2話 軍勢2
「──と、ちょっと貴女。起きて」
「………………………ぅぁ?」
少女の姿は四方が石に囲まれた部屋に在った。少女は床に座り込み壁に背を預けている状態で、眠気が覚めない様なのかしぱしぱと目を瞬きしている。
「…………どこ?ここ」
「コッチが聞きたいわよ」
座っている少女に、鎧姿がしゃがみ視線を合わせている。鎧姿は声色から女性だと解るが、兜が邪魔で顔が確認出来ない。鎧姿がふと顔を他方へ向けた。そちらへ覚醒し始めた少女が視線を逸らせばローブ姿の老人が座っているのが見える。老人が顔に汗をびっしょりかきながら、地面に指をなぞり、それを口にするという奇行を少女は目撃した。
「あのヒトは気が付いてからずっとアレよ」
「そうか…」
「こんな所でログアウトした覚えなんてないし、運営の悪戯かしら?」
「ログアウト、ん?ああゲーム内か…」
「当然じゃない。自分の身体見てみなさいよ。ゲームでしょ?」
少女は自分の指を見た。細くて小さい指。自分のそれと全く違うが、見覚えはある。それは当然のことで、この身体は自分が何時間も掛けてクリエイトして、長い間ゲーム内で愛用してきたのだから。
ふと、少女は自身の指に土埃が付いているのを見て、おもむろに鼻へ近付けた。
「埃臭い」
「…何してるのよ」
少女はちらりと老人を見た。そしてその埃の付いた指を小さな口へと運び、これまた小さな舌で舐め取った。その瞬間、少女は顔をしかめ、その頬から一筋の汗が垂れた。
「貴女まで、この二人大丈夫かしら…」
「いつ、味覚が実装されたんだ?」
少女のその呟きに老人がばっと顔を上げ、口を開けた。わなわなと震える老人の顔色は体調が不安に成る程真っ青であった。
「味覚も、嗅覚も、軍勢オンラインには実装されてないし、もし実装されてもここまで複雑な味なんて他のゲームでも無理だ。触覚もこんなに鋭敏じゃなかった。メニューの反応も無い。異常事態だ」
老人は先程と打って代わり啖呵を切ったように言葉が次々と飛び出した。軍勢オンライン。聞き覚えがありすぎるワードに老人の話した内容に同意するように少女は頷いた。
「メニューが開けないということはログアウトも出来ない、と」
「出来ないね。どうしても開けない」
「あとは緊急ログアウト機能が働いてくれるのを待つくらいか」
「…それが働けばいいね。嗅覚も味覚も現実そのもの。これじゃあ」
「…」
自身の姿がゲームのそれだとして、あらゆる感覚がゲームでは有り得ないレベルであり、ログアウトが出来ない。それはつまりここは現実の世界か、実は感覚の再現が仮想現実でも再現可能でそれに閉じ込められているか、である。
だが、仮想現実で現実そのものの感覚を再現するというのは、今の技術では到底不可能であった。
「…まだ現実だと決まった訳じゃないわよ」
「そうかもな」
「そう…だね」
「ほら、そこ石で塞がれているけど明らかに扉よね?まずは外に出てみないかしら?」
鎧姿の指差す方向を見れば小さな石材で蓋をされているが、それは出入りの為の扉を造って後から封印した、といったような様相であった。
三人は早速とばかりに石材に手をかけると、あっさり石は奥に崩れて簡単に空間が出来た。その奥からはかすかに風が流れてきており、嫌な予感が加速する。
石室を出て、道なりへと進んでいく。途中で壁が崩壊していることがあったり、明かりが付いていない部分があったりしたが、特に問題なく歩を進める事が出来た。
「それにしても…、明かりだけが異質ね」
「…確かに」
周りは石で囲まれている。だというのに視覚が頼りになる理由は吊るされた電球らしき物があるからだ。石剥き出しの場所に電球。明るいのは有難いが、その部分が雰囲気を台無しにしている。
「明るい眩しい…。外だ」
電球の明かりとは違う、太陽の力強い明るさが目を刺す。植物特有の青臭い匂いも感じられ、三人の肩の力が少し抜けた。閉鎖空間に居たことで無意識にストレスを溜め込んでしまっていたようだ。何かが変わるという少しの期待を胸に、光の中へと足を踏み入れ
彼らの目の前移ったモノは、多数の蠢く岩であった。否、それは岩ではなく、岩の楊に硬質化した皮膚。そこから伸びるのは長い首と尾。その巨体を支える四足は太くしっかりと大地に身体を縫い止めている。伸びた首の先には大きな口が備え付けられており、地面を掘り返して石ころを噛み砕いている。
まさしく、まさしくそれは巨大な爬虫類。ドラゴンであった。ふと、三人から一番近いドラゴンが顔を上げ、三人に鼻先を近付けた。鼻をひくひくさせたドラゴンは低い唸り声を上げ、それを聞いた仲間のドラゴンが一斉に三人を見据えた。
──ゴゥッグガアァァァッッ!!!!
