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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ナツ - 記憶喪失の囲われ人 - 修正

久しぶりに1話完結の短編を投稿します。

新型コロナで大変ですが、少しでも楽しんで頂ければと思います。

独りの時は空気すら、ひんやりとしている。

自分の存在を消すように私は与えられたベッドで寝ていた。

私はここに間借りしている人間で、ここの主ではない。

ここに居る理由は簡単で、私は彼女に選ばれたからだ。

半年前の嵐の日、私は道で倒れていた。

誰も私に気を留めず、そのまま放置されていたので彼女が私を助けてくれなかったら死んでいた。

彼女が私を助けたのはほんの親切心だったらしいけど途中から気が変わった。

お金も地位もある彼女は、身元がはっきりしない私に居場所を提供してくれた。

それがこのマンション。


そして、私は女性でありながら彼女に囲われることになったのである。



ピッ

電子音が微かに聞こえた。

その音に私は目を開ける。

眠りは浅い方なので物音がすれば私はすぐに起きる。

出迎えはいいわ――

いつもそう言われていたけど自発的に出迎えている。

最近は彼女を出迎えることが嬉しくなった、自分の感情の変化に戸惑いながらも慣れてゆく。

嵐の中倒れていた私は記憶を失っていた。

相変わらず自分が何者なのか思い出せない。

「おかえり」

部屋の電気が付いてこのマンションの主、美夜子さんが現れる。

「ただいま、起きなくて良かったのに」

スーツの上を脱ぎ、Yシャツ姿になる。

下のスカートは、きわどくスリットが入っていて目の毒だ。

「一応、主を出迎えないとね。何か飲む?」

「ビールをくれる?」

「いいよ、座って待っていて」

私は彼女の横を通ってキッチンに向かおうとした。

けれど、グッと手首を掴まれて引き止められる。

「―――――」

彼女に引き寄せられ、美夜子さんの唇が重なる。

しばらくそのままでいた。

拒否はしない。

私には拒否することは許されているけれど、拒否したことがない。

嫌だと思った事がないから。

数秒経って、唇がゆっくり離れる。

間近で見ても彼女は美人だ、見惚れてしまうくらい。

しかし、その美しさは鋭い刃のように恐ろしく感じる時もある。

「行って」

美夜子さんはそう言うと、近くのソファーに身を置いた。

私は瓶ビールとミネラルウォーターを取り出し、戻ってくる。

前者は美夜子さんで、後者は私。

「はい、ビール」

良く冷えている、持っているだけで手が冷たくなった。

「ありがとう、悪いわね」

「お世話になっていてもこんな事しか出来ないから」

パキッ

ペットボトルのキャップを外す。

寝ていたからか喉が渇いていた、この時間に彼女が帰って来て逆に助かったかもしれない。

美夜子さんもビールを開けて飲んだ。

この人は実に美味しそうに飲む。

ビールは苦いので私は飲まない、なのでビールのどこが美味しいのか分からない。

でも、彼女が美味しそうに飲むのを見ると美味しいのかな?と思わせる。

TV CMがきてもいいくらいだと思う。

「なに?」

飲んでいるところを私に見られているのが分かり、途中で聞いてきた。

「美味しそうに飲むなと思って」

「実際、美味しいのよ?」

「私には一生味わえないだろうけど、美味しいんだろうね」

「この美味しさが共有できないなんて寂しいわね」

ごくり。

ごくり。

部屋はひんやりとしていたけれど、ビールの瓶が結露する。

変わった趣味だと思うけれど、私はビール瓶の結露状態を見るのが好きだった。

あの、ガラスの周りに付く水滴と瓶と冷たさ。

なによりも水滴が流れ落ちる様は何とも言い難い。

とはいえ、フェチでは無いので言っておく。

「―――そんなに穴が開くように見られるのは恥ずかしいわ」

とても恥ずかしがっているようには見えない(苦笑)。

「ビール瓶の水滴を見ていたんだよ」

事実を述べる。

美夜子さんは飲み終わったビール瓶をテーブルに置いた。

「―――そこは、“わたし”って言うべきね」

嘘でも、と追加して笑う。

表情から見るに、気にはしていないようだ。

「お腹は空いてない?」

「大丈夫、少し食べてきたから」

