第13話 連合軍侵攻4
(くっくっく。まさか寝てるところを襲われるとは思わないだろう)
フェルディナンドは、暗い夜の森を静かに進みながらほくそ笑んだ。
付き従うは立憲君主王国の兵士一万人。
軍を二つに分け、側近の将軍にもう一万を預けて挟み撃ちにする予定だ。
それが、フェルディナンド必勝の夜襲作戦である。
なお陣地の防衛に三万を残したが、これは主に隠密性を重視して人数を絞ったことによる。
(敵は魔族と、魔導王国のニンゲンの兵士に、獣人。魔族は放っておいて、獣人を殺しまくれば、ニンゲンがパニックになって逃げだすだろ)
そうなれば、敵は軍隊の体をなさなくなって軍を引くしかない。
魔族の軍が引いた後なら陣地に残した兵も繰り出して、悠々と敵の領地を占領できる。
ほんの少しの領土だけでいい。
それだけで魔族に勝った男として歴史に名が残り、内政のつまずきを挽回してお釣りがくる。
(あとは丹下に金を使わせて、領土を取り戻す余裕がないくらいに獣人とニンゲンたちに反乱を何度か起こさせとけば俺は安泰だ)
どこまでも自分を中心に物事を考えるフェルディナンドは、見たこともない狸の皮が高く売れることを信じきっていた。
「フェルディナンド王。前方に敵影を発見しました」
月明りすらない曇天の森の中。
夜襲なので手元に明かりの類は一切持っていない。
肩がぶつかる距離にいる隣人の顔すら判別できないほどの真っ暗闇だ。
それでも、ゴテゴテとした鎧兜に身を包んでいるフェルディナンドのことはシルエットで見分けられるようにしてある。
「敵はこちらに気づいているか?」
気づかれた後のことを考えて恐怖にのどがつまり、聞き取れないほど小さな声で斥候が報告してくる。
だが、フェルディナンドは堂々としたまま斥候に現況を問いただすと、ためらいがちに首を横に振って否定の回答を返してきた。
(やった。この勝負、俺の勝ちだっ)
どうやら賭けに勝ったらしい。
この分なら、もう一つの街道を進ませている軍は空振りになりそうだが、フェルディナンドの側が会敵したのは政治的に美味しい。
手柄を独り占めできそうだ。
斥候の追加の報告では敵も周囲を警戒しながら進んでいるようだが、一気に襲いかかれば敵を混乱させられるだろう。
(相手は魔族。卑怯なんてことはないっ)
薄汚い、穢れた存在を殺すのにためらいなどない。
いや。フェルディナンドはこの世界に生まれ変わったときから、前世では忌避されてきた殺人に抵抗がなかったのだ。
今の地位を築くため、何人殺してきたことか。
それすら後悔もしていないし、罪悪感もない。
自分の栄光のため、犠牲になった者たちを踏み台にして、もっと人生を楽しむのみ。
その犠牲者リストに、新しく魔族の名が載るだけだ。
(行くぜっ)
声で号令をかけられないため、フェルディナンドは剣を抜き放った。
それを見た周囲の側近たちや、王を守る親衛隊も抜刀する。
そして、その波は静かに全軍へと広がっていった。
(行けっ)
剣を持っていない左手を一度挙げ、勢いよく振り下ろすと全軍が行進している敵の腹背にかみつくため一気に駆け出した。
(意外にしぶといな、魔族めっ)
混乱した敵軍は最初こそ崩れかけたが、途中で態勢を立て直し、反撃してきた。
魔法も乱れ打たれ、双方の損害が大きくなっていく。
伏兵や、敵の増援を呼び寄せてしまう可能性が気になって、火の魔法などの明るくなるものは使えないため、火力が足りない。
そこを、物理的な力でカバーしているのだが、どうしてなかなか魔族の軍も頑強だ。
「行けっ、一気に押しこめっ!」
焦れたフェルディナンドは大声で命令した。
「待てっ!」
フェルディナンドの号令から数分後、敵から命乞いのような言葉が出てきた。
やはり自分の命令が勝利のカギだったかとほくそ笑みながら、自分も前に進んで前線を押し上げていく。
だが、敵が近くの木に火の魔法を放ったところで、斬り結んでいた最前線から停滞する雰囲気が伝わってきた。
(なんだ? 魔族の見た目を怖がってるのか?)
