第32話 立憲君主王国滅亡6
「く、来るなぁ!」
足に矢を、全身に木片を突き刺しながら、なおも生に執着したフェルディナンドがワタワタと手足を動かして逃げようとする。
「オマエ、裏切り者なんだってな?」
「ぐぇぇっ……」
ほふく前進のようにうつぶせになって進んでいた背中を、オニのような角を生やした少女に踏まれ、フェルディナンドは肺から空気を絞り出された。
「た、助け……」
「罪のないヒトを、たくさん卑怯な手段で傷つけておいて、ナニを言ってる?」
グッと踏みつけが強くなる。
体の中で、ボキッと嫌な音がしたあと、遅れて激痛が走る。
「や……いやだ……死にたくない……殺さないで……くれ……」
「我が君が……我が君っていうのは、えっと……魔王様? そう。魔王様が言ってたぞ。傷を負う覚悟のない奴が、戦いの場に来るなって」
どこかで聞いたようなセリフだと思いながら、フェルディナンドは意識を失った。
「はぁはぁはぁっ! ゆ、夢……? か……?」
フェルディナンドが目覚めると、折られたはずのあばら骨は無事で、周囲に敵の姿もない。
(夢、か……ずいぶんリアルだったな)
思い出すだけで、全身から嫌な汗が噴き出す。
そのくらい、恐ろしい悪夢だった。
(おっと。こんなところで寝てられない。早く首都に戻らねば)
空腹でフラフラするが、ガクガクと震える足を軽くたたいて気合を入れ、フェルディナンドは立ち上がった。
「起きたのか」
後ろから声を掛けられ、一瞬で動けなくなる。
「あ……あぁぁ……」
決死の覚悟で振り返ると、先ほどの少女が木に寄り掛かって待っていた。
「待ちくたびれた。もう少し、痛い目にあってもらわないと、連れて帰れない」
「な……んで……」
ガタガタ震えながら、恐怖にすくむ足を必死に後ずさりさせて、少しでも距離を取る。
両手には、先ほどの凶悪なモーニングスターは持っていない。
走れば……逃げられるかもしれない。
だが、失敗すれば死ぬ。
(死ぬ……死ぬのか? こんなところで? いやだ。死にたくない。絶対にいやだ!)
フェルディナンドの生への執着は恐怖に一瞬打ち克ち、魔法を詠唱することに成功する。
「喰らえっ! ファイアーボール!」
正直、詠唱の間も焦ってしまい、威力は万全とは言い難い。
スピードも大したことはなく、簡単によけられてもおかしくない。
だが、オニの少女は向かってくる火の玉を避けることなく、炎に包まれた。
「やったかっ!」
喜色満面で叫ぶ。
炎の中で少女が燃えているように見え、助かったと安心した。
「ハジメとかアリサじゃなくてもフラグだとわかるようなことを言うなよ」
男の声が聞こえる。
と、炎に燃やされていたはずの少女が何事もなかったかのように、まっすぐ歩いてきた。
その姿は髪の毛や肌はおろか、身に着けている衣服すら燃えた形跡がない。
「ところでフォーリ。名乗ったか?」
男が言うと、少女が焦ったように手足をバタバタさせる。
「な、名前を言ってなかった。我はフォーリ=レスバ。オニ族の藩王、だ」
「は、藩王……?」
聞いたことがある。
魔王に次ぐ、高位魔族のことだ。
魔族の生態などまったく知らないが、まさか母親から生まれていないなんて言わないよな?
「お、俺は、フェルディナンド=フィンレック=モンセール。女の……股から、生まれた者には、殺されない男だ」
殺そうとしても無駄だぞとアピールする。
だが話が通じていないのか、首をかしげている。
「フォーリ。フェルディナンド君は殺されない自信があるみたいだ。殺さないように、おもてなししてやってくれ」
「はい、我が君っ!」
藩王に命令できるということは、この男が魔王なのだろうか。
「おもてなし」と言ったときに、指をすぼめた手を、掌を上に向けてリズムをとっているように見えたのは錯覚か?