「ほんとに?」

彼女は小食だ、まったく食べない時もある。

このスタイルをどうやって維持しているのか不思議なくらいだ。

「―――ほんとに。あと、シャワーも浴びてきたから」

美夜子さんはそう言うとふらりと立ち上がった。



ひんやりとした空気が肌に触れる。

暑いのが嫌いな私は寒い方がほどよく、好きな季節は冬だ。

美夜子さんは夏が好きだと言うから正反対。

でも、バリに連れて行ってもらった。

常夏で暑かったけど、それ以上に楽しかったのがいい思い出。

「ナツ」

彼女は夏が好きだから、名前を忘れた私を「ナツ」と名付けた。

最初、彼女の方から私を誘って来た。

その時、私にはなぜか戸惑いはなく普通なら、戸惑い、困惑、嫌悪などを抱くのだろうけれど美夜子さんはその、どの感情も抱かせず、むしろ私自身が彼女を欲した。

記憶が無いので自分がどういう類の人間なのかは分からない。

抵抗なく、同じ女性である美夜子さんを抱くことができたことは私のことを思い出す手掛かりになるかもしれない。

彼女も、私のことを誘いながらもそのことについては驚いていた。

慣れていたのだ。

女性を相手にすることに――――





「ちょっとキツイ」

「文句を言わないのよ」

私はいつも着ないスーツを着させられていた。

美夜子さんは私に女性ものではなく、男性的なものを着せる。

私は“その方が似合うから”らしい、倒錯的なものがいいのかな?と思う。

まあ、私も嫌いではないけれど。

でも、ネクタイをするとシャツの襟をきっちり締めるからキツイ。

慣れないし。

「慣れないと言いながら、意外と似合っているじゃない」

人ごみを一緒にかきわけながら美夜子さんは囁く。

身体と顔を寄せたのでふわりと彼女の付けている香水が薫った。

ここがパーティー会場でなかったら美夜子さんを引き寄せていたかもしれない。

それに、着ているイブニングドレスも私が視線のやり場をなくしてしまうほどにきわどい。

「どうも」

本日は、美夜子さんの付き添いで彼女の知り合いであるひとの銀座のジュエリーショップ開店のパーティーに参加している。

私は彼女の傍らにいる装飾のようなもの、彼女を魅力的に見せる演出のひとつ。

自分がそんな風に扱われても私は気にしない。

『そういう風に側に居て頂戴』と美夜子さんに言われた時も何の感情の変化もなかった。

だから、彼女に家に置いてもらっているという負い目からでもなく、自ら進んで言う通りにしている。

「ありがとう」

私はウエイターからカクテルを2つ受け取って、1つを美夜子さんに渡す。

「ありがとう、ナツ」

それを受け取ると一口飲む。

私は美夜子さんの顔、カクテルグラスに口を付けた口元、喉もとまでじっと眺めた。

時間にして数秒だったけど、私の視線に気づいたらしい。

「―――何?」

「なんでも」

首を振る。

見惚れていたとは言わない。

「そう、さてと。 することをして帰りましょうか」

そう言うと美夜子さんは表情を変えた。


美夜子さんは社長さんだ。

多角経営で色々な仕事を管理している、一つの事を経営するだけでも大変だと思うけれどそれがたくさんだと、単純な私にはスーパーウーマンだと思ってしまう。

以前、大変じゃない?と聞くと『全然』と即答された。

『面白いし、やりがいがあるわ。まあ・・・もうダメだと思ったら辞めるけど』とも言った。

私はオーナーやパーティーの招待客と和やかに話している美夜子さんの側にそっと居る。

目立つことの無いように。

あくまでも私は彼女の引き立てる付属品なのだ。

彼らは美夜子さんの美しさとその身体に目を奪われながら、横目で私を見る。

その目に映る姿は、彼女と一対かそれと同様レベルでないといけない。

「失礼ですが、こちらは?」

何人かと話したあと、勇気ある女性が(笑)美夜子さんに聞いた。

仕草も口調もいかにも上流階級のマダム、私とは程遠い世界に居るひとたち。

「ふふふ、何者に見えますかしら?」

美夜子さんはその問いに答えない。

「弟さん、ではないですわよね?」

「私に姉弟はいませんわ、最近気になったので側に置きはじめたの」

彼女の答えは普通なら眉をひそめるような言葉だったけれど、その女性は軽く頷いた。

「まあ、良くお似合いですわ」

「・・・・・」

どこかズレているのだろう、この界隈のひとたちは(苦笑)

