第5話 辺境伯の焦り
曽祖父が言う通り、東に位置する人間たちは、互いに血で血を洗う戦争に明け暮れていた。
だが誰も、小規模な小競り合いを除けば、決して本格的に西辺境伯領へは手を出してこなかった。
その理由は簡単だ。
西辺境伯の西部国境の先には、広大で豊かだが……強力な魔族が住む領域が広がっているのだ。
もしどこかの国が西辺境伯領を滅ぼしてしまったら?
いつか予想される魔族の侵攻を、その国が一手に引き受けなければならない。
少なくとも周辺国、他の辺境伯領は求めるだろう。
そこまでして、辺境伯領を手に入れたいと思う国はなかった。
これまでは。
実際問題、数百年間、大々的な魔族の侵略は行われてきていない。
だがこれまでなかったからこれからもない、と断言して油断するには、魔族は強すぎるのだ。
アールヴは閉鎖的な性質から公に報告をしていないが、獣人とダークエルフは毎年、誤って領内に侵入したはぐれ魔族の討伐実績を列国会議に報告している。
魔力でヒューマン最強とたたえられるアールヴの亜種であるダークエルフでさえも、一匹のはぐれ魔族を討伐するのに数十人単位で軍を動かし、少なくない割合で犠牲を払っている。
いわんや、ヒューマン最弱と目される獣人では、歴史上、数百人の討伐軍が半壊、あるいは全滅寸前まで追いこまれたこともあると伝わっている。
そんな割りに合わない仕事を、率先して引き受けようという物好きはいない。
国内は安定。東の国境は攻められる心配がない。
南北の国境は魔族の侵攻に対して共同で対処する同盟相手。
西の国境は監視の手を緩めてはいけないが、数百年大きな戦争もない。
これで国民からの支持がないなら、よほどの暗君だ。
幸いなことに、イミュートは族長の息子として人の上に立つ教育を受けてきたし、これまでの辺境伯と異なって種族に関わらずに有能な人材を採用し、国内を安定させ、発展させた。
辺境伯を輩出した種族が人事面で大きく利を得るという悪しき伝統を変革したことで犬族からは不満も出たが、イミュート自身が権力を手にらつ腕を振るう質ではないため、次第に反発の声も収まっていった。
このまま大禍なく治世をまっとうできれば、名君とは言えないまでも、歴史に名を残す暗君とはならずに済んだだろう。
だが、平和は長く続いてくれなかった。
西の国境に魔族の偵察部隊が現れ、本格的に行動し始めたとの報告を受け、領内に緊張が走る。
動揺して右往左往する周囲の獣人たちを叱りつけて落ちつかせ、イミュートはマニュアル通りに南北の同盟者に助けを求めた。
しかし……。
「……申し上げます。アールヴ辺境伯は、宗教儀式の準備があり、すぐには援軍を出せないと」
「なんだと!」
獣人の誰もが予想しなかった返答に、国内は若干パニックに陥った。
なんとかイミュートが落ちつかせることに成功するしたものの、続くダークエルフの返答を聞いて、イミュートの努力の甲斐なく国内は大きく動揺した。
「まさか、ダークエルフまで援軍を断るとは……」
アールヴとは、軍事を除けば仲の悪いダークエルフが同調するとは予想もしていなかった。
一応、理由としては族長の疾病と、筋は通っているが、これが偶然だと思う者はバカがつくお人好しだろう。
「救いは、東の魔導王国だけか」
西辺境伯領が滅べば、魔導王国が魔族の脅威に晒される。
とはいえ、一応援軍は出してもらえたが、総勢二千と謳われる魔導軍のうち百人だけ。
虎の子の魔導兵士は千騎もいるのにゼロで、捨て石にされたかっこうだ。
「絶望的な戦力差ですな」
イミュートが幼い頃、剣術の稽古をつけてくれた犬族の将軍と内密の打ち合わせで、ため息とともにつぶやかれる。
まったくもってその通りだ。
魔族はヒューマン相手なら、子供でも互角以上に戦えると言われるほど魔力量が飛び抜けている。
逆に、獣人はヒューマン最弱とバカにされる始末だ。
