第11話 邂逅
魔の森深くに脚を踏みいれると、初日は無事だったものの……翌日は魔獣に二度も追いかけられた。
ヒューマンの中では、年齢を考えればかなり強者といえるエリーも、この森では圧倒的に弱者である。
魔獣にとってはきっと、ちょっとオモチャにしたあとに食べるのにちょうどいいエサとしか見られていないのだろう。
二匹とも本気で狩りにきた様子もなく、遊ばれている間に隙を作って逃げだしたかっこうだ。
一匹目は大きな犬のようだが、頭が二つあった。
エリーの身長よりも高い体躯を四つ足で素早く動かし、のこぎりのような歯を開けて迫ってくる。
舌は火のように赤く、直径がエリーの横幅の倍はある樹が瞬時に噛みくだかれたのを見て、とてもかなわないと必死に逃げた。
水の精霊の協力を得て応用魔法を駆使し、氷の鏡で魔獣を惑わせている間に、なんとか追ってこられないところまで逃げだすことに成功した。
もう一匹は、頭は一つだが足が六本あった。
エリーの全速力よりも早く動き、いたぶるように何度も逃げる先に回りこんでくる。
ニヤリと笑い、遊んでいることを隠しもしないが、無詠唱で口から火球を吐き出して攻撃してくるのは本当に危なかった。
エリーの使役する水の精霊では相手にならず、火球の当たった水玉が蒸発し、水蒸気で視界が悪くなったところを風の精霊の助けを得て砂を巻き上げ、目つぶししてなんとか逃げきった。
日が暮れつつあるのだろう。
あたりが暗くなってきた頃にはもう、立ち上がる気力すらなくなっていた。
魔力も尽きかけていて、今度魔獣に襲われたら逃げる手立てがない。
食べ物がなくては、体力も魔力も回復手段がない。
残念ながら、危険をかえりみずに魔の森に入ってくれた執事も、食料の匂いにつられて寄ってくる魔獣への恐怖と備えで、食べ物は持ちこめなかったと言っていた。
森の中で草はたくさん生えているが、小川をへだてただけなのにアールヴの杜とは植生も違い、どれが食べられるものかも知らなくては、話しにならない。
絶望的な状況だ。
(魔族に力を借りるどころか……このまま、魔獣に食べられちゃうのかな……)
父の仇討ちも、母と妹たちを助けることもできず、こんなところで死んでしまうなんて。
エリーはくやしくて、声を抑えながらボロボロと涙をこぼした。
「見慣れない魔力の反応はあなただな、アールヴ」
あたりがすっかり暗くなったころ、不覚にも疲れはててうとうとしてしまっていたエリーは、気づくと何者かに囲まれていた。
周囲には、エリーを逃さないためだろう。
完璧に制御された火の玉が浮かんでいて、昼のように明るい。
目の前には、暗い夜の森よりも深い黒色の軍服を着た女性がエリーを見下ろしていた。
胸が、内側からこんもりと軍服を盛り上げているのが女として少しうらやましい。
真っ黒な髪は頭部のラインに沿った形にキレイに切りそろえられている。
瞳も、見ているだけで底知れぬ穴に吸いこまれてしまいそうな黒い色をしていた。
(可愛い人だな……)
見た目からして天使にはまったく見えないが、目の前の存在が魔族とはとても思えない。
だが。
「あなた方が魔族と呼ぶ、我々との境界を侵して生きて帰った者はいない。それを知らないわけではなかろう?」
ゾクッ!
にらまれた瞬間、背筋が凍りつくような感覚が走り、全身が震える。
(なに? なにをされたの?)
恐る恐る女性を見ると、今の一瞬で片手に膨大な魔力を練りあげている。
数秒前には魔力の反応すらなかったのに!