詮索するのは無粋と、すっとぼけたのかもしれないし、天然なのかもしれない。

「ナツ、申し訳けないけど少し一人でいてくれるかしら」

何人かと話した後に突然、美夜子さんが言った。

「いいよ、ここには美味しいものがたくさんあるしね」

「すぐ戻って来るわ、おとなしく待っていて」

ひたっ

美夜子さんの右手のひらが私の左頬に触れる。

私はその言い方と、触れてくる仕草が好きだ。

これは外でも、マンションでも変わらなかった。

ここでも彼女の手を掴んで、引き寄せたい衝動に駆られたけれど何とか自分を抑える。

「待ってる」

美夜子さんは軽く手を振ると、また人ごみを掻き分けて行った。

テーブルにはたくさんの料理が並んでいる、豪華という言葉がぴったりに。

 どれから食べるかな―――

皿を手に持ち、和洋折衷、創作料理を目の前に箸を伸ばした。


「つかさ?」


背後から聞こえた。

まさか自分に掛けられた声だと思わなくて私は目的の料理を取る。


「つかさよね、どこに居たの?」


再び知らない名前を呼ばれたが、自分だとは思っていないので反応しなかった。

しかし、今度は肩を叩かれてすぐ側に来られたら、さすがに私のことだと分かる。

右側に私の肩に手を置いている若い女性が居た。

若いといっても20代後半、そんなには派手ではない印象。

「君は?」

記憶を無くしている私には彼女が誰であるか分からない、もちろん“つかさ”という名前にもピンとこなかった。

「――やだ、冗談はよしてよ、つかさ!」

彼女は笑ってバンバンと肩を叩く。

痛い・・・

「突然、お店からも六本木からも居なくなってびっくりしたんだから。もしかして新しい仕事先で仕事中なの?」

どうも彼女は私がつかさという人物に見えるようだ、もしかしたら自分はその“つかさ”なのかもしれない。

記憶がないだけにどちらにも当てはまってしまう。

「・・・ごめん、その“つかさ”という人ってどんな人なのかな?」

「えっ、つかさ・・・じゃないの?」

初めて女性は困惑し、慌てた。

「実は、私には記憶が無くて名前も分からないんだ・・・もしかしたらその“つかさ”なのかもしれないし、違うかもしれない―――」

「あなたは―――私の知っている“つかさ”にしか見えないわ・・・少し、変えてはいるけど・・・」

思わぬ事態に二人で困惑しながら向き合う。

片方は全く知らない、片方は知っているけど当人ではないかもしれないという状況。

「あ、ああ!スマホの写真、つかさと撮ってあるのもある!」

「写真?」

それはいい、自分が何者なのか分からないままというのは気持ちが悪いから。

「・・・ちなみにあなた、女性・・・よね」

伺うように言う。

「そうだよ、こんな格好しているけど」

美夜子さんの意向で。

「―――良かった、確率が高くなったわ」

どうやら“つかさ”という人物は女性のようだ。

が、疑問が湧く。

私がこんな格好をしているのに、目の前の彼女は私にあまり違和感を持っていないようだ。

おかしい。

「これ!つかさと撮ったやつよ、半年前に」

「半年前・・・」

美夜子さんに拾われた時期と重なる。

画面を見て私は息を飲んだ。

彼女と私が笑って写真を撮っている、いわゆるセルフィ。

革張りのソファーの上、照明は青や赤、テーブルの上にはお酒のビンとグラス、どこかのお店のようだった。

「確かに・・・私のように見える」

いや、私だ。

けれど、私なのに明確に私とは言えない。

はっきりとした証拠が無いのだ、頼るべく記憶が。

「本当に覚えていないの? つかさ」

「ごめん、自分が何者なのかも分からない・・・身分が分かるものを持っていなかったんだ」

「絶対に、あなたはつかさよ。間違いない」

顔が似ているだけで違うかもしれない。

「どうしてそう、言い切れるのかな?」

「これよ」