だが、そんな疑問を抱けたのは一秒に満たない時間だった。
フォーリと名乗った魔族が一瞬で肉薄し、フェルディナンドの体を蹴り上げたのだ。
「おー。赤は止まれだな」
見事な脚線美にみとれるような余裕もなく、ふっとばされる。
「殺すなとは言ったけど、今のは痛そうだな。ま、金的じゃなかっただけマシだと思えよ? 準備運動にもならないんだから」
受け身を取ることもできずに、背中から地面に激突した。
蹴られた痛みと着地の衝撃で、全身がバラバラになりそうな痛みが襲ってくる。
指一本、動かせない。
なにもできずにあお向けに転がっていると、オニの少女が近づいてくる足音が聞こえる。
(こ……殺される……やっぱり、魔族……母親から……生まれない……下等生物……か……)
こんなところで、こんな死に方なんて、納得できない。
まだ神様に頼まれた、石村を虚仮にすることもできていないのに。
「……もろい。つまんない」
オニの少女がつぶやいたあと、全身が心地よい温もりに包まれる。
そして、指が動かせるようになった。
いや、指だけではない。
空腹は相変わらずだが、全身の筋肉と関節が動かせるようになっていた。
「はっ! はっ!」
汚物でも見るような目で見下している少女の隙をつき、走り出す。
(逃げる! 逃げなきゃ……)
殺される。
だが、フェルディナンドの望みは叶わない。
「前から」オニの少女に左のすねを切断されてしまったのだ。
「遅い。逃げる気、ある?」
どうやら、必死に逃げたフェルディナンドを一瞬で追い越し、待ち構えていたようだ。
(これは……ダメだ……逃げられない)
ようやくフェルディナンドも不可能を悟った。
いや、悟らざるを得なかったと言うべきか。
こうも圧倒的な身体能力の差を見せられては、もう逃げる手段がない。
魔力は先ほどの一発でガス欠。
気力もなえてしまっていて、逃げていいと言われても足は動かないだろう。
(もう……疲れた……)
左足からは、とめどなく血が流れている。
このまま放っておいてもらえれば死ねる。
苦痛から解放される。
だが、失血しすぎて意識がもうろうとしてきたときに、また回復魔法で復活させられてしまった。
死にたいのに死ねない。
(もう……死にたい……死なせてくれ……)
フェルディナンドは、ゆっくりと上半身を起こす。
足を斬られて倒れこんだ時、目の前に転がっていた鋭利な切断面を持つ木の枝を両手で持ち、ダイブするようにのどに突き刺した。
(あぁ、これで……楽に、なれる……)
「ったく。白鯨倒した後のスバルじゃないんだ。勝手に死のうとするなよ」
「うぐっ、どうして……どうして死なせてくれないっ!」
やっと苦痛から解放されて楽になれると思ったのに、魔王らしき男が回復させてしまい、また無傷に戻る。
「女の股から産まれた者には殺されないんだろ? 自分だって、母親から産まれただろうに」
「あっ……あぁぁぁぁっ!」
絶望で、のどが破れるまで絶叫する。
自殺も。
自殺すらも許されていないのか。
「ったく。さっきフォーリにセリフ取られたけど、お前みたいな覚悟がないやつが戦場に来るなよ。レオポルドに怒られるぞ」
だれに怒られるのかまったくわからないが、とにかく死ぬこともできないならここから逃げるしかない。
だがどうやって?
しかし、運命はフェルディナンドに味方した。
「お、王? 捕まえろ」
立憲君主王国の兵士数名が、フェルディナンドを追ってきたらしい。
激しい、一方的な戦闘には気づかなかったのか、無防備に近づいてくる。
「俺の後ろに、魔族がいるぞ」
そう言うと、兵士たちは恐怖に凍り付いた。
その隙に、フェルディナンドは走った。
兵士の一人から剣を奪い、とどめを刺すよりも傷つけて足止めすることを目的に斬りつけながら、駆け抜ける。
「まったく。ありがたい話だな。前世と変わらずクズでいてくれるなんて。二周目は楽しませてくれそうだ」
魔王かもしれない男のつぶやきは、フェルディナンドの背中に届かなかった。




