聖女様への想い 2
不用心なことに、鍵はかかっていなかった。
まあ、お城の警備は厳重みたいだし、そもそもこの国にいる人間で『聖女様』を害そうとする、害そうと思うやつなんていやしないだろうから、問題ないといえば問題ないんだが。
ルミナリエが何をしているのか不明だったため、そっと、音をたてないようにしてドアを開ける。
灯りはついておらず、カーテンを全開にした窓から日の光が差し込むだけで、それでも十分に部屋の中を見渡すことができる。
その中で、屋根のついた大きなベッドの上に座ったルミナリエは、頭から毛布をかぶって本をパラパラとめくっていた。
「おい、ルミナリエ」
おおよそ『姫様』に対してとる態度じゃないようには思えたが、そんな場合の作法なんか知らねえし、なんとなく、今はこういう風に声をかけた方が良い気がしていた。
「お前の家族と話してきたけどよ。皆、お前のことを気にかけてたぞ」
ページをめくる指がぴくりと止まる。
しかし、すぐに再開されて。
「そうですか」
という短い返答だけが聞こえてきた。
「え? あれ? おい、それだけか?」
あまりにも短い返答しかなかったことで、俺は拍子抜けしてしまう。
ルミナリエは家族にすら滅多やたらに顔を合わせられなくて寂しいと思ってたんじゃねえのか? それともあれは俺の勘違い、思い込みだったのか?
「そもそも、私は寂しかったなどと口にしてはいません。これが『聖女』としての役目だと理解していますし、それ以外の余計な感情は入り込む余地などありませんから」
「昨日も思ったけどよ、それは、お前が寂しくなかったってことの反論にはなってねえだろ」
歴代の『聖女』ってのがどんな奴らだったのかは知らねえが、ルミナリエはまだ子供で、親の愛情を欲しがる歳だろう。
特定の誰かに『聖女』が近すぎちゃいけないってところまでは、まあ、気に入るわけじゃねえけど、納得はしよう。
けどそれは、ルミナリエが――『聖女』が他人の愛を求めちゃいけないってこととイコールじゃねえだろ。
「……ルシオン。あなたは見かけによらずロマンチストですね。よくもまあ『愛』だなんだとそんなに小恥ずかしいことをさらりと口に出せるものです」
「何と言ってくれようと結構だ。それより、否定する言葉が聞こえなかったのは、図星だったと考えていいんだな?」
ルミナリエは顔をあげ、氷柱のような視線をぶつけてくる。
ようやく俺の方を向きやがったな、この素直じゃねえお姫様は。
「そんなこと――」
「いいや、そんなことあるね。昨日も言ったと思うが、証拠は俺だ」
国王と王妃は、ルミナリエが俺を連れて来たことに大層驚いている様子だった。
恒例行事なら、こんな風に驚いたりはしねえはずだ。ましてや、ルミナリエが『聖女』の任に就いたのは約1年前。
ルミナリエが9歳だってことを考えれば、あのふたりがそれ以前の『聖女』と顔を合わせてねえってことはねえだろう。この国と、それから『聖女』の役割上。
「他の『聖女』には、俺みたいに特定の誰かが傍についているということはなかった。それは他の誰かが傍に就くわけにはいかなかったからだが、そこでお前は考えたわけだ。この国の奴じゃない人間ならば問題ないんじゃねえのかってな」
俺はもちろん魔法なんて使わねえし、使えねえ。今までの人生でそんなものは空想上のものだったわけだし。
「だから、俺なら『聖女』というフィルターを完全に無視して、ルミナリエ・シェスタローゼって人間そのものを見てくれると思ったんじゃねえのか?」
完全に憶測だし、我ながら押し付けがましいとも思うが、ここは勢いで押し切る。
それに、まったく的外れだとは思えねえしな。
「自惚れが過ぎますね。それに、そんなあなたの憶測だけでは、証拠とは呼べないでしょう。単に試したことのない魔法の効果を実験したかっただけです。勝手に巻き込んだというだけで、それは迷惑をかけたと理解していますが、別に助けを求めていたわけではありません」
「ちなみに、証拠はねえが、根拠ならまだある」
溜息をついていたルミナリエの肩がまたびくりと跳ねる。
気付いているのか、そうじゃねえのか、まあ、どっちにしても結果は変わらねえんだけどな。
「お前が俺をこっちの世界に呼んだときの文言を覚えてるか?」
ルミナリエは反応を見せず、まだ判断はつきかねていた。
俺はあの時足元に浮かんだ言葉を思い出す。
「『助けてくださる気があるのなら、そこを踏んでください』俺の足元にはたしかにそう浮かび上がってきていたぜ。それに、初めて会った時にお前は『……本当に応えてくださる方がいるとは思いませんでした』とそう言ったよな?」
助けてくださる気があるのなら。
こんなの、助けを欲しがっている人間じゃなけりゃあ言葉にしたりはしねえだろう。
それも、わざわざ世界を飛ばしてまでメッセージを送って来たんだぜ。余程強い気持ちがあったんじゃねえのか?
