熾天使
「ホーエンの研究対象だった人という生命の探求のためとも、病弱な娘に友人を作ってやるためだったとも言われているが。人間そのままにつくるなんて、なんてもったいないことをするんだと僕は思うけどね。それはともかく、ここまで材料がそろっていれば、推論は容易だ。誰にもなしえなかった、『人間のように動く人形』の頭に何を使っているのか」
とん、と意地の悪い笑みのままアルーフは自身の頭を指さして見せる。
逆に、険しく表情を引き締めたムジカはにらみつけた。
「……何が、言いたい」
「僕はこの熾天使達の基本的思考、行動パターンが、現行のすべての管制頭脳に転写されたのだと考えているんだよ。エーテル結晶の特性は保存と維持だ。熾天使たちの思考回路を転写したからエーテル結晶が使われた奇械でも、人間のような複雑な判断能力がはじめから備わっているんだ」
目を輝かせ弁舌を振るっていたアルーフは、そこで少々悔し気な表情になる。
「ただねえ、現存する奇械の管制頭脳では情報の劣化が進んでいるらしくて、複写はうまくいかなかったんだ。代用できないかほかの材料も試してみたが、どうしても不具合が出てしまってね。けれどそんなときにね、君の隣にいる人形のことを知ったんだよ」
異様な熱をこめるアルーフに、ムジカは背筋をはいよる寒気に襲われた。
なんともなかったはずなのに、気がついたら気色の悪い亡霊に取り囲まれていたような。
「確かに8体の熾天使は行方知れずになったが、文献に記載されている性能からするに現存している可能性は十分にあり得た。そして最後に製造された機体ラストナンバーは、巨竜型からの防衛戦ののち、ホーエンによってどこかに隠された可能性が高いんだ。そう、まさにこの地域で!」
ラストナンバー。それは、あの青年人形が呼称していた名前ではなかったか。
「スポンサー殿の気まぐれにも困ったものだったが、まさかこんなにお宝が眠っていたなんて! これはもう神の思し召しだと思ったね!」
「仮に、仮にだ。あいつがお前の言う存在だったとして。そんな貴重なもの。簡単に手放すと思うのか?」
打ち砕くつもりで放った声は、自分でも虚勢を張っているとありありとわかるものだった。
だがアルーフは指摘せずにただ悠然と指を組んで身を乗り出しただけだ。
「もっともだ。だからね、僕はとても魅力を覚えているけど、君を助けたいという話に関わってくる」
「あたしに、助けは必要ない」
「君、肉声で指揮歌を歌えるんだって?」
ムジカは今度こそ凍り付いた。
アルーフはムジカに痛恨の一撃を与えたにもかかわらず、大して興味がないと言わんばかりに平静だった。
「僕は指揮者と指揮歌の始まりは、賢者の石で作り上げた管制頭脳に最適な干渉方法が音声だったからではないかと考えている。おそらく、君が熾天使を目覚めさせられたのも、変声器を通さない肉声で干渉できたからだろうね。軍所属の指揮者にも変声器を使わず干渉出来る者はいるんだよ。彼ら彼女たちは自律兵器の性能を底上げすらして見せるからね」
自分と同じ能力を持つ者がいると聞いても、ムジカは現実味がなかった。
確かに軍に所属する指揮者たちは、その歌で奇械を自在に操り多くの戦果を挙げると聞く。それが肉声による指揮歌の成果だったとは。
「軍は指揮者適性のあるやつは、全員入隊させるんだろ。あたしを軍に入れるのか」
「何を言ってるんだい。僕の最終目標は指揮者が必要ない奇械を創り出すことなのに。君の声は研究させてもらいたいけどね。論点は熾天使のことだよ」
順当な問いかけだと思ったのだが、アルーフはあからさまに顔をしかめて否定した。
「後世に伝わる熾天使達は指令を必要とせず、独自判断で作戦行動を起こせた。そこから導き出される仮説だがね。熾天使達は指揮者が必要なくなる時期が来るのだよ」
「なに、を……」
「この数週間、君と熾天使の行動を観察させてもらったが、あの熾天使はずいぶん単独行動が多いね。君が命令したのかい?」
問いかけられたムジカは勝手にラスの行動を思い返していく。
そういえば、最近命令を求められることが少なくなっていた。ムジカが教えてもいないのに採掘夫たちと会話をしているし、事後報告で行動を起こすことも少なくなかった。考えれば考えるほど思い当たることがある。
奇械と自律兵器には人間が、歌が必要。それが常識だが。
果たしてそれは、はじまりの自律兵器にも当てはまるのか?
