第29話 立憲君主王国滅亡 3
雅人はエリス率いる諜報部隊に命じ、いくつかの噂話を敵軍内に広めさせた。
曰く、「魔王らしき人物が、どこそこ村近くの林のあたりで見つかった」。
あるいは、「藩王がなになに町の城壁の下で発見された」。
それだけで、どこそこ村やその周辺出身者の兵が我先にと逃げ出す。
なになに町に家族を残してきた兵士が、捕らえようとする味方を殺してでも逃げていく。
噂が独り歩きし、いつのまにかいくつかの村が地図から消えたことになっていた。
数百人単位で、魔族に貪り食われていることになっていた例もある。
(ま、それならそれでいいんだけどな)
恐ろしい魔族、というイメージは払拭されないので、戦後の統治に苦労を先送りしているだけな気もするが、そこは目をつぶる。
実際に敵兵が逃げ出し、故郷にたどり着いたとしても、そんなことにはなっていないことがわかるので、あとは公平な政治を心がければいい。
公平な政治が行われれば、魔族に対する見方も徐々に改善していくだろう。
まずは目の前の軍を、できるだけ効率よく崩壊させることが優先である。
(ルディの苦労がしのばれるな)
恐ろしい種族に対する恐怖を好転させることの難しさをひしひしと感じながらも、雅人はとりあえず少しでも魔族の犠牲になる敵兵を減らすべく、謀略で敵軍を切り崩していった。
策を講じてから一週間もしないうちに、かなりの効き目があらわれ、一ヶ月後には敵の半分ほどが一度は逃亡を企てたことがわかった。
正直、効きすぎな気もするが結果オーライである。
逃亡に成功した者たちは故郷に引きこもり、決して帰ってこない。
とうぜんである。
逃げ出した軍に、魔族への恐ろしさを抑えこんででも戻ろうなどという者がいるわけがない。
なにしろ、敵前逃亡の罪だ。
捕まったら死罪もあり得る。
そして、逃げ出すことに失敗した者たちも、数が多すぎてもはや処罰できないらしい。
当初行われていた、見せしめのための処刑が実行されなくなれば、とりあえず一度逃げてみようとする者は、増える一方だろう。
そうして、敵軍は瓦解のスピードを加速度的に早めていた。
(さすがは大覚屋の策。見事にハマったわー……)
たしか、火で一つの星を燃やし尽くしたあと、敵兵の出身地での目撃情報を流した策があったはずだ。
それと同じように、藩王……リナが藩王かどうかなどヒューマンは知らないので、藩王が現れたと聞いただけで故郷が危ないと、勝手に逃げ出すのだ。
対して、雅人がやらせたことは噂話を拡散するだけ。
それも、必ずしも諜報担当にやらせる必要もなく、敵軍に出入りしている商人に届くように流すだけで、あとは勝手に情報として流布させてくれる。
これほどコスパに優れた策も、なかなかない。
自分たちは少数精鋭を率いてただそこにいるだけで、敵が誤解して逃げて行ってくれるのだから、笑いが止まらない。
だが、いつまでも敵国に常駐しているわけにもいかない事情もある。
そろそろ次の策で立憲君主王国を滅亡に導くとしよう。
(他人のふんどしで相撲取ってばかりだが、まぁ、気にすることもないか)
割り切って、次の策を実行すべくエリスを呼びに行かせた。
雅人の目の前に、立憲君主王国の軍勢が立ちふさがる。
いや、その表現は正しくないかもしれない。
立憲君主王国の軍はすでに士気が崩壊しており、逃げ遅れたがゆえにただ命じられるまま戦場に立っているだけの兵が大半を占めている。
なにかきっかけがあれば軍は大混乱に陥り、我先にと逃げ出すことだろう。
(そのきっかけを作ってやらないとな)
だが、混乱の中で逃げられるのも少々困る。
フェルディナンド=フィンレック=モンセールはともかく、将軍の幾人かはここで排除しておきたい。
有能なので見逃してもいい程度の行状の者もいるにはいるが、基本的にはフェルディナンドの腰ぎんちゃくとして、悪事をいろいろとやらかしてくれている者ばかりだ。
戦後のことを考えれば早いうちに病巣を取り除き、マシな連中に活躍の場を与えておきたい。
だからこそ、とある策略の準備を進めてきたのだった。
「我が君、準備万端です」
「護衛はちゃんとつけているな?」
最終確認で問うと、エリスは自信ありげにうなずいた。
「よし。作戦開始」
雅人の声とともに、アイェウェの民に促されたヒューマンが十数人、前に足を踏み出した。
「カイル! 我が息子よ! お願いだ、武器を捨ててくれっ。魔王様は、抵抗しなければ無傷で捕虜にしたあと、解放してくださると約束してくださった!」
