『聖女様』の説明
とまあ、思い出したところで、何か変わったりするわけじゃねえ。
むしろ、今の俺の身に起きている事象が現実の出来事なんだと、より実感させられているわけだが。
「あー、えーっと、その、ルミナリエ姫?」
尋ねたいことが山のようにあり、どれから尋ねたものかと、うまく言葉にできねえ。
魔法王国ってのはなんだ。
どこにある国なんだ。
そもそも魔法ってどういう意味だ。
何で俺の前にあの文字は現れたんだ。
そういった山ほどの質問を口にする前に、その氷細工の人形のような美貌のお姫様は、くるりと俺に背中を向けて。
「夜は冷えますから、話の続きは中でしましょう。ついて来てください、ルシオン」
そう言ったきり、扉の方へ歩いていってしまう。
ここでついて行かなきゃまずいだろうとは分かっていたが、とりあえず俺は辺りを見回した。
どうやらここはかなり高い場所にある建物らしいが、星と月の明かりだけが照らしている中では、ほとんど真っ暗なこの世界の、あるいはこの街の全容を見渡すことはできなかった。
俺はどこに連れてこられちまったんだと、まるっきり落ち着かねえ。
「早くしてください。鍵がかけられませんから」
扉の方からあのお姫様の声が聞こえてきて、俺は慌てて、速足でその場を後にする。ルミナリエ姫が鍵をかけた後、最後に振り返って扉に開けられた小さな窓から確認してはみたが、やはり他には誰の影も見当たらなかった。
そこから続いている螺旋階段を、小さな背中に揺れる銀の髪を見ながら降りてゆくと、広々とした部屋にたどり着いた。
ベッドや暖炉、クローゼットはもちろん、机にキッチン、果てはおそらく、風呂場みたいなものまで備え付けられていて、高級ホテルのスイートよりも豪勢な作りだった。もちろん泊まったことがあるわけじゃなく、写真とかで見たことがあるって程度だが。
どうやら姫様ってのは本当らしい。
しかし、他に人の気配がまるでしねえのは、どういうことだ。
「では、そこに座っていてください」
「そこと言われても、椅子はひとり分しか用意されてないみたいだし、俺が座ると姫様の分がなくなるんじゃねえのか?」
俺がそう答えると、ルミナリエ姫は少し考えるように黙りこみ、整った顎に指を当て。
「……それは明日にしましょう。今日はもう遅いですし。それよりも、私は先程、自分の名前をちゃんと名乗りました。ルシオンもそう呼んでください」
この国? の体制がどうなってんのかは知らねえが、俺みたいな一般人がそんな風に呼んでいいのかと思わないでもなかったが、本人がそう言ってんだから構わねえんだろう。
「ああ、わかったよ、ルミナリエ姫」
「ルミナリエです」
姫様はご不満らしく、静かに短く訂正してきた。
「ルミナリエ」
「ではこれからはそう呼んでください、ルシオン。それで、理由を説明する前に、少し冷えましたから紅茶を淹れてください。そこの棚に入っていますから」
ルミナリエの指さす先の棚ってのはあれか。
キッチンらしきところまで近づいてゆくが、うちに並んでいるようなシステムキッチンではなく、かまどみたいな造りをしている。
もしかして、過去の時代にタイムスリップでもしたのか? しかし、ヴァンブリグ王国なんて名前、歴史の授業でだって、見たことも聞いたこともねえしな。
やかんはあれか。カップとか、ティーパックはどこにあんだ?