彼女はいきなり私の左手を持ち上げた。

手の甲に斜めに深い傷がある。

「・・・これ?」

「そう、あなたはこれを小学生の時に傷を負ったって言っていたわ」

今は治癒しているけれどひどい傷だ、人に見せてもいい気分にはさせない。

いつも隠していた。

それなのに目の前の彼女は、さもあるだろうという風に私の手を取ったのだ。

それが、私が“つかさ”である証拠のように。

「私は何者なのかな? 君は・・・」

「マキよ、私は。あなたの常連だった」

「常連?」

確か彼女は店からも六本木からも居なくなったと言っていた。

お店に勤めていて、六本木に住んでいたのか。

彼女はごそごそと持っていたバックを探り、名刺入れを取り出した。

「これ、あなたの勤めていたお店の」

貰った名刺には、店の名前と電話番号しか書いてない。

何の店なのかも分からなかった。

「これは・・・なんの店なの?」

「・・・本当に覚えていないのね」

彼女は悲しそうな表情で言った。

「ごめん、全然記憶が無くて―――」

「つかさ、今どうしているの? 記憶が無いんでしょう?」

話が変わる。

「――人の世話になっている、記憶喪失の私を引き取ってくれたんだ」

「引き取ってくれたの? 記憶をなくしたあなたを?」

信じられないというような表情。

確かに、私がどんな人間か分からないのに引き取るのは普通に不自然だ。

「警察には行ったの? 」

「い、や―――行ってない、考えつかなかった」

記憶を失う前の自分の生活を。

「行かなきゃダメよ、あなたは“つかさ”でしょう?」

「・・・うん、行くよ。それより、この名刺とその画像を送ってくれないかな?」

「えっ、あ、うん、いいわ」

彼女が私のスマホに画像を送ってくれた、これで調べることが出来る。

「ありがとう、助かったよ」

離れようとすると、スーツの袖を掴まれた。

「つかさ、戻って来る?」

「・・・どうかな、記憶を取り戻せていないから。とりあえず自分が何者なのかは分かって良かったよ」

にっこり笑って私は彼女の手に自分の手を重ねて、彼女の頬にキスをした。

「―――――!」

頬に唇が触れると彼女の身体がびくりと反応する、その反応に私は自分が何をしたのかわかった。

「ご・・・めん、私は何を――――」

自分でもびっくりした。

無意識の行動。

そんなことは美夜子さんにしかしていない。

彼女は女性なのに。

美夜子さんのパターンには当てはまらない。

「―――やっぱり、あなたは“つかさ”なんだわ」

彼女は確信を持ったように言った、顔を少し赤らめながら。

私は何か言おうとしたけれど、自分がしてしまったことに頭が混乱してしまって何も言えなかった。


「ナツ」


そんな時に、人々の声に混じって美夜子さんの声がはっきり聞こえた。

「美夜子さん」

私はなぜかホッとして声のした方を見た。

「どうしたの?」

隣の彼女が怪訝な表情をして私を見る。

「ナツ?」

少し、まずい展開になった。

「何でもないよ、用事は終わった?」

「ええ、終わったわ・・・そちらはまだ取り込み中かしら?」

声や見た目から、感情の変化は見られない。

美夜子さんはそこら辺が大人で、私が困らない対応をしてくれた。

「こっちも終わったよ」

だらか、私も慌てないで冷静に隣に居る彼女への対応が出来る。

「情報をありがとう、じゃあ私はこれで」

彼女に何も言わせないように、無言の圧をかけて言った。

よほど鈍感でなければ感じるだろう、その圧が。

現に何か言おうとしたみたいだけど結局何も言わずに私を見送った。



「随分、楽しそうに話していたわね」

呼んだタクシーに乗り込んでしばらく走らせてから美夜子さんが言った。

「焼きもち? だったら嬉しいな」

「そんなわけないでしょう」

無下に否定される。

少し傷ついたかも(苦笑)