同じように魔力がとぼしいドワーフと違い、肉体的な頑強さといった戦いに優位な性質もない。
「勝機はあると思うか?」
「あるとお思いで?」
周りを悲観させないよう、小声で打ち合わせる。
どう考えても、まともに戦って勝てる相手ではない。
「守りを固めて、持久戦に持ちこむ……その間に列国会議を緊急招集して援軍を出してもらうしか……ないな」
「それが唯一の現実的な戦い方でしょうな」
気分がどんよりしてくるが、イミュートが暗い顔をしていると全軍の士気にかかわる。
全体の会議では明るい笑顔を見せなくては。
「……大丈夫だ。みな、忘れたのか? 我々には守神がある」
再開した会議の冒頭、イミュートが呼びかけるとうつむいていた者たちの顔が上がる。
「数百年前のダイロトの勝利に貢献した、魔導障壁。動作確認はしてあるな?」
「はいっ!」
暗いムードだった会議室が、一瞬で華やいだように明るくなる。
「魔導障壁があるから余裕だな」
防衛ラインとの連携や兵站などを確認して会議を終えると、出席者が軽口をたたいているのが背中越しに聞こえた。
明日はもう出陣だ。
獣人はあまり深くモノを考えられない性質を持っている。
楽観的な時はいいが、悲観しだすと手が付けられない。
そして、楽観的な時も危険はひそんでいる。
「ちょっとしたピクニックだな。魔族なんて、見たことないから楽しみだ」
つい数時間前までの絶望感はどこに行ったのか問いたい。問い詰めたい。小一時間ほど問い詰めたいくらい、一気に楽勝モードに切り替わり、みな、あっけらかんと笑っている。
(本当に大丈夫か……失敗したら、国もなくなり、妻子の安全もおびやかされるんだぞ……)
イミュートは頭をかかえたくなる。
「あなた、大丈夫よね?」
会議のあと、しばらく会えない埋め合わせに自室に戻る。
先ほどまでの悲観論をまだ引きずっているのだろう。
恵子が甘えたように身体を寄せてきた。
この辺りは、前の人生が影響しているのか、鉄太も恵子も、他の獣人たちのようにジェットコースターに似た感情の振れ幅はない。
「お父様、大丈夫ですか? 顔色が悪いです」
二人の娘も身体を寄り添わせてくる。
「サトミ、ティナ。大丈夫だ。心配をかけるな」
鉄太の血を濃く引いて犬耳を持つサトミと、妻の遺伝的影響の大きい猫耳娘なティナも抱きしめる。
妻はもちろん、彼女が産んでくれた愛しい娘たちを守るためにも、絶対に負けられない。
「……大丈夫だよ。魔導障壁は、数百年間、獣人を守ってきてくれた。今度も大丈夫さ」
「……ウソ。自信、なさそう」
努めて明るく言うが、微妙に声が震えてしまったのを聞きとがめられた。
「お父様、不安に思っていることがあるなら、ティナが聞きます」
犬族のイミュートのあとを嫡子とはいえ同じ犬族が継げばバランスが崩れると、長女のサトミは辺境伯の地位に興味がない。
反対に猫族のティナは自分こそが次代の辺境伯だと政治に関心をもち、鉄太から話を聞きたがった。
こんな非常事態でもいつもどおりの娘たちと話せて、鉄太はまた少しだけ落ち着きを取りもどすことができた。
「数百年間、侵攻しようとするたびに魔導障壁にはばまれ続けた。それは魔族だってもちろん知ってるはず。なのに、本当に力攻めなんてしてくるかな……」
不安が心の底の方で渦を巻いている。
だが、考えても仕方がない。
「ごめん。初めての戦争だから、不安になったみたいだ。もう大丈夫だよ」
不安を吐露すれば、当然のように妻も娘たちにも不安が伝染する。
『ひぃじいちゃんが言ってた、戦争の危険が少ないところだから。大丈夫』
そう、鉄太は恵子に、そして自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「お父様……ご無事で戻ってきてください」
娘たちの言葉に、鉄太は力強くうなずいた。