三人は声も出ず、速やかに後ろを向き来た道を駆けた。出口に殺到するドラゴン達は細い通路に侵入出来ずに、壁に頭をぶつけている。それでも三人を追うことを止めず、ゴンゴンと硬い物を打ち合わせる音がいつまでも響く。
三人の姿は最初に居た石室にあった。三人とも肩で息をしており、びっしょりと汗を掛いている。
「…今の、はぁ、はぁ、何かしら」
「ろっ、ロックドラゴン、じゃないかな。みみ見た目からして」
「あんな、に。怖かった、っけ」
「く…ふぅ、奴らの息、臭かったな」
「ええ、そうね…」
息を整えながら、先程の光景を思い出していると、三人はなんとか平静まで持ち直す事が出来た。そこに老人が言葉を発した。
「こんなに恐怖を感じるのは…、やっぱりここがゲームでは無いからだと思う。現実なら当然復活なんて出来ないし、今後は慎重に行かないか?」
「…そうだな。もし、ゲーム内だったとしても、後で笑い話で済むだけだ」
「そうね。ゲームだと思い込んで本当に死んでしまうよりかは、ね」
老人の言葉に、少女と鎧姿も同意した。この場には何もわからない三人しかいない。今出せる結論はこれ以外には無いのだ。
「こんな状況に陥ったのは三人に共通点があるかも知れない…、お互いに何も知らないし自己紹介でもしないか?」
「それが良い。何かしら分かるかもしれない」
「どこまで話すべきかしら?」
「何処に共通点があるか分からないから、出来るだけ、かな」
「順番は…オレからでも良いか?」
「ええ、お願い」
少女は鎧姿と老人の顔を見て、口を開いた。
「PNは"お煮しめ"。…鬼姫とか姫と呼んでくれて構わない。ランキングは最後に確認したのが7位だったかな。主な配下は鬼系統で、この防具もガワは見た目重視で中身は本気構成だ」
「軍勢オンラインは正式版が発売されてから…二年半か?それくらいになる。………本名は水上伸二。大学生。まだ19歳です。以上です」
「…本名まで言うのね」
「まあ何処に共通点があるか分かりませんから…」
少女はふぅ、と息を吐いて視線を鎧姿と老人へとやった。鎧姿と老人は顔を見合せ、鎧姿の方がこくりと頷いた。
「次はわたし…俺の番だね。PN、"キャメロット"。ランキングは5位。主に配下は純人系統を使用しててたまに森人系や鉱人系を加えたりしてる。防具はガワは神聖滅悪シリーズだけど呪鎧系が入ってる」
「本名は粟井惠介。年齢は27で会社員だ。俺が始めたのはβテストの頃からだから…合計で三年くらい?ちなみにロールプレイングを徹底しててこの姿だとさっきまでの言葉使いで行かせて頂きたい」
「粟井さん、βテストやってたんだ…」
「すごいですね…」
「…なんかむず痒いからキャメロットって呼んでくれ」
「あ、了解です」
鎧姿が兜を脱ぎ、頭をガシガシと掻いた。兜で見えなかったが長く美しい金髪であったようだ。クリエイトに相当時間を掛けた事が伺える。
老人が粟井、水上の順で見詰め、口を開いた。
「最後に僕だね。僕のPNは"泥菜園テイスト"。ランキングは6位が最高。配下はアンデット系統を使ってるね。防具は見た目いかにもってな具合で、中身はもう少し上等なの入れてるよ。今はこんな口調だけど普段はロールプレイングしてるからそれっぽいと思う」
「本名は高尾信隆です。年は23歳で会社員。お酒は弱いよ。ゲーム歴は二年と少しくらい。よろしくお願いします」
「あ、こちらこそ、よろしくお願いします」
全員の自己紹介が終わり、無意識のうちに隔たれていたお互いの心の壁が取り払われる。彼らの間には連帯感らしき物が芽生え始めていた。
「共通点は分からないな…」
「そうだね、系統もバラバラ。住所とかも…、あ、俺東京だけど同じか?」
「違いますね」
「これも共通点ではない、と。分からないな」
うんうんと唸る三人だが、特に怪しい点は出て来ない。三人は更に情報を擦り合わせていった。