第6話 ウッフィ商会の没落2
「逃げた」
「逃げましたね」
あれだけ目立っていたライレ=グランドは、雅人が兵を進めさせる前に、こつぜんと姿を消した。
(戦わずに逃げ出すとか、コンスタンティノス六世かよ)
鳥は一羽も飛び立っていないので、平維盛よりひどい。
しかも自分だけ逃げ出したようで、残された傭兵の隊長たちもどうしていいか困り果て、右往左往している。
「むしろ……あれだけ目立つ風体でありながら、逃げ出せるってのがすごいな」
「姿を隠す魔法でも使えるのでしょうか」
(九重寺の住職的な感じか?)
弟子の大天狗や劣等生のお兄様もびっくりな逃亡劇に、さすがにワカナもあきれたような声をもらした。
「とりあえず、大将がいなくなった可哀想な彼らに、降伏を促す使者でも送るか」
敵は、遠目で見ても混乱しているのがわかるレベルだ。
見ていて、さすがに哀れに思えてきた。
「どうやら、ライレは街中にいるようです」
「街から逃げ出して、どこかに潜伏しているかと思ったが……まさかウェストニアにまだいるとはね」
厚顔無恥とはこのことだ。
魔族への恐怖のあまり戦わずに逃げ出しておきながら、まだ再起できると思っているのだろうか。
もしくは、アイェウェ軍の包囲が厳しくて遠くに行けなかったか。
「ツヴァル=ウッフィの周囲はどんな反応だ?」
「荒事担当で重きを置かれていた人材ですからね。それに、祖父は高名な傭兵隊長。その名を穢してなお、生き恥をさらしているのですから。それはそれは冷遇されているようです」
ジッチャンの名にかけて、名誉の戦死をすればよかったのかどうかはわからない。
生き恥をさらすくらいなら死んで名誉を保つという考えもわかるし、死んで花実が咲くものかという考えのどちらも理解はできる。
だが、死んだらそこで終わりと考えれば、逃げるのも一つの重要な選択肢だ。
(前世では……俺は逃げ出すことより、死ぬことを選んだからな……)
結果的には自殺を回避したが、あそこでルドラサウムが現れなければ確実に死んでいた。
まぁ、自殺しなくても結局は死んでしまって、こうして異世界に転生しているわけだが。
「ライレが逃げ出したことで、主戦論に影響は?」
他人の境遇に同情している余裕なんてない。
結局は、各個人が自分の人生をどう生きるかを選択することである。
雅人は復讐を選んだ。
ライレはこのあとどうするか。
それは彼が選ぶことで、雅人の復讐に支障がないなら邪魔をするつもりもない。
(一度は戦場で相まみえたとはいえ、別に恨みがあるわけでなし)
ハジメのように、いきなり敵だと認定して排除する気はない。
(好きにすればいいさ)
そうして、雅人はライレのことを記憶から捨て去った。
「だいぶ、パニックになっているようですね」
上がってきた情報を整理しながら、ワカナがつぶやく。
「ツヴァル=ウッフィの後妻、フロレンティア=ウッフィが主戦論の中心ですが、余裕を失った姿がよく目撃されているようです」
「ツヴァルが中心ではないのか」
てっきり、復讐対象が中心になって進めているのだとばかり思っていたのだが、ちがうらしい。
「そうですね。フロレンティアが中心で、ツヴァルがそれを公認している状態のようです」
まぁ公認しているのだから、罪はある。
その方向でツヴァルのことは詰めていくとしよう。
「失礼いたします。マサトー様。敵軍の武装解除が完了いたしました」
ワカナの報告を受けている最中に、最優先報告事項と命じておいたウェストニア軍の武装解除の進捗について、親衛隊に任せていた仕事の完了報告をあげにパルムが現れた。
大将が敵前逃亡したことでパニックに陥ったウェストニア軍は、雅人が送った降伏を促す使者に対し、あっさりと白旗をあげた。
まぁ、軍隊は究極の上意下達組織だ。
そのトップがいきなりいなくなれば、方針が迷走して収集がつかなくなる。
そんな状態では決して戦えない。
だからこそモルテールンの首狩り騎士が恐れられるのだし、桶狭間で今川軍は敗走し、三方ヶ原のあとで信玄が病死すると武田軍は兵を退いたわけだ。
陸奥の関与があったかどうかはさておき。
「傭兵たちが、前金を受領しているため、この場を離れたいと希望しております。如何いたしましょうか」
金で雇われて戦争に命を懸ける傭兵たちも、前金だけで満足することにしたようだ。
たしかに、命あっての物種。
それにここで欲張ったところで、ウェストニアが敗北してウッフィ商会が壊滅的な被害を受ければ、残金をもらえるかなどわからない。
ならば、従軍するという最低限の義務は果たしたことで、前金だけでおさらばするつもりになったらしい。
「正直、無罪放免というのもどうかと思うんだがな」
金で雇われただけで、彼らに恨みなどない。
敵に認定するつもりもない。
だが、彼らは戦争を飯のタネにしている傭兵だ。
次も敵軍の一翼を担う可能性は否定できないだろう。
それ以上に、傭兵という存在を放置すれば社会不安の元になる。
百年戦争のころ、フランスが荒廃したのは戦場になっただけでなく、傭兵たちが戦争がなくて食えない和平中に盗賊と化して、街や村を略奪したことも一因である。
とはいえ、明確な罪があるわけではないので、罰を与えることも難しい。
魔族と恐れられるアイェウェの民と、ヒューマンとひとくくりにするには多様な種族を共存させるためには、共通のルールが必要である。
それは異なる文化を持ったエスニック集団を統治した地球世界の諸帝国の事例が参考になる。
交易で民を潤わせて反抗しても損だと思わせて税金だけ徴収する方法や、徹底的に弾圧する方法など。
だが、永続性を考えて雅人は将来的には法治国家を目指している。
だから今、傭兵として敵軍に雇われていたという事実だけで罰を与えるのは、将来を考えればマイナスにしかならない。
かといって無意味に拘束したところで、飯を食わせる人数が増えるだけで益もない。
結局のところ、放逐するのが一番という釈然としない結果になるのだが。
「我々と敵対しないことを誓約させましょうか。そうすれば、次も降伏した場合は処刑できます」
「それは、死兵を作り出すだけにならないか?」
降伏しても殺されるとわかっていれば、死に物狂いで抵抗されるかもしれない。
難しい話だ。
「いっそのこと、雇ってしまいましょうか」
ワカナの意見に、パルムがいぶかしげな視線を送る。
「帝国は着々と、旧魔導王国との間にある小国を併呑しています。それらの国を支援するという格好にして傭兵を送りこみ、帝国と戦わせる。いかがでしょうか」
「悪くない意見だ。金額次第だな。交渉してくれ」
「かしこまりました」
雅人が方向性を承認すると、ワカナは薄桃色の髪をした大鬼族の姫のような恭しい態度で、頭を下げた。




