37話 Episode A2
「……ご、ごめんなさい!」
「…分かれば良いんじゃ。…はぁ、勿体ないのぅ。……それじゃ、気を付けて帰るんじゃぞ」
「え、あ、あの!」
怒り心頭に発するマッドであったが、相手は悪気があってやったことでは無い。言葉遣いからして教養もあるようで見るからに善人だ。これ以上責任を追及するのは無駄に終わってしまうだろう。
「あの!助けて頂いたお礼がまだ…!」
「…礼なら先ほど受けただろう?」
「いえ!危ないところを助けて頂いたのに謝礼も渡さないなど、我が家……じゃない、我が師の名に泥を塗ることになります故!」
「…ふぅむ?そうかのぅ…」
(何か金持ってそうな娘じゃのう。この娘がというより実家とかその辺が。…巻き上げられるだけ巻き上げるか?)
内心でゲスいことを思い浮かべながらもマッドは思考する。金が増えてもソレによって不都合が発生するのは避けたい。鬼姫やキャメロットの障害になるなど言語道断である。どこまでむしり取るのはセーフか…、と悩んでいたマッドであるが魔術師の抱える本に目が行く。
(魔術師の持つ本。…あの本に魔術の詠唱が書かれているのか…?…欲しいな。かなり。………うん?)
「…ぬ、木陰に戻れッ!」
「へ?わあぁぁあ、っぷ!」
いきなり魔術師の女を押し倒し口を塞ぐマッド。咄嗟のことに顔を赤らめて講義しようとした彼女であるが、その真剣な表情に思わず黙り込む。
マッドの視線の先には大型の魔物の影。否、影その物を凝縮して西洋の竜を象ったような存在。高位の影系魔物である影竜の姿があった。
(あり得ない。影狼だけではなく影竜も現れるなど。……予想される事態は……)
影系魔物が大量発生するイベントを思い浮かべる。影系統の魔物が発生するイベントは、どれも強力な光属性の魔物が生まれた時にそれに呼応するように発生する、という設定であったはずだ。
小さな群が発生するくらいならば全く問題は無いのだが、最悪のケースは超巨大な化け物が誕生してしまうのだ。ゲーム内でマッドは死系配下、アンデット系を主に使役していたが、影系統の魔物はアンデット系統の配下の攻撃が通じにくくて苦手であった。
今はアンデットのアの字も無いので関係ないが。
「…小娘、よく聞くんじゃ」
「!!…!」
魔術師の女性も自身の何倍もの体積を持つ影竜を発見したようで、マッドの言葉に勢いよくコクコクと頷く。この森に新人の魔術師が一人で居た理由は分からないが、せいぜい恩を売って本をぶん取ってやろうと魔術師に影系統魔物の生態を話す。
「──という訳での、あやつらは目が悪い。…悪いというか同じ影が弱点というのか…。ともあれ、この木陰などの影に居れば襲ってはこん」
「…それで私は」
「ふむ、通り過ぎて行ったな。このまま隠れていても良いが最悪のケースになれば関係無くなってしまうからのぅ。…ほれ、着いてこんか」
「…あ、はい。…あのぅ」
「何じゃ」
「…どうして、ここまで良くしてくれるんですか?」
「…決まっておろう」
困惑した様子の新人魔術師は、マッドへと疑問をぶつけた。先ほどの影狼との戦い方を見ていても到底強そうには見えない。力ある英雄ならともかくあの魔物で傷だらけになってしまう実力、しかも老体であるならば自分のことだけで精一杯なはず。…少なくとも魔術師はそう考えていた。
マッドが口を開ける。
「お主のその本が欲しいからじゃよ。ここから生きて帰すから、礼としてそれを寄越せ」
「なぁっ!だ、だめですよ!これだけは!」
マッドの目的が自身の本に有ることが判明した魔術師は、まるで我が子を抱くように本をひしっと胸に抱え込んだ。ローブ姿で良く体型が分からなかったが、胸に抱いた本に押し出された胸の肉が流線を描く。かなり立派なモノをお持ちのようだ。
