記憶喪失
解体した緑の獅子から、エーテル機関を取り出したムジカは歓声をあげた。
「いよっしゃあ無傷! これで3ヶ月は暮らせるぞ!」
奇械の心臓部にあたるエーテル機関は、街では貴重な動力機関として高い値段で取引をされていた。奇械の部品としてはもちろん、鉄馬車やボイラーなど、需要はいくらでもある。さらに言えば自律兵器のそれは、そこらの奇械アンティークとは段違いのエネルギー効率のために引く手あまただった。
そもそもケーブルや散らばっている流動金属はもちろん、外装ですら再利用されるため本来ならば売れないところなどないのだが。
「もって帰れないもんはしょうがないからな。これだけきれいに機関部をとれれば十分ってもんよ」
ムジカはふんふんと鼻歌を歌いながら、ペチコートを切り裂いて作った鞄へ突っ込む。
心臓部に厳重に守られているエーテル機関は、携帯工具だけでは取り出すのも一苦労なのだが今回はとてもスムーズだった。
その理由は。
とりあえずやることがなくなってしまったムジカは、ようやくぼんやりと立ち尽くしている青年人形に向き直った。
今の今まで現実逃避をしていたとも言う。
獅子型自律兵器を無力化した青年人形は、ムジカと視線が合うと平坦な声音で問いかけてきた。その右腕からは淡い緑の燐光を帯びた刃が伸びている。
「ブレードは必要ありませんか」
「お、おう」
どういう態度でよいかわからずに、返事はぶっきらぼうになってしまったが、青年は気にした風もない。
奇械特有の駆動音をさせて刃が腕の中へしまわれてゆくさまに、改めて彼が人形であることを意識する。
ムジカがなかなか装甲をはがせず困っていたときに、この青年人形に提案され許可を出したのだ。あれだけ苦労した装甲をあっさりと、バターのように切り裂いていくのには驚きつつも大変作業がはかどったのだが、残念ながら現実逃避する時間が短縮されてしまった。
しかしながら対話をしないことには始まらないと、ムジカは適当な機材に座って、青年人形を見上げた。
訊かねばならないことも、確かめなねばいけないことも沢山ある。
「……おい」
「はい」
「おい何で床に座る!?」
平静に話そうと決めていたムジカの覚悟は、青年人形が当然のように床へと膝をついたことで砕け散った。
青年人形は美しい顔をぴくりとも動かさずに返してくる。
「歌姫に恭順を示すのが自律兵器ですので」
古代の神々のようなゆったりとした衣服に包まれるその姿は、完璧に整えられた造作と相まって、羽がなくとも十分に浮き世離れした神秘的な雰囲気を醸し出している。
生まれたときから下級層で暮らし、貴族と聞けば顔をしかめ警官をみれば鼻を鳴らす環境で育ってきたムジカだ。かしずかれることに縁があるはずもなく、ものすごく居心地が悪かった。
顔をしかめつつムジカは、さらに言いつのる。
「座るんなら適当ながらくたの上にしてくれ」
「『適当ながらくた』の定義をお願いします」
「そんなもんそこらの……」
と、言いかけて、ムジカは彼が自律兵器であることを思い出した。
ムジカにとって適当に決められることでも、指示を与えられなければ定義できないのだ。どれだけ外見上は人間に似ていても、これは奇械であることを忘れてはいけない。
ものすごく面倒で、頭をかきむしりたくなったムジカだが、こんなところで躓いては話が始まらなかった。
「立っていても疲れないか」
「はい」
「なら立っていてくれ」
「はい、歌姫」
また、背筋にぞわぞわしたものを覚えつつも、予備動作もなく立ち上がる青年人形を見上げて、ムジカはようやく本題に入った。
まず気になることは、先ほどから何度も出てくる単語についてだ。
「なあ、なんで歌姫なんだ。自律兵器の主人なら指揮者じゃねえのか」
先ほどまでは聞き間違いかと思ったが、この青年人形は確かにムジカのことを歌姫と呼んでいる。今までそのような単語を聞いたことがなかったため、指揮者との違いを確認しておかなければならなかった。
というより、歌姫という意味がわかるムジカにとっては、気恥ずかしくむずがゆいものがあったのだ。
