『聖女様』の務め
◇ ◇ ◇
「ルシオン。起きてください、ルシオン」
その日、俺は珍しく他人に起こされるという経験をした。
俺が寝坊したんじゃねえ。ルミナリエが早過ぎるんだ。
「どうした、敵襲か?」
仮に敵襲だったとして、俺にどうにかできるとは思えねえが、つい反射的に飛び起きて構えを取る。
油断なく辺りを見回したところで、怒った様な顔で俺のことを睨んでいるルミナリエの姿が目に映った。
「敵襲であるはずありません。ここの騎士団は優秀ですから。そうではなく、私はこれから役目を全うしに行かなければならないので、一応、事前に伝えておこうと思ったまでです」
役目?
それは『第一王女』としての役目か? それとも『聖女』としての?
「もちろん『聖女』としてです。今日は『お披露目』の日ですから」
お披露目ってなんだ? と思ったが、そういえばこっちに呼ばれた日に説明を受けていたな、とおぼろげな記憶が甦る。
たしか、この神聖ヴァルブリング魔法王国の人間は『聖女』と呼ばれる存在の姿を見ることで魔法と呼ばれている力を使える――あるいは魔力を得られる――ようになるんだっけか?
そりゃどんな理屈だ、と思わないでもねえが、そういうもんなんだからそうだと納得するしかねえ。なんで引力があるのか、とかそのレベルの話だろう。
「そういうわけですから、ルシオン。クローゼットの中から真っ白なフードのついた服を取ってください」
その服はすぐに発見することができた。
ルミナリエの部屋のクローゼットには、色の様々なたくさんのドレスが収納されていたんだが、それだけは不思議と躊躇いなく、まるで今日という日を待ち望んでいたかのように、スっと俺の手の中に飛び込んできたように思えた。
何となく、キラキラと輝いて見える気がする。
「これは、特注品なんです。魔力を編み込んだドレスで、気休め程度ではありますが、敵意や害意から装着者を守る効果があります」
「敵意から守るって、この部屋の中のどこで狙われるってんだよ」
この城の警備は、この国で最も厳重で、そもそもルミナリエを害そうとするやつはこの国にはいないんじゃなかったのか?
ルミナリエは落ち着いた口調で。
「室内で襲われる可能性があるわけではありません。屋外で近距離よりも遠いところにいる、たとえば狙撃主だったりすればあるいは……まあ、今はその話はしなくて良いでしょう。それで、ルシオン。あなたは『聖女』がどういうものか覚えていますか?」
「ああ、もちろんだ。このヴァンブリグ魔法王国の心臓、むしろそのものともいうべき存在で、この国の人間だと思っている人間には、見るだけで魔法が使えるようになるというすげえ力まで持ってる、いや、持たされてるやつのことだろ」
ルミナリエは「まあ、ほとんど正解です」と淡々とした感じでつぶやき。
「つまり『聖女』による最も重要なお務めというのは、国民の前にこの姿を晒すということです。あなたにはその時にすぐそばにいて欲しいのです」
「はあ」
つい間の抜けた返事をしてしまう。
別にそりゃ構わないんだが、俺がいたって何ができるわけじゃねえぞ。
国王と王妃が警備を手配してねえはずはないし、お城の騎士より俺の方が役に立つとも思えねえ。つうか、むしろ足手まといになる可能性すらある。
国民だって、大事な姫様の隣に見ず知らずの男が立っているのは面白くないんじゃねえのか?
「……そのようなことはありませんよ。これは、いわば、ただのお仕事ですから。周囲にももちろん警護の人員が付いています。その中のひとりだと思われれば特に問題はないでしょう」
「警護が付くなら俺は必要ないんじゃねえのか?」
俺も小さい頃から武術を嗜んではいるが、本職の護衛に就くような騎士団に敵うはずはないだろう。もちろん、絶対ってことはないだろうが、大抵はそうだ。
俺はそう思ったんだが、ルミナリエは不満そうな顔をして。
「あなたは私の暇つぶし相手なのですから、私の傍にいないといけないんです」
「暇つぶしって……まあ、その通りだけど、それは『聖女』としての大切な任務なんじゃなかったか? 暇つぶしとか言ってていいのか?」
国民全員にどうすれば見せられるのか。
あるいは、今日のために国全体からこの城の近くまで集まってきているとでも?
「その通りです。もちろん、そのために費用やら、時間やら、かかるものはかかりますが、それでも十分過ぎるおつりがくるほど、魔法という力の恩恵は大きいということです」
へえ。
まあ、たしかに見せて貰ったやつだと、何もないところから火を出していたからな。
この『聖女』というシステムと『魔法』なんてものが存在する世界で人類がどんなふうに進化してきたのかは知らねえが、現代風に言えば、質量保存則だとか、エネルギー保存則だとか、その辺のなんかに色々と引っかかることだろう。詳しくねえからよくわからねえが。
「……そんなことは今はいいでしょう。それより、傍にいてくれないのですか?」
いや、まあ、こんな風に頼まれたら断れねえっつうか。
「それとも、これはあなたの仕事ですから、傍についていなさいと、そう言った方が良いでしょうか?」
「いや、良いぜ。わかったよ」
ルミナリエは一瞬笑みを浮かべそうになり、慌ててその頬を引き締め直していた。
「そうですか。では――」
「ルミナリエは寂しがりだったもんな。何なら手でも握っててやろうか?」
クティスも――ファルは今もだけど――小さい頃は「お兄ちゃん、お兄ちゃん」とよく懐いて来たもんだ。
最近は大人ぶって――大人びてきていて、そんな風になる事もなくなって、寂し……くないこともないが一種の感慨みたいなものはあるからな。
俺はルミナリエに手を差し出し。
「それでは、参りましょうか、姫様」
芝居掛けた様子で膝をついて礼を取った。
「なっ……なっ……」
しかし、いくら待ってもルミナリエは俺の手を取ろうとはせず、俯いたまま小刻みに肩を震わせていた。
やっぱり、姫様ってのが良くなかったか。
最初に『姫様』とか『聖女様』じゃなくて『ルミナリエ』と呼んでくれって頼まれているからな。
「……ルシオンの馬鹿」
「何だよ。ちょっとした冗談じゃねか。いや、悪かったよ、ルミナリエ。今度からはしっかり名前を呼ぶからよ。機嫌を直してくれよ、ルミナリエ。それとも、そんなぶー垂れた顔で皆の前に出るつもりか? そりゃあんまり上策とは言えねえと思うぞ、ルミナリエ」
たくさん名前を呼んだのに一向にルミナリエの怒りは留まることを知らない。
いまだに耳を真っ赤に染めたまま、肩がプルプルと震えている。
「おい、ルミナリエ――」
「もう! 今は少し静かにしてください!」
そう言い切ると、ルミナリエは部屋を横切り、外へと向かってしまう。
まだ右も左もまともに把握してねえ俺は迷わねえようにと、慌ててルミナリエの後ろに追いつく。今度、しっかりとこの建物、それから、城の方も一応、確かめておく必要があるだろうな。
とりあえず、ルミナリエの興味が尽きるまでは、ここで過ごすことになりそうだし。
「それなら、私が案内しましょうか? ここはもちろん、お城の方もつい先日まで過ごしていましたから」
「マジか。助かる」
全く知らない土地をひとりで探索するってのも、時と場合に寄っちゃあ面白いかもしれねえが、今回は案内がいてくれるってのは助かるな。一応、国王一家と顔合わせはしたとはいえ、もしかしたら、他の俺のことを知らない誰かに曲者と間違われるとか、問題が起こるかもしれねえからな。