「彼女、私を知っていたよ」

美夜子さんがどう反応するのか気にしながら今度は私が言った。

「――― ナツのことを?」

私は前を向いたまま、頷く。

「“ナツ”って名前、結構気に入っているんだけどな」

「知り合いだったの?」

「・・・知り合いだったというのは私には分からないよ、記憶が無いんだからね」

正直に言う。

画像と名刺はあるけど、暫定的で決定的ではない。

「―――何を知ったの?」

初めて微かな動揺を美夜子さんから感じた。

「私の名前が“つかさ”で、お店に勤めていて、六本木に住んでいたらしい」

名刺を目の前に差し出す。

「これ―――・・・」

受け取った名刺を見て、美夜子さんがつぶやく。

「知ってるの?」

私は彼女を見た。

「なるほどね」

美夜子さんは納得したようにそう言うと、深々とシートにもたれた。

「なるほどって? 私が分かってないよ」

「今日は私だけじゃなくて、あなたにも収穫はあったようだわ」

名刺を返される。

「・・・実感が湧かないよ、いきなり知らない名前で言われても」

「記憶はまだ戻らない?」

「戻っていたら、ここには居ないよ」

最初の頃は、記憶を取り戻したかった。

自分が何者か知らないまま、生活することが不安で恐かった。

しかし、美夜子さんに“ナツ”と名前を与えられて生活を始めるとその不安が薄れて行った。

今では不安など微塵もなく、生活できている。

「記憶が戻ったら・・・」

「戻ったら?」

「―――何でもないわ」

美夜子さんは言葉を途中で引っ込めた。

私には引っ込めた言葉を引き出すことは出来ない。

その後は、何となく気まずい雰囲気になり私たちはマンションまで無言だった。



しばらくの間、美夜子さんからも私からも求めることがなかった。

その気になっても、何かしらの見えない壁が圧となって互いが干渉するのを避けたような気がする。

それはあのパーティーの日からだ。

美夜子さんがあの名刺を見た時の声と表情―――何か知っている、と思った。

私のことは知らなくても、あの名刺に書いてある店は知っているのだ。

でも、それを彼女は私に言わなかった。

その店がどんな店であることも。

私はあとで調べてみた、するとその店は実体のないネット上の店だった。

名刺の電話番号に連絡すれば店に繋がり、人が派遣されて来るという―――

そして、この名刺を貰えるのは限られた客のみ。

人の派遣、限られた客のみ。これだけそろっていれば普通の仕事ではないと私にも分かる、違法であることは間違い無い。

私はそこに勤めていたのだ、派遣される側として。

記憶を失った上に、半年も経ってからそんなことが分かって軽くショックを受けた。

基本、感情の起伏は少ない方なので私は内心を外に出さない。

多分、美夜子さんも私の心中は分からないだろう。

記憶を無くしたままだけど、私は今の生活が気に入っていた。

はたから見たらヒモみたいな生活だけれど。


「ナツ」

久しぶりに美夜子さんが声をかけて来た。

毎晩、一緒にいるけれどあのパーティーの日以来、その肌に触れることは無かった。

日々の生活でも、である。

お互いに何か隠しているような距離感で、気まずさが混同している。

「いつ、声をかけてくれるかって・・・待っていたよ」

「ずっと声をかけたかったのだけど―――」

「―――かけたかったけど?」

リビングのソファーの上で向かい合って座る。

「自分が知っていることを私に話せなくて、心苦しかった?」

私を見る美夜子さん。

「・・・思いだしたの?」

「まだ、全然。ショックの方が大きいかな、自分が何者なのか知りたくなくなったよ」

顔を近づけて、口づけた。

彼女が欲しい気持ちがあったけれどなんとか抑え込む。