「指令権をもつ存在を歌姫と呼称すると記憶しています。俺はあなたを歌姫として登録しました」
「えーとじゃあ、お前の機体情報と基礎概念、記憶している歌姫の権限を教えてくれ」
基礎概念とは、奇械に設定されている基本的な行動原理のことだ。
人間で言うなれば、本能のようなものであり、使用人型奇械であれば、「空間を綺麗にする」「ものを運ぶ」など個々に与えられた仕事。自律兵器であれば「敵と戦え」など行動原理の根幹を成すものである。
機体情報と基礎概念がわかれば、正体不明の奇械であれどのような意図で作られたかわかるのだ。
だが、ムジカの期待は、青年人形の次の言葉で打ち砕かれた。
「機体情報、欠落。基礎概念『守護すべし』」
青年人形のあまりにも簡素な回答に、ムジカは顔を引きつらせた。
機体情報は、基本的な自己紹介に当たる。
それが欠落していると言うことは。
「何もわからないのか。ここにいた理由も? 自分が稼働前だったのか再起動後なのかも?」
「休眠状態に移行した記録がありますので、稼働歴があったと類推しますが、管制頭脳の記録領域に大きな欠落を確認しています。具体的な休眠時間および休眠状態が解除される以前の情報を開示することができません」
「まさかの記憶喪失……」
ムジカは途方にくれて頭を抱えた。
最短距離で青年人形の仕様を把握する方法がなくなった。あとは会話や機体のパーツから一つ一つ類推するしかない。要するに面倒くさい。
「お前、個体名称も覚えてないのか」
「該当する単語は『ラストナンバー』、とだけ」
よどみのなかった青年人形の回答に、わずかに乱れが生じたことも、自分の衝撃を飲み込むことで手一杯だったムジカは気にすることができなかった。
「ですが、敵性機体の情報は多数残存。竜型規模までの撃墜手段を確立しておりますので、戦闘用機体であったと類推します」
「安心要素一切ねえ!」
それは「守護すべし」というより「殺すべし」という方が基礎概念として正しいのではないか。
ムジカははじめ彼が「黄金期の遺産」ではないかと考えていた。
この遺跡でまことしやかに噂されるお宝だ。
曰く当時激戦区だったこの地域のどこかに巨竜型が眠っている。
曰く一生取りつくせないエーテル結晶の貯蔵がある。
曰く奇械の父である、ヴィルヘルム・ホーエンが隠した特別な奇械があるなど、玉石混合だ。
探掘屋だった父はムジカを放ってのめりこんだ挙句、道半ばで死んでいった。
この青年人形も獅子型を無力化する鮮やかな手際から、戦闘用の自律兵器なのは間違いない。人型の自律兵器なんて聞いたこともなかったが、お宝としては申し分のない希少価値だろう。
が、竜型と言えば、ムジカも知識でしか知らない広範囲型殲滅自律兵器である。出会ったらあきらめろレベルの自律兵器に、撃墜手段などあり得るはずがないにもかかわらず、さらっとのたまう青年人形にムジカは顔を引きつらせた。
ほとんど情報を与えられていないということは、それだけ手間を惜しまれたとも考えられる。特攻用としても使われていた機体なのかもしれない。
つまり、どう考えても訳あり機体。
主人登録をしたことは、生きるために必要な措置だったから後悔はしていないが、予想以上に面倒なものを拾ったのではないか。
ムジカのおののきなど意に介さず、青年人形は淡々と続けた。
「歌姫は最優先事項に設定されています。また最上位指令権を委託されており、強制停止、再稼働の権限も有しております」
最上位指令権というのは、自律兵器を含む奇械の管制頭脳に必ず組み込まれているプログラムだ。簡単に言えば登録された指揮者に絶対服従する、というものである。
あらかじめ設定された文言での命令も可能になる、いわば安全装置の役割だ。
そのあたりは指揮者と変わらずムジカは安心したため、基本的なスペックを聞くために続けた。
「じゃあその、歌姫、だっけか。登録解除法も先に教えといてくれ」
「解除法はありません」
「……は?」
解除法がない?
