第23話 ゲン=アルパ 2
遅くなりまして申し訳ありません。
「あぁぁ、どうしよう。どうしよう……」
軍事同盟と立憲君主王国との取引で、かなりの痛手を負っていたアルパ商会は、追いこまれていた。
そのため、帝国に駐在させている担当者から持ちこまれた大口取引に飛びついた。
ゲン自身、損失を早期に挽回しようと気が逸ったものの、いつもどおりかなり慎重にリスクを判断したつもりだったが、予期せぬトラブルで失敗した。
いや。今の説明は正確ではない。
ただ、失敗したわけではない。
それならどれほど幸運だったか。
今後、アルパ商会が帝国での取引を行えなくなるくらいの大問題が発生していたのだった。
***
事の起こりは立憲君主王国、軍事同盟、両国の軍が壊滅的な敗戦に、命からがら逃げ帰ってきた十日ほど後のことである。
その時点で、アルパ商会の大損害はかなり確度の高い予想として、商会の会頭であるゲンに報告された。
損害の事実だけで、すでに頭が痛い。
だがそれに加えて、両国の潰走によってアルパ商会が損失をこうむり、つぶれるのではという噂話が問題だった。
噂話に端を発した信用不安により、前金商売でしか仕入れを行うことができず、アルパ商会の屋台骨は急速に傾いていった。
元々、父親の突然の病没で会頭に就任したゲンは、病的なまでにリスクを嫌いつつも、徹底したコストカットと新商圏の獲得によって、商会を今の地位まで押し上げた人物である。
時代も、これまではゲンの味方をしていた。
獣人西辺境伯領が魔族に滅ぼされたとき、普段は豪胆な商業都市連合の商会のほとんどが、パニックに陥った。
その結果、多くの商会が魔族の攻勢という想定外のことに動揺して倉庫を閉じた。
そして、食料品不足によって物価は一気に高騰した。
そんな先行きが見えない中、ときに売り惜しみで物価をさらに押し上げつつ、普段の臆病なまでのリスク回避が嘘のように、一時的に手広く商圏を拡大させて、アルパ商会は大きく儲けた。
餓死者すら出た国がある一方、いくつかの商会では堅く倉庫を閉しすぎたために、食品を腐らせてしまったところもあったという。
とうぜん、飢えた民衆は各国で暴動を起こした。
各国政府によってスケープゴートにされた商会もある中、物価高騰に怒る民衆により散発的に発生した商家への襲撃も、アルパ商会は金さえ払えば売ってくれるという評判のおかげで回避。
その後、列国会議開催による対魔族討伐連合軍の結成が期待されていたころには、パニックは落ち着いた。
西辺境伯領が滅びる前は、商業都市連合内で中堅商会と目されていたアルパ商会は、戦後の混乱に乗じて勢力を伸ばし、他家の没落もあってついに大商人の仲間入りを果たしたのだった。
その後、魔導王国が単独で魔族に挑んだ戦争においても、軍需物資を提供した商会の一つに名を連ねた。
他商会は値段をつりあげるが、掛けでの販売による多額の商売に注力する中、アルパ商会は少し値段を下げてでも前金取引にこだわった。
そのおかげで魔導王国を征服した魔族による、債務整理という名の強制的な債務の減額に巻きこまれることがなかった。
国が滅びたのだから、減額されても払ってもらえるだけ儲けもの。
そんな風に納得せざるを得ない商会に囲まれながらも、債券はすべて回収済みだったアルパ商会は損失を受けることなく、最大の利益を得た商会となったのである。
だが、幸運はそこまでだった。
ゲンの従兄で、まだ子のないゲンの後釜を狙うゼンダ=アルパは、立憲君主王国と軍事同盟との取引に渋るゲンを押し切って契約を進めていたことで、窮地に立たされていた。
このままでは、次期会頭に選ばれるどころか、自らが損失の責任を取る生け贄にされかねないと、ゼンダは思った。
それほど大きな損失だった。
