第6話 開戦
「落ち着いて作動させろ。焦る必要はない。手順通りやればいい。大丈夫だぞっ」
イミュートの目の前で国境警備の兵士たちが、手間取りながらもなんとか指示どおり、次々に魔導障壁を起動していく。
普段は魔力消費を抑えるためにスリープモードになっているので、必要に応じて起動させなければならない。
だがこうして起動させれば、前面である西側からの魔力を帯びた攻撃を、約十分の一に軽減する効果を発揮する。
それが三列並べられているので、障壁を越える攻撃は放たれたときの千分の一にまで弱体化しており、そこまで弱まればヒューマン最弱といわれる獣人の魔法防御でも対応できる。
魔導王国から提供された、特製のヒューマン側最終兵器だ。
「無事にすべて起動しました」
朝から起動を開始した魔導障壁は、ようやく昼前にすべて準備完了した。
事前に確認させていたとおり、故障もなく全機運用できるのは僥倖としか言いようがない。
考えてみれば、単騎が迷いこむことはあっても、複数の魔族が国境付近に現れる事態ですら、数十年ぶりのことだ。
魔導障壁の準備に手惑うのも仕方がない。
とはいえ。
(ちゃんと訓練くらいしておけよな……)
災害大国日本生まれとしては、数百年間準戦時下なのに、虎の子の兵器を起動させる訓練すら、年に一回くらいしかしていない危機感のなさに、少し引く。
(まぁ、いいか。間に合ったから)
この戦争から無事帰れたら、訓練体制をどうにかしなければいけないと思いつつ、イミュートは張り詰めていた息をようやく吐くことができた。
「はっは。早く来やがらねぇかな、魔族ども」
魔導障壁が起ち上がるまでは青い顔をしていた兵士たちだったが、青い光を放つ壁の重なりを見て安心したのだろう。
もう楽勝モードに気分を変えて、軽口を叩く余裕すら見せる。
それを呆れながら横目で見つつ、イミュートは離れたところに布陣する部隊の隊長たちとの連絡回線を開いて、異常がないか報告させた。
まだどこにも魔族は現れておらず、現場はどこも同じく笑顔が見えるらしい。
士気の緩みは看過できない問題だが、叱りとばしてモラールが低下してしまっても困る。
とりあえずは様子見だ。
「来たぞー、魔族だっ」
太陽が頂点から下がりはじめたころ、偵察部隊から悲鳴のような声が聞こえた。
その物見の声を聞いて集まってきたわけではないだろうが、魔導障壁の前に魔族が現れる。
獣人たちと異なり、一糸乱れぬ動きで戦線を展開するのを見て、背中を冷たい汗が流れた。
「ごくり……」
そばに立つ獣人の喉が、恐怖に鳴る。
ヒューマンたちとは異なる怪異な敵兵の姿を見て、先ほどまで笑っていた獣人の兵たちは、腰が引けてしまっていた。
「恐るな。守神たる壁がある限り、我々の勝利はゆるがない! 総員、持ち場を死守しろ」
魔導障壁の前で兵たちを指揮する隊長の一人が叫ぶと、それに呼応したかのように、壁の向こうで魔力が膨れ上がる。
その、見たこともないほどの膨大な魔力が放つ圧力をぶつけて魔導障壁を破ろうと、魔族が一斉に魔法を撃ちこんでくる。
あまりの威力に、楽勝ムードだった兵士たちの顔色が変わったほどだ。
だが三十分ほど攻撃を受けても、壁を越えて届く攻撃はごくわずかで、防衛線はびくともしない。
おかげで兵士たちの顔にも笑顔が戻ってきた。
それを見て、鉄太も少し安心する。
障壁が破られなければ、侵入されることはない。
単騎で迷いこんだ侵入者に国境を破られた場合は間に合わないが、こうして事前に準備すれば問題なく機能を発揮してくれる。
今のところ障壁は安定しており、獣人側は攻撃をすべて防いでいた。
とはいえ、兵たちの士気が下がれば装置に投入する魔力も減り、障壁にほころびが出てしまう危険もある。
過度に怖がったり、過剰に余裕を見せたり、忙しいことだが、士気が高いのならとりあえずは大丈夫だ。
「も、申し上げます」
さすがの魔族も魔力を使い果たしてきたのか、無駄を悟りはじめたのか、攻撃が散漫になってきたころ、その凶報は届いた。