間の抜けた声を出したムジカだったが、無情にも青年人形は続けた。
「歌姫は任意で定めるものだと認識しているため、基本的に解除法は存在しません」
「いや、ちょっと待て、つまりお前から自由に破棄できるってことか!?」
「いいえ。一度登録した後は、俺が機能を停止するまで最上位優先事項として存在し続けます」
「なんだよ意味あんのかそのぶっ壊れ機能!」
ようやく指揮者と歌姫の違いを飲み込んだムジカは、あまりの理不尽仕様に叫んだ。
つまり青年人形はこう言っているのだ。壊れるまでムジカのそばにいると。
大体ある程度自由に命令権を委譲できなければ、奇械としての意味がない。
命令には従順に忠実に。それが奇械の最大の利点である。
にもかかわらず、この人形が言う歌姫に設定されたものは、一生この奇械をそばにおかなければいけないのだ。
ようするに、一生つきまとわれる。
この話し方から察するに、おそらく青年人形の基準で歌姫は指揮者よりも上位に設定されている。この深層から脱出すれば登録を解除し、適当な奇械業者に売却しようと考えていただけに、計画が早々に崩れ去ってしまったムジカは頭を抱えた。
「うわあ、まじか。こんな目立つもんどうすりゃいいんだよ……」
「俺を壊しますか」
出し抜けに言われたムジカはぎょっとして、青年人形を振り仰ぐ。
青年人形の銀の髪に彩られた美貌には皮肉もおびえも一切読み取れず、紫の瞳だけが静かに見返している。
そこで、人形の瞳の色が赤から紫に変わっていることに気がついた。
だが心の内を見透かされたような気がしたムジカは、乾いた気がする喉につばを送り込んだ。
「なんで、いきなりそんなこと言うんだよ」
「俺は提案できますが、指令がなければ行動はしません。歌姫に必要がなければ機能を停止します」
「……なら、やるんじゃねえ」
「了解しました」
奇械らしくあっさりと引き下がる青年人形に、小さく息をつき、ムジカは再びプランを練り直す。この青年人形の処遇については後で考えよう。自律兵器の指揮者関連のことは、情報漏洩防止のために、機体に情報が入力されていないことも多い。
今は解除の方法がわからずとも、専門家に当たれば対処の仕方がわかるかもしれない。
このまま所有するという考えは、はなから頭になかった。
なぜなら、ムジカには奇械なんて必要なく、「黄金期の遺産」を求めていたのだって、そもそも壊すためだったのだから。
ともあれ、まずはこの深層から抜け出すことが最優先だと無理やり思考を切り替えたムジカは、青年人形に向けて告げた。
「とりあえず、あたしはムジカだ。歌姫だなんて薄ら寒い単語で呼ぶな」
「『ムジカ』登録しました」
「お前は、そうだな、ラストナンバーだっけ」
「はい」
「長えからとりあえずラスな。次からはそう呼ぶ。呼んだら反応しろよ、ラス」
「了解しました、ムジカ」
奇械的に……作り物なのだから当然だが、首肯する青年人形、ラスは今ひとつ不安だった。それでも信用するしかない。
懐中時計を見れば、昼を少し過ぎたところ。ここがどの地点にあるかわからないが、丸一日で外に出られることを祈ろう。
休憩も終えたムジカは立ち上がると、布にくるんだエーテル機関を背負う。
そして歩き始めようとして、道連れがいることを思い出した。
「ついてこい、まずはここから地上に出るぞ」
「はい、ムジカ」
律儀に返事をしてついてくるラスの姿は、まるで迷子の中で保護者を見つけた子供のようだと思いつつ。
ムジカはブーツのかかとを鳴らして部屋を後にしたのだった。