これは、もう一度突撃命令を下さなければと手を振り上げた。
だが、その腕が振り下ろされることはなかった。
「ふぇ、フェルディナンド王?」
「ど、どういうこと……だ?」
今や全軍が剣を下ろしていた。
それもそのはず。
フェルディナンドに声をかけてきたのは、一万の軍勢を預けた側近の将軍だったのだ。
(ま……まさか……)
嫌な予感にとらわれ、兵をかき分けて前線にたどり着く。
数本の木が燃えている明かりで視認できたのは、殺されている兵はすべて、立憲君主王国の兵だったという事実。
(ど、同士討ち……?)
なにがどうなっているのかわからず、呆然となる。
「そ、そうか……貴様ら。魔族が化けているんだな。そうにちがいないっ!」
「お、落ち着いてください、フェルディナンド王よ。私はダン=ヴィ=フォール。あなた様に仕える者です」
理性ではわかっていても感情面で自分の間違いを認めることができず、フェルディナンドはダン将軍に斬りかかる。
反撃すればフェルディナンドをもう説得できないと、必死にダンは斬撃を避けるが、すべてをかわしきれずに血を流した。
「お、王よ。落ち着いてくださいっ! 魔族の血は赤くないと言います。ダン将軍に間違いありません」
「くそぉ……どういうことだ……どういうことだぁっ!」
後ろから数人に羽交い締めにされるようにして、フェルディナンドはようやくダン将軍への攻撃をあきらめた。
闇夜に、フェルディナンドの叫びがむなしく響いた。
フェルディナンドの周りを、ダンをはじめとした側近たちが囲んでいる。
どの顔にも悲痛な表情が浮かんでいた。
だがその一角はまだマシだった。
少し離れたところで休息を命じられた一般の兵士たちは、だれも立ってすらいない。
疲れ果てて座りこんでしまっているのだ。
(くそっ、どうしてこうなった……)
兵たちは、恐怖を必死に抑えこんで戦場に出たあと、予想外に魔族を殺せているという高揚感にあおられて無心で敵を殺していた。
それがふたを開けてみれば同士討ちだったとわかり、すでに士気は底辺まで下がり切っている。
さらに、フェルディナンドの悪あがきが厭戦気分に拍車をかけた格好だ。
「ひ、ひとまず、全軍を終結させて態勢を立て直しまして、魔族の軍に向かって進みましょう」
勘違いで殺されかけたダン将軍もフェルディナンドも、微妙な表情を浮かべてたたずんでいた。
その重い空気をなんとかしようと、大隊長たちが進んで兵士たちをまとめにかかる。
もっとも、いたたまれない雰囲気に耐えかねて、とりあえずその場を離れる口実を見つけたというのが真相だろうが……。
だが、彼らはすっかり忘れていた。
今立っている場所が、恐ろしい魔族の陣地からそう遠く離れていないということを。
「て、敵襲ー。ぐぁぁぁっ!」
戦場に出た高揚感で脳内を満たしたアドレナリンが血流によって洗い流されたころ。
同士討ちだと判明して、「やっていられない」という気分が兵士たちにまん延したタイミングを見計らったように、とつぜん現れた魔族が攻撃を仕掛けてきた。
「逃げるなー。踏みとどまって闘えーっ」
現場を預かる大隊長クラスが必死に叫んでいるが、中隊長からして逃亡をはじめている。
あちらこちらで戦線が崩壊し、軍隊の体をなさなくなったのは立憲君主王国軍の方だった。
(くそっ……こんな悪辣なことを考えるなんて、やっぱり魔族は薄汚い奴らだっ)
あわよくば自分たちがやろうとしていたことを実行され、フェルディナンドは歯ぎしりして悔しがった。
だが、そんなことをしている場合ではないと、敵軍から迫ってくる恐ろしいほどのプレッシャーが教えてくれた。
「逃げるぞ」
そう声をかけたところまでがフェルディナンドが見せた気遣いであった。
この日、魔族が支配する領域に侵攻した立憲君主王国軍五万は、同士討ちによる戦死者三百余名。
逃亡したまま行方不明になった者千七百余名、負傷者は数知れず、であった。
そして、フェルディナンドに捨てられた格好の陣地守備隊三万は、迫り来る魔族に恐れをなし、取りなした旧魔導王国のニンゲンを信じて、全員捕虜となった。
なお魔族の追撃で死亡した者は、フェルディナンド王を逃がすために犠牲になった、ダン将軍だけであると伝わっている。




