第30話 立憲君主王国滅亡 4
「くそ、くそっ、クソ!」
目の前で大軍が瓦解した直後、魔族に追いかけられたフェルディナンドたちは、北にある首都に向かって必死に逃げた。
放棄した南の方向は、すでに魔族に制圧されていると思われ、安全が保障されないからだ。
ついてきたのは将軍と、その側近たちだけ。
全部で百人どころか、数十人の逃避行になった。
首都から南の防衛線に向けて進軍したときは、数万の軍勢がともにあった。
それなのに、同じ道を北上する今はその千分の一くらいになっていることに、フェルディナンドは屈辱で震えた。
しかも途中、魔族に追いつかれて二人の将軍が惨殺されている。
もう逃げきれないと諦めかけたところで、魔族の追撃がやむ。
おかげで、小さいながらも砦に逃げこむことができ、やっと一息つくことができた。
安心して最初に思ったことは、薄汚い魔族の悪辣な策略への怒りだった。
民衆を人質にして、それっぽいことを言わせたにちがいない。
そうだ。
きっとそうに決まっている。
(俺は、二王国の英雄。フェルディナンド=フィンレック=モンセール。民衆に愛されている男だぞ!)
その英雄を、石を持って追い立てるようなことを国民がするはずがない。
絶対に、魔族が人々を不正な手段で惑わせたのだ。
そう気づくと、怒りが止まらない。
砦の備品の机に切りつけ、バラバラに切り刻んでから、ようやく落ち着いた。
(これからどうするか……)
せっかく集めた大軍は、今ごろ皆殺しにされているだろう。
だが仕方がない。
たとえ騙されたとしても、英雄である国王に罵声を浴びせるような愚か者どもは、殺されてとうぜんである。
救いは、だまされたとわかって絶望に顔をゆがませながら殺されているだろうことが想像できることくらいか。
しかしこれから先、どうやって魔族に国を滅ぼされないようにするかが、大問題だ。
(俺は無事でも……国がなくなったら困るな)
フェルディナンド自身は、予言もあるので殺されないだろう。
だが国が滅んでしまったら、せっかく苦労して国王にまで昇りつめた時間も費用も、なにもかもが無駄になってしまう。
だれが死のうが気にしないが、国は存続させなければならない。
(魔族に講和を提案してみるか)
ヒューマンの英雄であるフェルディナンドに危害を加えるようなことを、魔族と言ってもできるわけがない。
そんなことをもしすれば、立憲君主王国と軍事同盟の国民が黙っていないからだ。
(よし、講和を結んでやろう)
フェルディナンドは、将軍の一人を呼び出して魔族に講和をもちかけさせた。
「講和は認めない……? 罪人として出頭するか、戦って死ぬか、だと! お前は、何をしに行ったんだっ!」
大声で、使者として派遣した将軍を怒鳴りつける。
だが少し前までは、フェルディナンドの顔色をうかがってビクビクしていたはずの将軍は、妙に堂々とした態度をみせる。
怒鳴り声に対して、首をすくめるようなジェスチャーを返すほど、まったくフェルディナンドを尊重していない。
「なにをしに行ったと言われましても。王の伝言を魔王にはちゃんと伝えましたよ」
「伝言……? 有利な条件で講和するために行かせたのだぞ!」
つい激昂して、机をバンバンと叩く。
少し前までなら、それだけで顔を真っ青にしていたはずなのに、今は余裕すら感じられる表情だ。
「本気ですか、王よ。有利な条件? 講和が本気で結べると信じているのですか?」
ついには、バカにしたような返事をされ、フェルディナンドは唇をワナワナと震わせた。
「魔族からしてみれば、我々が必死にかき集めた大軍を、戦うこともなく崩壊させたんです。もう、この国には魔族と戦う力なんてありませんよ」
