エリー=ベルッド。よく顔を出せたものだな」
ミカが傲慢な目つきに魔力をこめてにらんでくる。
(相変わらず美しいな……)
普段は頭を下げて謁見させられていたし、あの日、も警備上の問題だろうが、薄い布の向こうにいて顔を見ることはなかったので、数年ぶりに辺境伯の顔を見たことになる。
生きた宝石。
そんな言葉に違和感がない。
娘がそろそろ婚約してもおかしくない年齢でありながら、ミカ=アールヴは女のエリーが見ても見惚れそうになるほど美しい。
周囲の側近たちも、男女問わず彼女の魅力の虜になっていることだろう。
パルムとて、ミカの顔を見た瞬間、その美貌にわずかに目を細めたほどだ。
だが、見た目だけだ。
魔力をこめて威圧するようににらまれても、エリーには少し強い風に当たったくらいの感覚だ。
(私は魔王様に護られている……)
身体に刻まれた魔王の加護に服の上からそっと触れてから、顔を上げて視線をぶつける。
にらみ返されるとは思ってもみなかったのだろう。
ミカは少しひるんだ様子を見せる。
(負けてない。私でも充分戦える)
アールヴ貴族でしかなかったときに感じた、絶望的なまでの実力差は解消している。
エリーは、余裕があることを誇示する目的でニコリとつくり笑顔を見せてやる。
「……たとえ……たとえ魔王の使者だとしても、アールヴである以上、辺境伯様に頭を下げるのが礼儀であろう!」
かつて、父の部下であったロイシュー男爵が立ち上がって怒鳴る。
うるさい男にチラリと一べつをくれてやりながら、エリーは肩をすくめてみせる。
「確かに……私はアールヴに生まれました。でも今は魔王様の配下。あなた方に命令される筋合いはまったくありません。ましてや辺境伯ならともかく、男爵風情が声を荒げるなど、身のほどを知りなさい」
こんな言い回しははじめてで、ドキドキしながらきって捨てる。
はじめはなにを言われたのかわからなかったのか、一瞬おいてから目を白黒させたロイシューが激昂して剣に手をかける。
「エリー=ベルッド。同胞のよしみで多少の言動には目をつぶってやろうと思ったが、今のは聞き捨てならんな」
ロイシューが剣を抜こうとしたのを、一人の男が止める。
「そうですか、剣聖ミカエル?」
かつての憧れの人、剣聖と称えられるミカエル=パスがゆっくりと立ち上がるのを見守る。
「君は自分の立場を考えた方がいい。魔王の使者だかなんだか知らないが、この地では君は犯罪者だ。辺境伯様のご好意で無事にいられるのだと、理解できないほど頭が悪いのか?」
「あなたこそ、私はもうアールヴ貴族ではないと言ったでしょう? あれだけはっきり言ったのに聞こえないほど耳が悪くては、無敵という称号はその耳と同じく紛い物なのでしようね」
悪口には悪口で応える。
カンに触ったのか、顔をぴくりとゆがませて剣を抜いた。
「よろしいのですか? 私は魔王様の名代でここに来ています。その私に刃を向けることは、魔王様に害を為そうとすることと同義。それをわかっていらっしゃいますか?」
動揺を顔に見せないようにしながら、座ったままミカエルをあおる。
「穢れた魔族になど協力するアールヴの恥め。斬る」
抜いた剣を上段に構えるミカエル。
彼の必殺の剣技、神速の刃を繰り出す構えだ。
「……私たちはみな、かっこよくて正義感にあふれるあなたに憧れたものです。短い間ですが、お世話になりました。さようなら、剣聖ミカエル様」
エリーの言葉を辞世の言葉と勘違いしたミカエルが刃を振り抜いた。
しかし、その刃は途中で弾かれた。