とは言えそんなことは関係ない。マッドは迫る。
「命に比べれば安かろう。…一人で帰れるなら帰っても良いが、お主に伝えてないことの方が多いぞ?何故影狼はお主から離れなかった?お主は見えておらんのに?」
「えっ…。…何ででしょう?」
「さあ?わしはお主のことなぞ知らんからな。さっぱりじゃ」
「そ、そんなぁ…。でもでも」
「ここに居ても意味も無いのではなぁ?それじゃあ、気を付けてのぅ?」
「ままま、待って!怖いの!…待ってぇ!」
「…なら、どうするんじゃ?」
魔術は大体が秘匿されており、おいそれと学ぶ機会があるモノでは無い。だがそれが目の前にあるのだ。相手も少し揺すれば揺らぐチョロい女であるし、逃がす訳にはいかない。
うんうんと暫し悩んでいた新人魔術師であるが、意を決したのか口を開けた。
「妥協案……というのはどうでしょう?」
「ほお?聞いてやろう」
「貴方はお金目当てですよね?ですがこの教本を売るわけには……………あれ?もしかして違います?…あ、魔術目当て………みたいですね、はい」
「いや、まあ、うん。…続けて」
「魔術に興味があったとしても、この教本は師匠の直筆でこの世に十を越える数はありません!今のところですけど」
「…別に本はお主が持っていても構わないんじゃがな。中身を見せて欲しいんじゃ」
「えっ!?………一応門外不出なので……。けど命の恩人ですし…、…見たのは黙っていて下さるなら…」
「おお、黙っとる。誰にも言わんよ」
「…なら、良いのかな?良いよね?」
「それで良いんじゃ。知っているのはわしとお主だけ。何の問題もない」
「…そう!そうですよね!」
余りに交渉が簡単であった為にこれで良いのかと思う反面、魔術が覚えられそうで小躍りしたい気分のマッドであった。
魔術とは分かりやすい力である。現実の世界で重火器を見せびらかすのは武力をアピールする為であるが、こちらの世界は杖がそれに当たる。魔術を使う者は侮れない、そういう考えが冒険者にはあった。なのでマッドが杖を所持しているのに、魔術の一つも使えないと冒険者組合に知られたら過度にナメられる。実際にナメられていた。
しかし魔術が覚えられるとなると…。
「え、あの、すごい笑顔で…」
「よし、わしに着いてくるんじゃ。安全な所でそれを読ませて貰おうかのぅ」
「貸す…いやいや、目の前で読んでもらうだけですからね!大切な教本なんですから!」
「分かってお、る…?」
「え、どうしたんです?…地鳴り、ですかね?」
──ズズゥゥン、と低く鈍い音と共に軽く地面が揺れる。それも一定のリズムを持って、ほんの少しずつ大きくなっているようで。
そちらの方向に顔を向けるマッド、森の木々が邪魔であるがその葉の隙間から空だけが見える。はずであった。
見えたのは黒い山。ぼやける程遠くにあるのが分かるが、それが動いている。思い当たる知識。影系魔物の頂点。
「──忌み嫌われし影の女王」
「………大きい」
「…走れ!あの規模はダメじゃ!出来るだけ離れよ!」
「えっ、ちょ、危なっ。わっ」
魔術師の手を掴んで走り出すマッド。あの魔物はゲーム内で存在していた。影の女王など、育った駒が幾千と必要なのだ。それなのに魔術も使えない、ただの一軍勢プレイヤーを放り込んでも潰されて死ぬだけである。
これは逃げるしかない。この際ほかの魔物に構ってもいられないだろう。モタモタしていると影の魔物も増えてしまうのだから。
最悪、彼女を囮に使えば良い。本の所有者も消えて万々歳である。
…実行するかは置いておいて。
影系魔物の弱点として、暗い所が見えない、というのがある。
同じ"影"であるからか、夜に行動されては強すぎる為か。しかし影の女王は夜になっても活動を止めないので注意。