愉悦をふくんだアルーフの言葉が、どろりと毒のように染み渡ってゆく。
「考えてみたまえ。ある日突然言うことを聞かなくなるんだ。自分よりも遙かに強力な力を持っていた存在がだよ。そんな道具手元に置いておけるかい?」
アルーフは、一層穏やかに言葉を重ねた。
「だからねミスムジカ。僕が引き取ってあげよう。指揮者登録もほどいて君を解放してあげるよ。君が奇械に振り回されることはない。僕の研究にほんの少し付き合ってくれるなら、君が抱えている借金分の報酬もつけてあげるよ」
ムジカは怒鳴り散らしたいのをめいいっぱいこらえて、眼前の男をにらみつける。誰の自由にもなりたくない。もはや意地だった。
「てめえは、何を言ってやがるんだ」
「ふむ」
アルーフは懐中時計を見やった後、立ち上がった。
立ち上がって身構えたムジカだったが、アルーフは重厚なカーテンの下がる窓へと向かう。
「では……これを見ても言えるかな?」
カーテンが広げられた瞬間、エーテルの輝きで目がくらんだ。
しかし一瞬見えた姿に愕然として、ムジカは重いスカートの裾をなんとかさばいて窓へと駆け寄る。
屋敷の外はいつの間にか、煌々とエーテルの光で照らされていて、距離は遠くとも見間違えることはなかった。
欠けた半月よりもなお明るい、エーテル光が寄り集まった一対の翼を背負った銀の人形が宵闇に浮かんでいた。
「ラス……っ!?」
何もかも忘れてムジカが叫べば、窓越しで聞こえるはずもないにもかかわらず、紫の瞳と目が合った気がした。
とたん、大量の黒い影に飲み込まれる。
「夜の飛行も問題ないようだね。が、やはり鳥型はもろいな」
アルーフがどこからか取り出した望遠鏡をのぞき込んでつぶやく。
思わず息をのんだムジカだったが、閃光のような光が幾筋も走り、大量の鳥型自律兵器がばらばらになって落ちていく。
エーテルの翼で飛翔していたラスはだが、がくりとその速度を落として落下した。
同時に屋敷の上方から飛び出してきたのは、ムジカを拉致した男だ。
しかし、エーテル光に照らされるその右腕は、ムジカを拉致したときとは違い、二回り以上大きなシルエットに変わっていた。
「はっはー! たかが捕縛網に捕まるなんざ間抜けだな自律兵器!」
高速で重いものが地面へ叩きつけられる音。
男は好戦的に顔をゆがめながら、地面へたたきつけられたラスへと拳を振りかぶる。
ムジカが夢中でガラスの窓を開けるのと同時に、爆発のような破砕音と共にエーテルの光輝が舞い散った。
屋敷にまで震動が伝わってきて、ムジカはよろめく。
漂う煙に巻かれながらも、石畳が割れてクレーター状になった地面の中心に土埃にまみれたラスがいた。
馬乗りになっている大男の金属の硬質ななめらかさをもった四肢が、庭に大量に用意されたエーテルの明かりによって照らし出される。
二回り以上太く大きな右腕は、冷えた空気にもうもうと蒸気が生じることから、かなりの発熱をしていることがわかった。
クレーターを作り上げたのはこの男だとムジカは理解した。
しかし、エーテル光輝がふくれあがり、豪腕の男は即座に離れた。
ラスはエーテルの翼で押し返したようだが、代わりに襲いかかるのは強靱な四肢とあごを持った狼型の自律兵器数体だ。