「ティーパックとは何か知りませんが、紅茶の茶葉ならそこの赤い缶に入っているはずです。水は水道をひねれば出てくることでしょう」
「そうか、ありがとな」
ルミナリエに教えられた場所にあった、高級そうな缶に入れられた茶葉やら、芸術的な細工の施されているカップやらを用意して、お湯を沸かす。
ポットにいれた茶葉の上から、ゆっくりお湯を注いでゆき、色がしっかり出てきたところで、カップに入れなおす。
皿に乗せてルミナリエのところまで運んでゆくと、ルミナリエは、
「まあ、いいでしょう。どうやら初めてのようでしたが、これから精進してゆけば、立派にお茶くらいは淹れられるようになるでしょう」
と、なにやら感想らしきものを告げてきた。
随分と上からのようにも感じられたが、相手は正真正銘の姫様みたいだし、とりあえずはお眼鏡にかなったみたいだったから良しとするか。
「そうか――って、違うだろ! なんでのんきにお茶とか淹れてんだよ! いや、淹れたのは俺だけど、そうじゃなくて、この状況の説明をだな――」
「うるさいですよ、ルシオン。お茶を飲むときは静かにするものです」
ルミナリエは、俺とは違って静かにカップを皿へと戻すと、まっすぐに見つめてきて。
「それで、何を尋ねたいのですか?」
「何もかもだよ! 一体これはどういうことだ!」
子供相手につい大きな声を出してしまって、反省して辺りを確認するが、誰かが駆けつけてくる様子はねえ。てっきり、姫様に不敬を働いたとかって、護衛なりなんなりにとっちめられるかとでも覚悟したんだが。
いや、そういえば、屋上だったり、階段を降りてくる間にも、姫様以外の人間は見てねえな。
「何もかもと言われても、私にだって知っていることに限界はありますし、話すのに時間がかかってしまいます。それでも聴きたいとおっしゃるのでしたら、そうですね。この世界ができることになったのは、遥か昔、私たちの母である、神グラリアス様が――」
「待った、待った。長い長い。そんなことから知りたいんじゃねえよ」
創世神話みたいな話からされてもさっぱり理解できないだろうし、そもそも、聞きたいのはそこじゃねえ。
「そうですか。どうせ時間は余るほどにありますから、私としては話しても構わなかったのですが……」
世界の創成からの歴史を語るのをそんなにさらりと、さも明日の天気でも話すような口調で始めるのは、できれば止めて貰いたいんだが。
つうか、やっぱり、ここは俺の知っている世界じゃないってのは確定らしいな。グラリアスなんて神様は聞いたこともねえ。
別段歴史に詳しかったわけじゃねえが、そんな、世界を創成しただとかそんなレベルの神様なら流石に耳にしたことくらいはあっただろう。たとえ、国やら地域が違ったとしても。
「そうですね。おそらく、ルシオンが知りたいだろうことは、私があなたを呼んだ理由ですよね?」
「そうだよ。その通り」
いや、まあ、他にも知りたい、聞きたいことは山ほどあるが、とりあえずはそれを聞いておきたい。
内容によっては俺はすぐに帰れるかもしれねえしな。まあ、暇つぶしとか言ってたから、飽きればすぐに帰してくれるだろうとは思っているんだが。
「暇つぶし相手って言ってたけど……」
「言葉通りの意味です。ですがそれを説明するために、おそらくはこことは異なる世界から来たらしいあなたには、こちらの世界の、もっと身近なことで言えば、この神聖ヴァルブリング魔法王国のことについて話しておかなくてはなりません」
やはり、聞き違いじゃなかったらしい。
たしかにこのルミナリエは『魔法王国』とそう言った。
「もうお気づきのことと思いますが、この国が栄えて、あるいは他国の侵略を免れているのは、お父様や先祖代々の統治が優れているということもありますが、この魔法という力があるからなのです。これにより、この国は大陸でも最も力を持っていると言っても過言ではないでしょう」
「魔法ねえ……」
魔法って言ったら、あれだろ? ファンタジーやらに出てくる、空を飛んだり、火やら水やらを操ったりする、超常の力のことだろ。
「大体その解釈の通りです」
そう言ったルミナリエが人差し指を立てると、その指先には小さな光の玉が出現した。
俺は思わず興奮してしまって。
「おおっ! すげえ! マジかよ!」
他にもできんのか? と尋ねたかったし、見せて貰いたかったが、まあ、話は最後まで聞いてからでも良いだろう。説明はまだ続くみたいだったし、俺が話の腰を折っちまった部分も少なからずあるしな。
「しかし、この力は誰でも自由に使えるわけではありません。正確に言えば、この国に暮らしていれば誰でも使えるのですが、完全に自由にという訳にはいかないのです」
俺が黙ったままでいると、ルミナリエは説明を続ける。
「仕組みについて、私も文献は可能な限り読んだり、調べたりしたのですが、どうやら、この国の人が魔法を使うことができるのは、私たちは『聖女』と呼んでいますが、その人物のおかげなのです。もちろん、その『聖女』自身は例外ですが」