軽いキスをして美夜子さんの出方を伺う。

「知らない方がいい――――」

腕が伸びて来て、私の首を引き寄せた。

「どうして? 美夜子さんは、私のことを何か知っているの?」

「知ったら・・・ナツは・・・」

「知ったら、なに? 私は美夜子さんのことが好きだよ」

「・・・知っているわ」

「ナツでいい、“つかさ”なんて知らない名前で呼ばれたくない」

「ナツ・・・・」

美夜子さんは無理な体勢で私に顔を向けてくる。

「でも・・・ずっと名無しではいけないわ・・・」

「私は誰なのかな、美夜子さんは知っているの?」

その問いには答えずに、私から身体を離そうとする。

「大丈夫よ、離れないから」

子供のようにしがみつこうとする私に苦笑しながら言った。



「知っている、と言ってもあなたと話したことはないわ」

美夜子さんはソファーで私に膝枕をしてくれながら話してくれる。

私が望んだことだ。

「話したことがないの?」

「ええ、私はあのお店を利用したことはないの」

意外だった、知っていそうな顔をしていたから。

「でも、あなたはあのお店では売上トップでその界隈では有名だった」

「利用したことがないのに、知っていたの?」

「・・・私の友達に勧められたことがあるからよ、でも私が知っていたのはほんの噂程度」

「だから、初めて美夜子さんに誘われた時に慣れていたんだ――――」

やっと納得がいった。

そういう職業をしていたから、身体が覚えていたのだ。

「顔は知っていたからびっくりしたわ、あなたを見つけて」

髪を撫でられる、猫のように。

気持ちが良くて目を細めた。

「なんでその時、警察に届けなかったの?」

軽い気持ちで聞いた。

「―――あの時の私はどうかしていたのよ、魔が差したのね」

「魔?」

あまりにも声が小さくなったから顔を上げて美夜子さんを見た。

「あなたを帰したくなかったの」

「美夜子さん」

「話したことはなかったけど見たことはあったわ、それからずっと私にはあなたが気になっていた――――」

「チャンスだと?」

「・・・最低でしょう、私」

彼女は力なく顔をゆがめた。

そんな表情は見たくない。

「でも、私に名前をくれたし、ちゃんと私を尊重してくれたよ」

監禁して、自由を奪ったわけじゃない。

記憶の無い私を個人として接してくれ、不安で恐怖しかなかった私を安心させてくれたのだ。

感謝こそすれ、軽蔑するはずもない。

「ナツ・・・」

「美夜子さんがいいなら、私は側に居たい」

身体を起こした。

こんな居心地のいいところはない、場所ではなく心が落ち着く所。

「私がつかさという名前でも、ナツって呼んで欲しい」

「こんな私でもいいの?」

「らしくないよ、私の知っている美夜子さんはもっと凛々しくて大人の女性で、強くて私は尊敬しているから好きなのに」

自分で何を言っているのか分からなかったけれど、言いたいことを伝える。

「・・・ありがとう、ナツ」

「記憶が戻らない方がいい、このままずっと」

私は美夜子さんの身体を抱きしめる。

「とりあえず、身分だけは確認しないといけないわ。色々な書類手続きも」

「うん」

「それは、私がやるからあなたは側に居るだけでいいわ」

「うん、ずっと居ていいんだね」

彼女の元から離れることが今は恐怖でしかない。

こんなに好きで、愛しているのに。

私がナツではなく、つかさという人物に戻ることが理想だけれどそれが今の私の幸せかというと分からない。

“つかさ”には悪いけれど、私はナツという名で美夜子さんの隣で一緒に生きたいと願っているのだ。

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