「なにを言っている? 俺は、二王国の英雄。フェルディナンド=フィンレック=モンセールだぞ? 俺が命じれば、あの程度の軍勢、また集められる!」
自信たっぷりに豪語すると、これ見よがしにはぁぁ、とため息が返ってきた。
「では、なぜあの二倍の軍を集められなかったのですか?」
あきれたような目つきで問われ、言葉に詰まる。
「それは……その……」
「現実を見てください。我が国はもう、戦争をする力などない。そんな弱体化した国を相手に、なぜ魔族は講和を結ばなければならないんです? 戦って滅ぼせばいいのに」
バカにしたように諭され、フェルディナンドはとっさに剣を抜いて将軍を斬り殺した。
「この……不忠者めっ!」
ゼエゼエと肩で息をする。
「だれか、このクソの死体を処分しろ!」
声をかけるが、だれも動かない。
「だれか、魔族のところに行って、講和を結んでやるから、魔王が俺の前に来いと言ってこい!」
だれも動かない。
「貴様ら……」
「王よ。もう、わが国でも、軍事同盟でも、だれもあなたを英雄とは思っていません」
怒り心頭に達したところで、冷水を浴びせられる。
「はじめは……魔族の策略だと思いました。でも、あなたの今の言動を見て、我々は確信しました。あなたはモンセール卿を謀殺し、前王妃様を毒殺し、前王様すら毒殺しましたね」
「ち……ちが……ちがう。そんな、魔族の言葉と、俺の言葉。どちらを信じるんだ!」
フェルディナンドが叫ぶが、だれも目を合わせようとしない。
(いつの間に……こんな……)
薄汚い魔族めっ!
きっと、あることないこと。嘘をばらまいたにちがいない。
そうでなければ、英雄である自分が、こんな目で見られるわけがないんだ!
「て、敵襲!」
目の前が回転するように、めまいを覚えていたフェルディナンドは、外の物見が上げた叫び声で我に返った。
「返り討ちにしてやれっ!」
窓に飛びつき、しつこい魔族の姿を見ようとしたフェルディナンドの目に、信じられない光景がうつる。
「ど……して……」
フェルディナンドたち一行が逃げこんだ砦を攻めているのは、立憲君主王国の正規兵の格好をした兵たちだった。
「裏切り者を殺せ!」
「裏切り者を引きずり出せ!」
そんな叫び声が、風に乗ってフェルディナンドの耳に届く。
「裏切り者……だれの……ことだ?」
「王よ。あなたのことです」
後ろから言われ、ギギギと油切れの機械のようにぎこちなく振り向く。
「俺が……裏切り……者?」
「ちがうのですか? モンセール卿を謀殺していないと? 前の王妃様と王様に、毒を盛ってはいないと? 申し訳ないが、ここにいる者も含め、この国であなたのことを信じている者は、たぶん。だれも。いない」
言い聞かせるように言われ、感情が沸騰する。
「うそだぁぁっ!」
怒りのあまり、石でできた窓枠を爪でひっかきながら叫ぶ。
「うそではありません。その証拠に、窓の外を見ればいい」
言われて窓から頭を出す。
そして、フェルディナンドを守るために戦っているはずの守備兵の方を見て、激しく後悔した。
もう戦いは行われていなかった。
むしろ攻撃側の兵士と守備隊が肩を組み、フェルディナンドが籠っている塔の入り口を壊そうとしていたのだ。
「どこだ。どこに逃げ道がある?」
「観念なさい。責任を取るのも、王の使命ですぞ」
あきれたように言う将軍の一人が、そばの兵士たちに命じる。
兵たちはジリジリとフェルディナンドに近寄り、捕まえようとしてきていた。
「うぁぁぁっ!」
手にした剣を振り回し、扉から飛び出す。
「どこだ。どこかに逃げ道があるはず。どこだぁぁっ!」
「ここです、王よ」
可憐な声が聞こえた。
抗いがたい魅力を秘めたその声に導かれて、フェルディナンドは扉に飛びこんだ。