そのため、大口の取引によって挽回すべく前のめりになって儲け話を探していたのだが、そこを詐欺師によって見事に狙われた。
ある日。
ゼンダの腹心であるアルパ商会の帝国駐在員が、見たこともないほど巨大なサファイアの取引の仲介を依頼された。
話を持ちこんだのは、帝国のある辺境に領地を持つ男爵である。
領地で採掘されたという豪華すぎる一品は、それだけで数千ディナールほどの価値があった。
もちろん、魔法による鑑定で本物であることは確認されている。
あまりに高額な代物なため、担当者は最初から帝室。具体的には、派手好きと評判の帝妃を潜在的な買い主と定め、売りこみをかけた。
その結果、首飾りに加工することで二万ディナールの商売を成立させることができた。
利益だけで数千ディナール。
小国の国家予算を凌駕する大商いであった。
その後、順調に首飾りへの加工は完了した。
政治的に、商業都市連合の商会から買い取ったというのは外聞がよくない帝国の都合に、最後まで振り回された商売であったが、もう少しでその苦労が報われる。
そして、宝石を持ちこんだ男爵の令嬢が献上するという建前を取ったため、令嬢に首飾りを手渡した。
そこでこの話は無事に終わったはずだったが、首飾りを受け取った彼女は、登城することなく忽然と消えた。
いつまでたっても首飾りが納入されないと、何度も催促する帝国側を必死になだめつつ、徹底的な捜索が行われた。
実は男爵には娘はいなかった。
そして、原石を持ちこんだ男爵自身も偽物であったことが後日判明。
帝都に屋敷を構えるほどの有力家門でなかったことが災いし、付き人たちすら偽物であったことに誰も気づかずに、商談を進めていたことになる。
すでに原石の対価は支払われていたが、男爵本人には心当たりがなく、嘘をついているわけではないことも魔法によって証明されてしまっていた。
とうぜん首飾りの対価は得られず、偽物に支払った原石の仕入れ値と加工賃が直接的な損失となった。
それに加え、どうしてもあるパーティに新しい首飾りを身につけて出席したかった帝妃の怒りを買い、アルパ商会は帝国内の財産が没収された。
それは、今回も前金商売を徹底したアルパ商会に対し、納入されていないことへのペナルティとされたが故に、商業都市連合の他商会からの手助けも得られず。
立憲君主王国、軍事同盟との取引で大損害を受けていたアルパ商会の息の根を止めるのに、十分すぎる痛手であった。
対外的な侮辱には一致団結する商業都市連合も、自由な商売の結果にまで干渉することはなく、アルパ商会は倒産したのだった。
***
「っ!」
「いかが致した、ゲン=アルパ殿」
負債まみれな商会からは、蜘蛛の子を散らしたように人がいなくなる。
血縁者にすら見放されたゲンはある日、魔王から招待を受けた。
敵に融資した者への召還かとビクビクしながらも、商談と明言されては行かざるを得ない。
帝国に敵視されている現状では、西方の大国となった魔族を無視することはゲンにはできなかった。
少なくなったとはいえ、ゲンの才覚による再起を信じてついてきてくれている者もいる。
彼らに給料を払うためにも、ゲンは魔王の謁見を果たした。
だが魔王の顔を見た瞬間、ゲンは後悔した。
なぜならば。
『へぇ。俺がだれだかわかるのか。丹下』
『い……石村くん……君が魔王だったのか』
これまでも、源太は元クラスメイトの転生者と顔を合わせると、転生前の名前がわかるという異能を持っていた。
夢の中で、転生させてくれた神様がプレゼントしてくれたスキルのおかげで、これまで何度か大儲けができたのだが。
『なら話が早い。俺に協力すれば、アルパ商会。復活させてやってもいいぞ』
ゲンには、悪魔の誘惑にしか見えないその誘いに乗るよりほかに選択肢はなかった。




