38話 Episode A3
やっと…
マッドと魔術師は走る。時間が経つにつれて影魔物の数が増えて、木陰に入らなくてはならない時間が出来てしまう。そうなれば当然歩みは遅くなってしまい、更に時間をロスする。悪循環であった。
そんな危うい橋を渡る二人であったが何とか森の端にたどり着くことが出来た。中々に時間を掛けてしまい既に満身創痍な二人であるが、たどり着けた要因は幾つかあった。少し前から影魔物の動きが変わり、何本もの火柱が上がっていたからだ。それ即ち魔物を討伐しにきた冒険者が居る訳で、助けを求めれば答えてくれるはずだ。
「…あっ」
「どうしたんじゃ?…む」
森の直ぐ直近、少し倒木が目立つだけの平野で戦う影竜と小さな人影が居た。その小さな人影は影竜に対向する構えであったが、倒木の影に潜んでいた影蛇が人影の足に絡み付き体勢が崩れてしまう。
その人影はまさしく鬼姫であった。幾らか傷を負いながらもそこに立つ姿は美しいとも取れ、何時までも戦っていそうなほど瞳には闘志が込もっている。
マッドは鬼姫に向けて声を飛ばそうとした。
そんな時である。バランスを崩した鬼姫の姿を見て好機と捉えたのか影竜の顎が大きく開き、鬼姫の姿を隠してしまう。影竜の捕食攻撃であった。飲み込んで対象に継続的なダメージを与え続ける。現在は胃袋の中で内圧に苦しんでいることだろう。
──鬼姫の命は秒読みである、ということだ。
「ッ!小娘!魔術じゃ、撃てッ!」
「え…、は、はい」
魔術師はマッドに指示されて魔術を唱え出した。魔術の知識はマッドには無いが、ゲーム内システムであったスキルのように無詠唱・ノータイムで放てるような代物では無いようだ。
魔術師はごにょごにょと言葉を呟いており、炎、槍といったワードが聞き取れる。だがのんびりして居られる状況では無い。焦りだけが募っていく。無限にも感じられる時間の中、ようやく完成した魔術が放たれた。
「…よ。焼け、貫け、討ち滅ぼせ『ファイアランス』!!!」
膨大な熱の塊が魔術師の右手の先に生成され、ゆっくりと回転を始める。その回転は倍々に加速していき、魔術師の制御下を離れて一直線に影竜へと向かっていった。
「グアァァアッ!?」
「な…効いておらぬでは無いかッ!」
炎の槍ががら空きの影竜の腹部へと吸い込まれる。その認識外からの不意討ちに思わず声を上げる影竜であったが、炎の魔術は腹部を貫通することなく若干表面を抉り飛ばすだけに留まってしまった。
影竜はキョロキョロと辺りを見渡し不届き者を探している。
「クソッ、もう一発…いや、さっきのより高い威力のを撃てッ!」
「う、でも魔力が…。それに詠唱もうんと…」
「…ええい!わしがやる!それを貸せッ!」
マッドは無理矢理に魔術師の教本を取り上げた。一瞬悲しそうな表情を浮かべる魔術師であったが、マッドの血の気が引いた顔色を見て優先順位を変える。
「さっきの子…お知り合いですか…?」
「そうじゃ!同郷の仲間じゃよ!クソッ、どのページに呪文があるんじゃッ!」
「…一番簡単なのは火球ですが…」
「さっきの槍より威力の高い奴でなければ話にならんッ!」
「…ここで、このページです。…あの」
「魔力を指先に集め…。何じゃッ!?」
「もう、あの子は手遅れでは…」
「ッ!冗談じゃない!ふざけた事をぬかすならばその舌引き抜いてやるぞッ!」
「ひゃ…、マッドさん…」
教本を読み進めるマッドであるが、全く内容が理解出来ていなかった。それは当然でもある。魔術の世界の住人に化学を教えても理解に相応の時間を要するのに、科学の世界の人間が魔術を、それも一般には公開されていない技術を少し齧ったくらいでは習得など出来はしない。
「魔力…、魔力…。ええい!なんで詠唱だけじゃいかんのかッ!」
「…『ファイアボール』!!!」
近くに熱力が生まれたことでマッドが教本から顔を上げる。どうやら魔術師がまた魔術を撃ったようだが、と考えた所で先ほどまで遠くに居たはずの影竜がすぐ目の前にまで迫っていた。
「ぬぉッ!」
「くぅ、マッドさん!しっかりしてください!」
「…ああ、分かっておる。…随分取り乱してすまなんだ」
マッドは教本を閉じ魔術師へと突き返す。この状況をひっくり返すには自分が魔術を使えるようになるのが最善であった。だが出来ないのであれば、素の力で戦うしかない。
木陰に居るマッド達は見えていないはずであるが、そこは高位の影竜。マッドと魔術師へと一直線へ向かってくる。会敵まですぐそこ、という所で変化に気が付く。
影竜が立ち止まって苦しみ始めたのだ。
「お腹…膨れてませんか?」
「ッ!……………姫様…?」
異様に膨らんだ腹部が、ミチミチと音を立てて突き破れた。その傷口から影竜の血液の役割をする薄く黒い汁が吹き出て中から何かが這い出てくる。影より何倍濃い黒。闇を凝縮したような漆黒の炎の塊。全身を燃え上げた人間大の生き物が、そこには居た。
「──姫様」
「死ね」
この真っ黒な塊は呪いを解放した鬼姫であった。
呪詛のように呟いた一言と共に、瀕死の影竜の頭を踏み砕く。ブチュリと軽い音を立て影竜は絶命した。
鬼姫の首がぐりんと回り、マッドの姿を捉える。全身が黒で腕装備の白い炎すら飲み込む漆黒を纏った鬼姫であるが、目だけが明々と輝きより不気味さを増していた。
「マッド」
「ひ、姫様!わしが分かるのか?!」
「ああ、アア。会えて良かっタ。探してたんだっけ?」
「…姫様?」
「まあ良い。帰るぞ」
「大丈…ッ!」
言動が不審な鬼姫が、いきなりマッドが座っている地面の直ぐ隣を爆ぜさせた。マッドと鬼姫をぽけーと見ていた魔術師もそれに巻き込まれ、余波で吹き飛ばされて数メートルを転がる。
「あ?マッドが居なくなってしマった」
「ぐ、ぅ…」
「それより、も。ぐぅッ…殺ス。喰いやがって」
鬼姫は強烈な加速で影魔物の首魁、影の女王の元へと駆けていく。
後ろで叫ぶマッドの言葉など届かずに。