片手で練り上げた魔力の量は、エリーの全集中で数分かかって作りあげるものよりも多い。
(こ、殺される……)
全身が恐怖にガクガクと震えるが、こんなところで死ぬわけにはいかない。
「わ、私は、エリー=ベルッド。アールヴの名門貴族、ベルッド子爵家の嫡子です。魔王様にぜひとも御目通りしたく、ぶ、不躾にも貴国との境界を侵しました。申し訳ございません。でも、私はまだ、まだ死ぬわけにはいかないんです!」
恐怖に押しつぶされそうになりながらも、必死に叫ぶ。
「……ベルッド。ハクトックナイ……数百年前の、あなた方がダイロトと呼ぶ地での戦争で、アールヴを率いてヒューマンの勝利に貢献した英雄の名だな」
「……ご、ご存知なのですか…」
まさか魔族がアールヴの将軍の名を知っているとは思わなかった。
だって、アールヴには魔族の将の名はおろか、魔王の名前すら一人も伝わっていないのだ。
「魔王様のお言葉だ。敵を知り、己を知れば百戦危からず、とな」
「敵を知り……己を知る……」
呆然となる。
そんなこと、考えたこともなかった。
でも確かに理にかなっている。
もしかすると、魔王は巷間言われているような暴虐なだけの存在ではないのかもしれない。
「なにをほうけている? 寝ているのか?」
「……スゴイ方ですね、魔王様は……」
素直にそう思う。
どう考えても、アールヴ辺境伯よりも理を大事にしている気がしてならない。
「……そう思うのか?」
「はい。あなた方は強いのに……それなのに、油断しないで、どうしたら戦争に勝てるか。よく考えていらっしゃるのだと思いました」
考えながらつぶやく。
そんなお方に私はなにを提供できるのだろうか…。
「そしてそれを、上に立たれる貴人が自ら唱える。普通はできません……。偉大なお方なのだなと、あの……勝手に思いました。ご無礼お許しください」
不敬だったかと心配になって頭を下げる。
だが相手の反応はエリーの予想とはまったく違った。
「そうなの。スゴイ方なのよ! それだけじゃなくてね。強くて、カッコよくて、部下のことをよく見てくださるし、ちょっと女ぐせは悪いけど……みんな平等に扱ってくださるし、もうね、とにかくスゴイのよ!」
突然、目の前の女性の口調がくだけて魔王のことを褒めちぎりだす。
瞳にはハートマークが描いてありそうな、恋する乙女といった風情だ。
あまりに急激な変化に、エリーは目が点になるほど驚いた。
「ん、んんっ。失礼…」
しばらくして我に返ったのか、咳払いでごまかされた。
月明かりの中でも、目の前の女性が顔を真っ赤にしているのがわかる。
「あーっ。……今のは内密に頼む」
最初のキリッとした貌に戻った女性は、もう魔力を溜めていない自然体になっていた。
周囲を囲んだ者たちも失笑するような雰囲気になっていて、危害を加えられる心配はなさそうな雰囲気になっている気がする。
「失礼した。あらためて、私はカーラ=マトック。アンデットの軍を率いる藩王だ」
「は、藩王……」
固有名詞は伝わっていなくとも、魔族の称号くらいは知っている。
魔王に次ぐ、最高位魔族だ。
「それくらいは知っているか。まぁいい、魔王様にお会いしたいのだったな?」
恐るおそるうなずくと、手を差し伸べられる。
「魔王様に会わせよう。ついてきなさい」
「よ、よろしいのですか?」
会ってすぐなのに、そんなに無警戒で大丈夫なのだろうか?
「大事ない。そなたが不埒なことを考えていても、何かするその前に根源ごと消せるからな」
ニコリと笑った顔は、冗談を言っている雰囲気はカケラもなかった。
「心配か? 安心しなさい。殺すつもりなら、もうとっくに数十回は殺せているよ」
確かに、一瞬であれだけの魔力を練られるのだ。
エリーの魔力での抵抗など、道端の石を蹴り飛ばすくらいの感覚で吹き飛ばせる自信があるのだろう。
安心はできないが、命をかけると誓ったのだ。
エリーは震えながらその手をつかんで立ち上がると、脚を前に出してカーラの後をついていった。