一体どれほどの自律兵器が居るのかとムジカが驚く前に、エーテルの翼によって業風が生み出される。
そして体勢を崩した狼型はラスのブレードによって切り裂かれた。
クレーターの中で無造作に立ち上がる青年人形を、ムジカはただ見つめることしかできなかった。
燃えて裂けた服から見えるのは、えぐれた胴だ。
エーテルの燐光がはじけるたびに中のコードや歯車が見え隠れしている。
その光景をクレーターの外から見ていた鋼鉄の四肢の男が乱雑に笑った。
「はっ、そうじゃなきゃ壊しがいがねぇっ!」
「ヴィル大尉、壊しすぎてはいけないよ」
「わかってるってアルーフ!」
アルーフにヴィル大尉と呼ばれた男が、叫び返す。
人間では立って居ることすらままならないはずの重傷にもかかわらず、青年人形は意に介さずクレーターから飛び出す。
再び腕を振りかぶって襲いかかってきた男を迎え撃った。
「ふむ、予想よりも耐久性が低い上に火力が弱いか? 熾天使の装備仕様に関して記録がないから類推することしかできないが、火力は外部装備で補っていたのかもしれないな。少々期待外れだが支障はないだろう」
冷静につぶやく声に、ムジカはようやく隣にアルーフへと視線を向ける。
どんな顔をしていたのだろうか、目が合ったアルーフは満足げに目を細めた。
「ようやく、理解してくれたようだね?」
「……あんたは、なんであたしに、提案するんだ。あたしを殺して奪うことだってできるのに」
ムジカの声は自分でもわかるほど弱々しかった。
アルーフはあごに手を当てて微笑む。
「僕はね、指揮者というものが大っ嫌いなんだ。人間ではなくそのシステムそのものが。自分の意思とは関係なく巻き込まれるなんて最悪だ。奇械は奇械と壊し合っていればいいし、やりたいやつだけやってればいい」
そう答えたアルーフからは、生々しい感情がにじんでいるように思えたが、ムジカには深く考える心の余裕がなかった。
足下がぐらぐらと揺れているような気がする。
ようやく、自分が震えているのだとわかる。
再び爆発のような音。震動に体をよろめかせたムジカは窓枠に掴まった。
ざあっと突風が吹き、エーテルの黄緑色に照らされて、はっと振り返る。
銀色の髪を風に揺らめかせた、精巧な人形そのものの美しい顔をした青年がこちらに手をさしのべていた。
自律兵器である証、球体関節が露わになった手だった。
「ムジカ。手を伸ばしてください」
アルトとテノールの中間。いつもと変わらない平坦な声音に、ムジカの背筋が震える。
自分がどのような顔で見上げたのか、ラスの紫の瞳が影になっていてよくわからなかった。
エーテルの翼で虚空に浮かぶラスに、ムジカは抱き上げられ攫われる。
止める様子もなくアルーフはムジカに悠然と声をかける。
「3日あげよう。僕にも都合があるからね」
内臓が冷えるような不安感は、足下が浮遊しているだけではないと、ムジカはわかってしまった。
ラスの翼が羽ばたき、たちまち屋敷から離れる。
窓枠から身を乗り出すアルーフの声はムジカには聞こえなかったが、何を言っているか如実にわかってしまった。
「良い返事を期待しているよ」
認めたくなかった。けれど、わかってしまった。
自分が、この人形を怖がっていることを。
ラスの首へ腕を回しながらも、ムジカは固く瞳を閉ざすしかなかった。