「南辺境伯領方面より、魔族が侵入。北上してこちらに向かってきています。その数およそ三千」
「なっ……ダークエルフどもは何をしているのだ!」
全身に傷を負った連絡兵の報告を聞き、上層部が浮き足立ってしまう。
指揮官たちの動揺はすぐに兵士たちに伝わり、目に見えて士気が下がる。
そのせいで魔導障壁が明滅する。
危険な兆候だ。
(腰が引けている……)
周りの兵たちの様子を確認して、イミュートは危機をひしひしと感じた。
無理もない。
先ほどの攻撃をまともに受けるかもしれないと思えば、恐怖で足もすくむだろう。
恐れれば障壁が動揺し、さらに危険が増す。
悪循環だ。
「全軍、踏み止まれ! 逃げ場などない。我らが逃げれば、妻や子どもたちに危険が及ぶぞ!」
辺境伯たるイミュートの声で、今にも逃げ出しそうだった兵士たちが少しだけ我に戻り、その場に踏み止まる。
崩壊寸前だった第一列の魔導障壁が、なんとか持ちこたえるように輝きを増した。
(三分の一は魔導障壁の運用で手が離せない……残りの兵力だけで防御を固めて、被害を最小限にして持ちこたえなければ……)
かなりの難問だが、人々の命がかかっている。
なんとしてもやりとげなければならない。
だが、現実はさらに非情だった。
「い、イミュート様……」
侵略者に対処するために南側を向いていると、[背中から]声をかけられる。
振り向くとそこには、担架にのせられた重傷を負った兵士がいた。
「き、北側からも、魔族が……」
息も絶え絶えという状態の仲間の口から発せられた言葉に、全軍は沈黙した。
「て、敵襲!」
呆然として時間を無駄に過ごしてしまった間に、南からの敵が迫ってきた。
(どこかに、敵の薄いところはないか……)
こうなっては、多少の犠牲はやむを得ない。
一人でも多く兵を戦場から離脱させ、首都の手前で態勢を立て直し、戦線を整えなければならない。
しかし、魔族は一糸乱れぬ連携で我が方を東から半包囲してくる。
攻撃こそされていない。
だがこちらから攻撃すれば、手痛い反撃を喰うのは目に見えている。
その証拠に、最前列をゆっくりと歩いてくる魔族の両手には、獣人十人分くらいの魔力が、今にも攻撃魔法として放たれそうな完成度でたくわえられている。
そして、先制攻撃できるのにあえてしないのは、それだけ自信があるのだ。
こちらの攻撃など、あたったところで痛くもないと。
無言でも包囲がジリジリと狭められていく。
その威圧感たるや、新兵は腰を抜かし、なかには泣き出してしまう者もいる。
本当なら、そんな経験の浅い者たちを鼓舞し、立て直す役目を負っているはずのベテランも、完全に腰が引けてしまっていた。
無理もない。
魔族と国境を接している辺境伯領に、本気で戦争を挑むバカはいない。
勝って占領すれば、今度は自分たちが魔族との最前線を任されてしまうのだから。
だから……辺境伯領は平和なのだ。曽祖父が言ったとおり。
その代わりに、ベテランと言われる者たちも実戦経験はほぼない。
せいぜいが、単独で迷いこんだはぐれ魔族を、数十人から数百人で追いかけて討伐するくらい。
それも多大な犠牲をはらってのことだ。
おかげで、誰一人この恐怖から立ち直らせることができずにいた。
もちろん、平和な日本で生まれ育った鉄太にも、そんな胆力はない。
(ごめん、恵子……もう会えないかもしれない……)
鉄太は、迫り来る魔族のプレッシャーを青い顔で耐えながら、死を覚悟した。
初投稿作品なので仕様がわかっておらず、遅くなりましたが、どなたかご評価くださったようでありがとうございます。
復讐実行にはまだちょっと時間もかかりますし、魔王の出番もしばらくは少ないので最初の頃のような「ノリ」が出せませんが、誰も拾わなくても頑張ってしゃべらせたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。




