30話 羽ばたき5
「ぐ…」
「…へばるのが早すぎでは」
「姫様ッ!」
「何?ッ!?」
鬼姫は呆気なく沈んだ忍者に首を傾げていたが、マッドの叫び声に反応し振り向く。──振り向いて目の前にあったのは、フードをはためかせる"卑屈"とその手に握られた鈍く光る小さなナイフであった。
咄嗟に両手で挟み込むようにしてナイフを受け止めることに成功した鬼姫。ギチギチと嫌な音を立てながら凶刃は動き出さんとしている。
卑屈に目をやれば、驚嘆と焦燥の混じった顔で荒く息を吐いていた。
「…何だ、貴様」
「ハッ、ヒヒヒ」
「何だと言っている。口を開け」
「ふ、二人同時で良いっていったのは、お前だろ…?ヒヒヒ」
「ふむ。確かにそうであるな」
鬼姫は籠手に握られているナイフに目を落とす。忍者のナイフと違って刃の潰されていない、れっきとした実践用の武器であった。このナイフの良し悪しを見極めるほどの観察眼を鬼姫は持っていないが、刃には独特のヌメリが付着しているのが分かる。十中八九毒である、と当たりを付けた。
鬼姫は知らなかったが、この毒は魔物相手に使われる麻痺毒であり、決して人に向けるような代物ではない。だが分かることはある。
「妾を、殺す気で来たな?」
「ヒヒッ。全力で来いって、言ってたよね」
「それは元々貴様相手に言っていない。あの赤鎧の男に向けて言ったのだ。…それに、訓練で真剣を持ち出す者が何処に居る」
「…熱くなった冒険者が、訓練で死亡することって、無いことでも無いみたいだよ?ヒヒヒッ」
「…だから、何だ?真剣を持ち出す理由を言え」
「ヒヒヒ。…本番を想定した良い訓練じゃない?」
「ええい!ぐだぐだとみっともない!質問に答えろッ!」
一瞬、ナイフから手を離した鬼姫はそのまま踏み込んで卑屈の腕を掴む。ギチギチと万力のごとく力の増す籠手に締め上げられ、卑屈は毒付きのナイフを落としてしまう。
…万力といってもそこまで強い握力では無いのだが、この卑屈の細腕には効いたらしい。
「ヒッヒィ!痛い痛い、痛いよぉ」
「御託はいい。さっさと、述べよ」
「………べ、別に。………仲間がやられて、仇を討とうって、なるじゃない?」
「ふむ。仲間がやられればムカつくのは道理であるな」
「…?………ああ、そうか。あの老いぼれの、パーティメンバーだったっけ?ヒヒヒ、悪かったよぉ。毎日毎日、嫌がらせしちゃってねぇ」
「…」
「……いやね?僕はあんな事するの、反対だったんだよ?陰険だし、ヒヒヒ。二人が主導なんだ。………だからさ、この腕を離してくれよぉ」
「…」
不意討ちを仕掛けてきた卑屈であるが、どうにも会話の要領を得ない。仲間が大切なのかそうでないのか。この男の本音が見えずに眉をひそめる。
「…貴様は、仲間を大切に思っているのか?」
「…うん?そうさ。当たり前じゃないか。ヒヒ」
「その割に直後に仲間を売っているが」
「?何のことさ?」
「…まあいい。…あの嫌がらせは、お前も参加していただろう?よく無関係を装えるな」
「ヒヒ。い、いや…。二人を軽く焚き付けただけなんだ。僕も一緒になってたけど必要なことだったんだよ!だからさ、許してくれよぉ」
「…?」
卑屈の話が二転三転してこんがらがって来た。というかこの男は色々おかしい。真剣を訓練で使ったり、仲間が大切と言っておきながら次に口を開けば仲間を売ったり。他の二人は少なくとも真剣や毒など使わなかった。それは当然のことではあるが。
「お前はおかしい。酒でも飲んでるのか?」
「ヒィヒィ、離してくれよぉ。やってない。僕はやってないよぉ」
「やってない?酒をか?…何を言ってるんだ貴様は」
卑屈の顔が涙目からヘラヘラとした人を小馬鹿にする顔へと変わっていく。両腕とも鬼姫に握り締められており余裕などない筈であるが。卑屈が口を開く。
「お前達が、ヒヒヒ。悪いんだ。上手く行っていたのに。今一つな馬鹿二人を拾ってやって、知恵を教えてやってただけだ」
「ふむ?…貴様が元凶、という訳で良いのか?」
「ヒヒヒ、僕が元凶?そうかな?そうだね。あれやこれが、馬鹿に思い付く訳無いでしょ?…そろそろ離してくれよ。君たちにはからは手を引く。違う奴らを狙うよ。最近狙い目な奴らが入ったんだ。あ、君たちも一緒にどうだい?」
卑屈が音もなく含み笑いをこぼす。ペラペラとよく回る口と人に媚びるような目付きが、非常に癪に障る。マッドに嫌がらせをされて、そしてそれを一緒にやろうなどよく言える。鬼姫のふつふつと沸いていた怒りが、今決壊した。
「え?…へぶっ!」
「とっとと去ね」
鬼姫の額が卑屈の頭部にゴンッという鈍い音を立てて激突した。─つまるところ頭突きである。頭突きといっても鬼姫には角があるので角突きというべきなのかもしれないが。
頭突きで意識の朦朧とした卑屈の拘束を解き、右手の拳を卑屈の喉に突き刺す。そのようなことをすれば自立するのは不可能で、重力に従い体は崩れ始める。しかしそこで鬼姫は止まらなかった。
殴る殴る。腹部を下から殴り付けて体を浮かし、腕や首根っこを掴んで無理やり立たせ、最後には地面に倒れているのに顔を踏みつけた。籠手は借り物であるがギチギチと指を動かす度に音を立てている。やり過ぎたか、と一瞬だけ自省した鬼姫であるがボコボコの卑屈を見て壊れていないから全く問題ないと思い直した。
鬼姫はスッキリとした顔でマッドへ伝えた。
「…派手に訓練をし過ぎてしまったな。マッドよ、キャメロットを呼んでくれるか?」
いたそう