「……私は『聖女』です。特定個人に強い想いを抱くことはできません。私ではなく、その人に迷惑がかかることになりますから」
「そんなことは聞いてねえ。俺が聞いてんのは『聖女』とか『第一王女』とかの意見じゃなく、ルミナリエ、お前個人の気持ちだよ」
武術を習ってはいても、姫様に対する正しい作法までを教えて貰っているわけじゃねえ。
そんなの現代において使う場面なんてねえからな。
事と次第によれば、これは不敬罪で死罪とかにもなる案件なのかもしれねえ。
けど、そんなことは関係なく、俺は、俺自身の心のままにベッドの縁で膝をついて姫様――ルミナリエと視線を合わせた。
「たしかにこんなことになるとは想像しちゃあいなかった。けど、俺が助けを求めるお前の言葉に突き動かされたのは事実だ。ああ、その通りだよ。たしかに、あのメッセージを送ってきたのはお前だが、それに応えると決めたのは俺自身の決断だ」
俺は元々魔法が使えるわけじゃねえから、魔法が使えなくなると困る、みたいな打算なんて入り込む余地はねえ。
相手が王女様だと知っていたわけでもねえし、そもそも神聖ヴァルブリグ魔法王国なんて聞いたことすらなかった。世界地図にも載ってねえしな。載ってるわけもねえが。
「だからよ。たしかに黙っていなくなっちまったことは家族に悪いと思ってる。なんの言い訳もできねえ。家族に確認してから、そうでなくとも、せめてひと言メッセージを送ってからにすれば良かったと、後悔してる。けど、それは、ここへ来たことに対してじゃねえ。理由を知る前から、理由を知った後にはもっと、ただの、寂しがりのお姫様――お、女の子の、力になりてえと思ってる」
普段口にしねえ言葉を口にすると、なんだかこう、顔っつうか、喉の辺りがむずむずしてくるが、今はそんなことを言ってる場合じゃねえ。
まあ、妙にこっ恥ずかしくて、つい早口にはなっちまったが。
「……ルシオン。あなたは『女の子』と口にするのが、なんというか、その、言い辛いのですが、似合っていませんね」
「……言い辛いんなら口に出すんじゃねえよ」
やっぱ、慣れねえことはするもんじゃねえ。
俺が他所を向くと、小さく、笑うような声――いや、音が漏れ聞こえてきた。
「ルシオン。あなた――どうかしましたか?」
俺が呆けているのが気になったのか、ルミナリエは言葉を中断して、俺の顔を覗き込むように、顔を近づけてくる。
「いや。ただ、お前も笑ったりするんだな。そっちの方が可愛いと思うぞ」
「なっ……」
ファルとかがぐずったときなんかによく使う手だったんだが、なんだかルミナリエの様子がおかしくねえか?
急に顔を紅くするし、風邪でもひいたのか?
直前の言葉を翻すようで悪いが『聖女様』が風邪ひくってのはまずいんじゃねえのか?
「おい、大丈夫か?」
一応、額に手を当てて熱を測ってみるが、たしかに少し熱い気はしたが、そこまで体調が悪そうってわけでもなさそうだな。
「な……な、にを」
「いや、風邪でもひいたのかなと……あ、おい、ルミナリエ!」
俺は真面目に心配したってのに、ルミナリエは「もういいですっ!」とかってベッドで布団に包まっちまった。
まあ、それだけ叫べる元気が出たんなら大丈夫だな。
俺は仕事を全うするべく、読みかけのまま放置された、おそらくこれ以上捲られることはねえだろう――少なくとも今日は――本を手に取って、本棚の方へと向かった。