一人目。中年男性が声を張り上げる。
「エド! お願い。結婚して、幸せにしてくれるって約束を覚えているなら、武器を捨てて! お願いだから、私を一人にしないでっ」
二人目。純朴そうな、いかにも村娘ですという少女が婚約者に向かって声をかける。
「ケイン! 魔王様は、父ちゃんの病気も治してぐださったど! おめぇも、無事に帰ってきてぐれっ」
三人目。少し年齢を重ねた女性が、なまりの強い声でおそらく息子に降伏を呼びかける。
「お父さん! 僕だよ、フェルだよ。お願い、無事に帰ってきてよぉ」
四人目。七歳ぐらいの少年が、必死に大声を出した。
「クロノ村のみんな。魔王様は、飢え死にしそうな村のみんなを助けてくだすった。ケリーの村も、間の村もみんな、無事だぁ!」
五人目。彼は報告が入っていたので知っている。クロノ村の村長で、孫娘のケリーが二つ隣の村に嫁いでいる。
(勝負あったな)
声をかけるものが十人に達したところで、ほぼ全軍の兵士たちが武器を捨て、言われたとおりに膝をついて無抵抗なことを表明した。
多少時間はかかったが、その劇的な光景はまるで、フレア王女の説得で武器を捨てた者たちを眺めるようだった。
だが、そこでつぎに声をあげようとした男性に向かって、矢が射ちこまれる。
「大丈夫だ。安心しろ! 彼は無事だ」
雅人が力強い声を発し、魔法で敵軍に向かって拡散させる。
「見ただろう、諸君。これが、君たちが慕ってきた、二王国の英雄。フェルディナンド=フィンレック=モンセールの本性だ!」
同胞の呼びかけで武器を捨てた兵たちが、怒りの表情で顔をゆがませたまま、フェルディナンドたちに向けて武器を向ける。
「武器を捨てよ。魔王よりも邪悪な王は、我々が討ち取る!」
雅人の発言のあと、幾人かのアイェウェの民がフェルディナンド捕縛に向けて走っていく。
軍の中心で、フェルディナンドと側近たちが、悲鳴を上げて逃げ出したのが見える。
だが、兵たちはだれもついていかない。
むしろ逃亡ルートに当たった兵たちは、手放したはずの武器を少しだけ持ち上げて足を引っかけさせたりして、逃亡するのを妨害していた。
少し離れたところにいる兵たちにいたっては、「臆病者!」、「卑怯者!」、「この裏切り者め!」、「殺されてしまえ!」と、罵詈雑言を浴びせている。
(あぁ、顔が見られないのが残念だ……)
他人を裏切り、蹴落として国王まで昇りつめたフェルディナンドは今、どんな気分だろう。
苦労して手に入れた王国の民衆から、裏切り者だとののしられ、絶望しているだろうか。
それとも、まだ再起は可能だと希望を失ってはいないのだろうか。
どちらでもいい。
塚田克には、もっと絶望してもらうつもりだ。
(しかし……ベルベディル王はすぐに理解したのに。塚田、お前はどうしてそんな単純なことがわからなかったんだ?)
ある意味一番あり得ない、理想的な展開になったわけだが、自殺行為になるのがわからなかったのだろうか。
故郷の人々に対し、目の前で危害を加えられたら……だれもが怒り狂うだろう。
だからこそ、人質として有効なケースもあるのだが、この場合は自分たちが恨みを買うだけの効果しかない。
そんなこともわからないほど、目の前で大軍が瓦解していく姿にパニクってしまったのか……。
(さすがはアレクシオス……お見事)
なにはともあれ、家族愛や同郷愛を利用した心を攻める作戦も、大当たりだった。
呼びかけられた本人以外も、誰かの息子であり、誰かの夫であり、誰かの父親であり、誰かの友人だ。
守るべき家族や恋人が無事で、さらには敵軍にいる……つまりは半人質状態で連れてこられたことがわかっているのに、戦うことができる者は少ない。
そして本家本元と同様、彼らの叫びは本物である。
おあつらえ向きに、フェルディナンド王たちは広大な国土を放棄して、首都近辺だけを守ろうとしていた。
見捨てられた人々は、さぞかし王を恨んでいたことだろう。
雅人がやったことは、ふつうは泣き寝入りするしかない民衆の恨みを、晴らす機会を与えてやっただけ。
それで雅人の復讐心を満たし、民衆の不満を国王たちに向けさせ、敵の大軍をほぼ無傷で武装解除できるのだ。
なんてコスパのいい作戦だろうか。
(あとは、敵の大チョンボを活かして、ふつうの真っ当な政治をやれば、立憲君主王国もお終いってわけだ)
帝国宰相が勇者たちを動かす前に、足場を固めておきたい。
雅人は目の前で再会を喜び、抱き合う人々を眺めながら、立憲君主王国の首都に向けて藩王に率いられた別動隊を出発させた。




